追い込まなくてもいいわけではない【ゆるくストイックに生きるとは?】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、本屋に駆け込んだところ、こんな冊子『ゆるストイック』を手に取り購入しました。

なるほど。確かに僕はコロナ禍でいろんなことを変えたなぁ

時代の流れからして、

ゆるく生きようぜ
好きに生きようぜ

という風潮が強かったのも事実です。

しかし僕は、コロナ禍の時にこそ自分と向き合い、

今後どう人生を歩んでいくのか?

を検討し、行動していました。

これが「たまたま功を奏した」といえばそれまでですが、今に繋がっているのは間違いありません。

今日は僕なりの「ストイック術」について書いていきます。

結局、どこかで人は追い込まなければ成長しない。いつまでも言い訳をしていてもダメなのだ。

追い込み始めたコロナ禍

この本の著者も、

コロナ禍でだいぶ人生が変わった

と言っていました。

僕の場合は「コロナが来たから」という理由ではありませんが、みなさんそれぞれ「人生とはなんぞや?」と考えたことは間違いないでしょう。

僕も例外ではなく、

どうやってこの先の人生の終わりを迎えようか?

と、神奈川県を歩き回っては “答え” なるものを探していました。

それから「昔の自分」と決別することを決め、このブログを立ち上げました。

最初こそ「できないだろう/続かないだろう」と思っていたものでしたが、毎日続けてなんと4年以上が経っていました笑。

しかしその根底にあったのは、コロナ禍で自分の人生について考えた「あの時間」でした。

あの時にストイックになり始めたことで、僕の人生は豊かになりました。

それまでは、

  • 適当な人生
  • 目標のない人生
  • なんとなくの人生

でした。

休暇はめちゃくちゃダラダラしたい。毎日働くとか無理

こんなマインドでしたね笑。

それがいつの間にか、

  1. 本を読み
  2. 体を鍛え
  3. 食生活を見直し
  4. 投資や税金の勉強をし
  5. 教員を辞めて世界一周をして
  6. 個人事業主として半分自由な生活を送る

というところまで来ました。

ある意味、コロナ禍で人生的に「追い込まれたこと」がよかったのかもしれません。

それから僕は、自らを「ストイックに生きる漢」として “思い込む” ようになりました。

僕より素晴らしい人はたくさんいますし、所詮僕も「そこら辺の一般人」です。

でも、そんな僕でもどこまで自分を高めることができるのか。

それを証明したいがために、コロナ禍から僕はストイック人生のスタートを切ったのでした。

コロナ禍の時が人生の大きな転換期だった。それから僕は、ストイックに生きることを決めたのだ。

今に繋がるストイック

あの頃は本当にいろんなことに挑戦していて、特にわかりやすかったのが、

  1. 日本中を散策をして
  2. 新しい施設を巡ること

でした。

「ひとり時間」にいろんな体験をすること。

そして同時に、多くの書籍を読み、

一日でもムダにするか!

と思って生きていました。

世間では「ゆるく生きようや」みたいな空気が蔓延していましたが、僕はそんな空気感から脱出したかったのかもしれません。

今でも必ず7時に起きて、ルーティンを守る毎日です。

なぜそうするのか。

それは今までの人生を「適当に」生きていたからです。

そこには激しい後悔がありました。

このままではいけない

皮肉にも、それをわからせてくれたのはコロナでした。

その時から他人の人生、つまりニュースのゴシップや事件、事故などを積極的に見ないようにしては、一方で自分の人生に集中するようになりました。

これが一つの「ストイック」の体現なのかもしれません。

自分の人生に素直に、真正面に向き合う。

今でも毎日を一所懸命に生きているのは、この気持ちの変化が大きく作用していたからだと思っています。

自分の人生に集中するようになったことは、それはイコール「ストイックになること」でもありました。

は?なんでそうなるの?

なぜか。

当時僕は、

最後の最後まで自分の人生と向き合い、一所懸命生きたい

と思ってしまったんですよね。

これが自然と「ストイック」につながったのです。

ゆるく生きることも否定はしません。

しかし、僕の中ではどうも達成感がなかったため、当時「今までの人生」と「これからの人生」を比べてみることにしてみたのです。

ブログを始めたり、炭水化物を抜いたりして追い込む毎日となりましたが、その時ほど「生(せい)」を感じたことはありませんでした。

ゆるい生き方もいいが、それで人生が終わってはダメなのだ

こうして「ストイックせいじ」が爆誕したわけです。

全てのスタートは「自分と向き合ったこと」でしたね。

自分の人生に集中し始めてから、僕はストイックに生きるようになった。そのほうが「生」を実感することができたからだ。

追い込まなければならない

20代の後半で一校目を去るときに、若いながらも卒業生たちにこう言いました。

ゆるくダラダラと生きたいのが人間かもしれない。けどどこかで、必ず頑張らなければいけない時がくる

当時は紡(つむ)ぐ言葉が見つからずに「こういうことを言えばいいかな?」と、漠然とした意見しか持っていませんでした。

しかし今考えてみますと、

人間、確かにどこかでマジで頑張らなければならない時が来る

と、若かりし頃の僕の意見に、我ながら納得しています笑。

今回読んでいます『ゆるストイック』では、「自分のやるべきことをきちんとこなす」という主旨が書かれています。

ゆるくダラダラ生きるのもまた正解かもしれません。

しかし僕が30年以上生きてきて思うのは、

本当の本物とは、マジで毎日頑張ってるんだ

ということでした。

素直に「自分と向き合うこと」ができていなかった当時は、

  1. 成長することもなく
  2. 漫然と年次が上がって行くだけで
  3. 生活から何も得るものがなかった

という有り様でした。

でも、自分と対話し「ストイック」に生きるようになってからのほうが、より人生に感動を覚えるようになりました。

そこで得られるリターンも大きいですし、逆に人と比べるようなこともなくなりました。

自分の人生に集中し、できることを徹底して続けていって、悔いのない終わりに向かっていこう

こう決意をしたのでした。

人間はどこかで腹を括(くく)って、頑張らなければなりません。

しかしそれが「ストイック」に基づくものではなく、要所要所だけの「単発もの」であれば、それは “その場しのぎ” を繰り返しているだけに過ぎません。

「姑息な手段」というやつですね。

今追い込まなければ、いつ追い込むのだ?

その「時」とは今であり未来でもあり、そして自分の命が燃え尽きるまでの期間「ずっと」を指すのです。

「覚悟」と言ってしまうと仰々しいかもしれませんが、コロナ禍までの僕はその覚悟がありませんでした。

どこかで楽(らく)をしたいと思っており、それが後悔へと繋がり、満たされない日々を生み出しました。

でも実は、ゆるかろうがなんだろうが「ストイックさ」を持ち合わせていたほうがいい。

これが僕の見出した結論でしたね。

今はおかげさまで、毎日を後悔なく過ごすことができています。

人間、どこかで追い込まなければならない時が来る。それが僕にとっては「今」であり、これから先もずっと続くものなのだ。

おわりに

思いっきり生きることができていなかった、過去の自分。

それから自分を追い込むようになり、ストイックに生き始めたことが結果的に「豊かな人生」を生み出すことになりました。

いつからストイックになればいいのか。

それは今であり、これから先「未来永劫」なのだと思っています。

それではまた!

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