こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、何人かの生徒さんたちと「男女の働き方」について意見をシェアしました。
以前にもジェンダーに触れたことはありまして、今日本でもかなりの「揺り戻し」が起きています。
男女並びに人間とは、そもそも生まれた時からなかなか平等とは言えませんが、女性が働ける場を作っていくという「公平性」は求めてゆくべき形ですね。
ただ、それが行き過ぎた時には “女性たち自身から” 反発がきます。
今日もまた、ジェンダーの役割について書いていきます。
前提として女性が働ける場所を作ること

大前提として、「女性が働きづらい社会」とは是正されるべきです。
- 十分な給与がない
- 子育てするのは女性の仕事
- 子育てがキャリアに入らない
このようなことを直してゆくことは、とても大切なことだと思っています。
働きたい女性も、多数いるからです。
全体でも女性の半数以上は「働きたい」と思っており、それらは各所からデータで出ています。
その気持ちが公平に扱われない場合は、それは差別に繋がりかねません。

僕も以前には、
と思っていましたが、一律にそうというわけではなくて、
- 家庭を持つかどうか
- 子育てが終わっているかどうか
などで意識が変わってくるようです。
と言われそうですが、正直女性同士でも意見は食い違うものです。
という意見は、「こちらのほうが多いから正義」とはなりません。
個々のケースに依存し、いろんな考え方があるからです。
男性もそうですよね。
男性には男性なりの悩みがありますから、社会的な構造による原因はあるとしても、一概に「女性だけ悩んでいるのだ」と断定することはできません。
ただ、女性がキャリアを積めるようにする社会はとにかく必要であり、選択肢が広がることそれ自体は、僕も概ね賛成ですね。
ただし女性には適齢期がある

しかし、この考え方に歯止めをかける必要もあります。
一理あります。
働きたい女性は働いたらいいですし、そのための社会構造の変革は喫緊の課題です。
ただ、女性たちにとって大事なこととは、「適齢期」を意識しているという点です。
男とは違って、女性は子どもを授かることができます。
ここが大きな違いです。
もちろん、身体的に生まれつき子どもができにくい女性もいることでしょう。
酷な話ですが、それはもう仕方がありません。
男性だって身長や才能、精子の問題など生まれつきのハンディキャップを負うことはありますから、何も女性だけに限った話ではありません。
配られたカードの中には、変えられないものもありますからね。
そういう話ではなくて、まず生物学的な話として、女性には「20〜30代で子どもを産む適齢期がある」ということです。
「働く女性」を推し進めすぎますと、それはかえって女性のジェンダーを否定することにも繋がります。
- 子育てが終わっている
- そもそも家族を持つことに興味がない
という人は働いたらいいでしょうし、そういう人が働ける場を作っていくことは課題です。
しかし一方で、
という女性がいるのも当然のことであり、これは誰も否定できません。
ゆえに意見として大事なのは、
だけでなくて、
という発言があってもいいわけですよね。
だって、そうやって専業主婦の方々が蔑(ないがし)ろにされてきたわけですから。
「働ける場を!」という発言も、女性の自己実現や仕事によるキャリア形成には大事かもしれませんが、言葉を選ばずに言えば、
という言葉のほうが、今は大事なのかなと。
女性にしかできないこととは、「子どもが産める」ということ。
そこにある程度の補助や支援ができなければ、適齢期の女性たちも「仕事のほうが…」と思ってしまうのではないでしょうかね。
働き方に平等性を求めないこと

話は「働くこと」に移ります。
先述した通り、女性活躍の場を設けることは、とても素晴らしいことです。
一方で、
ということも耳にします。
昭和的な考え方では、
という発想ですよね。(ざっくりですが)
果たしてこの考え方とは、「古い」のでしょうか。
最近になって僕は、
と思うことすらもあります。
という意味ではありません。
ただ、女性に適齢期があることを考えますと、
と思ってしまうのです。
社会構造が悪いという意味ではなくて、”生物学的に” です。
だから出産や育児にも「キャリア」を付与すべきですよね。
僕は男として本能的に捉えた時に、
という発想として、この昭和的な意見を受け取っています。
研究で出ている通り「働きたい女性」はたくさんいるかと思いますが、やはり女性たちの人生を考えてみますと、
とも思います。(社会との繋がりや生きがいとしては素晴らしいことですが)
男性とは体つきも違いますしね。
子どもが小さい頃(0〜3歳くらいまで)は、三歳児神話の是非にとらわれなくてもいいのかなと。
ただただ愛情を注ぎたい女性もいますから。

また、「女性がどこでも働けるように!」と言う人に対して、
と聞きますと、
と煙に巻かれます。
そういう仕事に従事する女性がいてもいいですが、あまりにも「平等」を求めすぎてしまうと、”ある程度の”「性の役割」を無視することにもなりかねません。
家庭に入りたい女性を、否定してしまうことにもなりますからね。
- 働ける場を広げていったり、給与を増やしていくことは素晴らしいことでも
- 本来の「ジェンダーの役割」を無視し過ぎず、女性が家庭を作りやすい社会もまた必要
ということですよね。
ここには答えはありませんし、なかなか社会とはそんな簡単に公平を実現できません。
仮にそんな世界線になっても、またどこかで歪(ひず)みが生まれるものですからね。
どちらかに行き過ぎないこと。
現代の女性たちが「働きたい!」という意志を強く持つ背景に、経済的な不安が一つの要因としてあるとするならば、それを国が支援した上で、
と、選択肢を持てるようにできるといいですね。
おわりに
僕は女性ではありませんから、
と尊敬できることもあります。
一方で、ではなぜそこに「男性差別だ!」という声があがらないのか、ちょっと疑問です。
男性がすでに優位な社会だから、なのでしょうか。
でもその考え方はズルいのかなって。
なんでもかんでも「平等に!」が行き過ぎますと、「本来しなくていいこと」まで平等になり、逆に女性が生きづらくなることもあるということを、僕らは知っておかなければなりません。
まだまだ、国がやらなければならないことはたくさんありそうですね。
それではまた!
