こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、X(旧Twitter)で海外の様子をラジオ形式で紹介したり、Zoomを開いて友人たちの質問に答えてみたりしました。
こうして日本の人たちと交流をしてしまいますと笑、どうしても日本を近くに感じざるを得ません。
しかし海外に出る前は、海外のことが全然わからずに「恐怖心」を抱いていました。
でもそれは「わからない」からこそ起こる現象であり、知ってしまえばどうということはありません。
今日は「知ること/知らないこと」について書いていきます。
知らないということ
世の中が情報社会になっているように、現代は情報こそが武器でもあります。
ある情報を「知らない」というだけで損をしたり、痛い目をみたりもします。
僕もこの旅を始めるまでは、
とワクワクしていたものでした。
実際にフタを開けてみれば、全然違う人種と言語、文化や環境に触れることで、いわゆる「カルチャーショック」を受けました。
と。
「知らない」というだけで、僕はとても視野が狭かったことに気づかされました。
それは「知識として知っていたかどうか」とは、大きく異なります。
「実体験/実地経験」として、自分が経験をしたかどうかが大切だからです。
例え僕がどれだけ世界について事前に学んでいようとも、それは行ってみなければ、滞在してみなければわからないことです。
さらに言えば、こうして旅をしている僕も、別にその土地に住んで働いているわけではありませんので、まだまだと言われてしまえばそれまでです。
それを言い始めますと、
「世界の各地に数年単位で住んで、移動し続けること」
をしない限り、マウントを取ることができませんよね笑。(おい)
人の時間は限られていますから、そんな言い合いは意味のないことです。
ただ、「知ろう」として1ミリでもその国に触れることができたなら、それは今後のための「フック」になると思っています。
だから「知らない」ということは、本当に「0」を意味することです。
その未知に対して恐怖が生まれてしまうのですから、やはり「知らない」は時に視野を狭めてしまうことになるのです。
知ってしまえばどうということはない
世界を旅しているからといって、世界を知ったような気になることはできません。
ただ、あまり多くの人がしたことのないことをしていますと、それだけでアドバンテージになることもあります。
僕は全ての国を周りたいわけではありませんし、やはり日本が好きです笑。
漫画ワンピースでビビ王女が語る言葉に、どことなく共感できるのは祖国を愛しているからかもしれませんね。
しかし一度日本を出てみて、いろんな世界を知ることで、様々な価値観に触れることができるようになりました。
「知らなかった世界」を知るようになるということは、
「ドラゴンクエストやゼルダの伝説などの『地図』のまだ明かされていない部分がひらけてくる」
ような、そんなイメージがあります。
ゲームの世界でも、一度その場所に行ったり、クリアしたりしてみれば、2回目以降はガクッとハードルが下がりますよね。
偉そうなことを言うつもりはありませんが、それでも一度でもその国に行ってみれば、
- 怖かったイメージ
- イメージすらできなかった現実
が、ちゃんとこの目に映り、肌で感じることができるようになります。
まさにゲームの地図のように。
程度の深さまでは人と比べることはできませんが、僕としては「一度行った」と言う事実が大切であり、何にせよ「世界を一周しているだけ」ですので笑、そのうちの1つと考えれば、
「長く滞在しなければならない」
という取り決めはなくていいのです。(そもそも僕の旅ですしね)
少しでも「知る」ことさえできれば、その時点で「恐怖心」は薄れていきます。
と。
実はこれ、日本でも同じことが起こっていました。
旅行が苦手だった僕は、昨年に国内のいろんな場所に行きました。
それまでは、
と思っていたものですし、国内ですらちょっとした不安がありました。
みなさんもそう感じませんか?
どこかに引っ越すとなったら、今までいたコミュニティを離れるわけですし、国内でも別の知らない土地には不安があるはずです。
でも「住めば都」とはまさに言い得て妙でして、滞在期間が長くなるほど、その土地に愛着が湧くようになってきます。
僕は基本、1泊でその土地を回ることが多いのですが(ゲキ速笑)、都合で2〜3泊するようになりますと、やはりその分愛着が湧きますし、湧かなかったとしても多少の感情移入は出てきます。
そうやって知ってしまえば、恐怖心はなくなり、多くのものに対する「安心感」が生まれてきます。
日本を出ることが正解だと言いたいわけではなくて、知らなければイメージはブラックボックスのままであり、知ってしまえばそれがクリアになってゆくというだけのこと。
僕にとっては、その「知らないこと」を減らしていきたかっただけなのです。
「知ってる」を増やしていくこと
僕は、
- 先生なのだから
- 大人なのだから
知らないことはないほうがいい、と思っているわけではありません。
そのような条件はそもそもこの世に存在しなくて、知らないまま一生を終えるものだって無数にあります。
世界を見て回ったことがない人であっても、
など、それぞれなりの素晴らしい「経験」があり、そこに優劣はありません。(羨ましいくらいです笑)
ただただ僕がやりたいことは、自分のやってみたかったことを実行に移すことであり、それによって、
という、ただその欲求があるだけのこと。
だから国内であっても、
というものにはできる限りすぐにコミットして、チケットを買っては向かって行ったものでした。
今回の「世界一周旅」に関しては、
と思いましたが、いざ出てみますと、
- 知らなかった土地
- 知らなかった人々
に出会うことができて、どんどん視野が広がっていることに気がつきました。
そうして「知らなかったこと」が知れるようになってきますと、自信を持って経験を語ることができるようになります。
「今後の誰かのため」にもなりますしね。
その数を増やしていくことが、僕にとって楽しくて楽しくて。
と言われることもありますが、日本ではまだやったことのない「事業」をやって、その挑戦する姿勢を友人や生徒たちに見せていきたいのです。
どこに行ったって、何事も経験することで恐怖心はなくなっていき、自信に変わるものです。
僕にはその気持ちがあるだけなのです。
おわりに
「知らない」ということは、「怖いこと」です。
裏を返せば、「知っている」ということで視界は一気にひらけてきて、多くの人や文化と繋がることができるようになります。
その数が多ければいいというわけではなく、僕の場合は単純に、
と思っただけなのです。
この旅が終わったとしても、また世界のどこかに旅行に行けばいいだけの話。
その時は改めて楽しんだっていいですし、またバックパッカーでやってもいい。
もう、世界に対する恐怖心なんてないのですから。
それではまた!
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