こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
先日、関東でも雪が降り積もりまして「世界で一番嫌いなものは、関東の雪」と公言しているすずきはストレスにさらされていました。
そうです。
年末年始で走ることができなかったために(シューズを持って帰るのを忘れただけ)、雪が降っていようがこの日はなんとしてでも走ろうと思っていたのです。
以前も「やるときめたらやる」という記事を書き、極寒の中でもルーティンを守ることの大切さ(?)を語りました。
「自分との約束を守ることが、自信につながる」という切り口でしたが、今回は違う切り口です。
ではどうしてそこまでして走ろうと思ったのか。それは何を意味することなのか。
お伝えしていきます。
「やりたい」という気持ちは、誰にも止めることはできない
今回のランニングは、
- 「やだなぁ」
- 「走りたくないなぁ」
- 「でもルーティンだしな…」
という流れから来たわけではありません。
走る前日に、なんとなしに電車の電子広告で「雪マーク」を見つけてはいましたが、特に気にせず「今日は久しぶりに走るんだ!」とひとり勝手に高揚していました笑。
久しぶりの職場と晴れやかな朝を迎えたことも相まって、気持ちはすっかりと「走るつもり」になっており、ワクワクしていたのです。
それがいきなり雪が降り始めてきたものですから、ものすごく当惑しました。
「え?あれ?やっぱり雪降るんだ?」と笑。
以前から「天候が悪い日」にはあまりランニングはしないようにしていたのですが、それは普段から走っていた分「また明日走ればいいかな」という取り決めがあったからでした。
しかしこの日に限っては、ここまで長い期間(約2週間)を空けておいて、いざ「走らないんかい!」となるのは絶対に避けたかったのです。
つまり今回は「何が何でも走りたい気持ち」が死ぬほど強かったのです。「死ぬほど」です。
もう迷いはありませんでした。
雪がしんしんと降る中、職員室でランニングの準備をしていますと、
- 「え?今から走りに行くの?」
- 「いやいやいや笑」
- 「頭おかしいんじゃないの?」
と言われました。それはそうですよね笑。
誤解を避けるために先にお伝えしておきますが、そのような反応をしてもらいたいがために走ることにしたわけではありません。
そもそもそんなことだけのために、吹雪の中をわざわざ走りに行くわけがありません。
もはや他の人の意見なんて、僕の耳には届いていませんでした。
「たとえ雪が降ろうとも、俺の走りたいという気持ちは、誰にも止められないんだ!」
と盛り上がっていた気持ちが、「吹雪」を凌いだのでした。
- 足はびちょびちょになり、
- 手袋を突き抜けた冷気によって手は霜焼け、
- ニット帽は雪まみれ…
となって帰ってきました。
それでも僕は達成感に満ち溢れ、自分との約束を果たしたのでした。
僕の気持ちは頑なだった。だから誰にも止めることはできなかった。
それだけのことだったのです。
バカと呼んでいいのは自分だけ
さて、
- 他人の声に耳を貸さず、
- 雪の中走り、
- 凍えながら生還した男
を、果たしてみなさんはどう思うでしょうか。
- 異常
- バカ
- 度が過ぎている
- 頑固
などでしょうかね。(全部合っています笑)
ただ僕は、その時の自分の気持ちに素直に従っただけだと思っています。
台風や大嵐の中をランニングしようとしていて、「危ないからやめろ!」と言われたことに耳を貸さなかったとすれば、それはよろしくありません。
それは「無謀」「向こう見ず」と言います。
僕の大好きな漫画ワンピースでは、剣士であるゾロがこう言っています。
このおれをバカと呼んでいいのは それを決めたおれだけだ
自分が志した夢をバカにされた時でも、平然と持論を語るこの漢気…相変わらずのかっこよさです。
この言葉は、人の行動心理の本質を突いていると思います。
今回の僕の「雪の中のランニング」だと、極端に聞こえてしまうかもしれません。
しかし実は、どんなことにおいても「バカ呼ばわり」のようなことは、しようと思えばできてしまうことでもあるのです。
例えば、
- 毎週ジムに通う。
- 毎朝勉強する。
- ダイエットを始める。
- 好きなゲームを買う。
本人にとっては大したことのないものだとしても、
- 「え?ジムに行く意味あるの?お金もったいなくない?」
- 「え?朝は遅くまで寝たほうがいいのに…」
- 「え?何?まだダイエットやってるの?」
- 「え?ゲームを買うなんて、金をドブに捨てるようなものだよ」
と、外野は言いたいことをどうとでも言うことができてしまいます。
仮に蔑む気持ちがないとしても、気に留めてすらいなかったとしても、です。
なぜならそれは、どこまで行っても自分のことではないからです。
「注意」や「忠告」であれば耳を傾ける必要があるかと思いますが、自分がこれだと決めて目標に向かってやっていることを、誰も意見して止めることはできないのです。
自分で決めたことに責任を持つことができるのは、自分だけですからね。
その後、大失敗したり何かネガティブなことがあったりしたとすれば、「なんて自分はバカなんだ!」と思えばいいだけなのです。(取り返しのつかないことはダメです)
他人に「やめときなよ」「どうせ無理だよ」と言われてやめるのであれば、自分の意志は所詮それまでのものだったということです。
- 自分でやると決めて、
- しんどい中でもやってみて、
- 結果的にどう感じたのか。
一連の流れを通して最終的に答えを出せるのは、やってみた自分だけなのです。
自分が決めてやったことに後悔はしない
以前、離婚したことを記事にしたこともありました。
僕に限らず、多くの人が人生の中で波にもまれ、様々な経験をしてきたことでしょう。
こうした経験を通して、後悔はしていないと言えば多少は嘘になるかもしれませんが、その時にした選択は、僕が「これだ」と思って選んだ最善の一手でしたので、ウジウジすることはありません。
今振り返れば「たられば」を言うことはいくらでもできますが、その時決断を下したのは、
- 未熟だった自分
- 何もわからなかった自分
- 考えが及ばなかった自分
でした。
ただどんな自分であったとしても、決めたのはその時の「自分」であり、誰かに決めてもらったわけではありません。
それならば、多少心残りがあって「失敗したなぁ」という気持ちがあったとしても、後悔する必要はないのです。
今回のランニングの復路は、猛吹雪の向かい風でした。
その時に「今日は走るんじゃなかった…」とは、1ミリも思いませんでした。
むしろ降りしきる邪悪な雪に対して、打ち勝ったとすら思っていました笑。(勘違い)
後悔するくらいなら最初からやっていませんし、雪の中を走って「すごいね」と言われたくて走ったつもりもありません。
「今日は、走るんだ」
そう決めて気持ちが高まっていたので、雪でも雨でも僕を止めることはできなかったのです。
淡々とルーティンをこなしていく中で、たまたま雪や雨の日とぶつかってしまっただけでした。
やってからする後悔よりも、やらないでする後悔のほうが大きい。
その言葉を胸に、今できることやこれから取り組もうとしていることを、必ず成し遂げると改めて強く自分に誓いました。
人生は一度だけですからね。自分の知らない「自分の限界」を見てみるのも悪くありません。
おわりに
たかだか雪の中をランニングしただけで、
- やれ信念だの
- やれ意志だの
- やれ後悔だの
「スケールがデカすぎるんだよ!」と言われそうですねごめんなさい笑。
この前も雨が降りしきる中でランニングをしたのですが、やはり自然も僕には敵わないようでした。
僕が立てた信念の旗を、そう簡単には折らせません。
極寒の雪の中をランニングした後では、「いつものちょっとした辛いこと」が大したことではないように思えてきたから不思議ですよね。(気のせい)
かと言って、今回の件をあまり特別視するつもりもないです。
他人には勝手に言わせておいて、自分の夢や目標に向かってガンガン突き進んで行きましょう。
そんなみなさんを応援しつつ、僕もダッシュしていきますから。
それではまた!
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