とにかく優しい人でいるために強くなる【強い人ほど優しい】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

友人と議論をしたり、あるいはここでこうしてブログを書いたりしていますと、

何やら思想の強いやつだ笑

と思われがちです。

しかし、僕は思想を広めたいわけでもありませんし、自分の正しさを証明したいわけでもありません。

議論の本質とは「相手を打ち負かすこと」ではありませんしね。

小学校から「議論」が好きだった僕は、学校の先生になってからは、その情熱からか結構「空回り」してしまいまして、

自分の意見と合わないやつは排斥だ!

と、いわゆる「やべぇやつ」でした笑。

若い時とは誰でもそんなものです。(一括りにするな)

今日は「議論するために強くなる」ということを書いてきます。

本当に議論できる人ほど落ち着いている。感情で言い合ったって仕方がないからだ。

落ち着ける=勝利

先日、こんな討論番組を見ました。

僕が推している方(望月まさのり議員)が出ているということもありましたが、番組の構成は相変わらずのヒドさでして笑、ライブで見ていてもコメント欄は、保守系である彼の発言を「支持する人」しかいませんでした笑。

さて、内容は置いておいて、彼の立ち居振る舞いとは立派なものでした。

  • 落ち着いていて
  • 的確に受け答えして

と、相手を逆撫でることもなく、ビシッと大事な要点だけ言い、

国政と都政では話が違いますので

と、しっかりと論点の整理&修正も行なっていました。

なんなら左派(=リベラルで外国人を受け入れたい人)たちも、

なるほど確かに…

と納得する場面もあり、素晴らしい答弁をされていたと感じています。

みなさんも、ご自身の意見を指摘されたときに、どうしても、

何だと?俺の/私の何が間違っているんだ?

と言い返したくなってしまいますよね。

それでも感情的にならなかったことが、彼の「勝利」だったと思っています。

後述しますが、議論の場とは「ただのケンカ」ではありません。

そこには必ず視聴者や傍聴者たちがいるため、その後からいくらでも民意は反映されるからです。

その場で片方が言い負かしたように見えたとしても、

あの発言はダメでしたね
絶対にこっちのほうが勝ってましたね

と言われてしまうものなのです。

本当に強い人ほど、野次や叫びが「いかに無意味なものか」を知っていますからね。

冷静さを失ってしまったら、そこで「負け」なのです。

議論をする時には、落ち着いている人が結局は勝つ。感情的になってしまったらもうその時点で負けなのだ。

議論は感情のぶつけ合いではない

よく議論になると熱くなってしまう人がいます。

特に「女性の方は多い」と言われてしまうのは、性差ではなくその方がそうした感情に長けているからだと、個人的には思っています。(いくつかの研究でもはっきりした性差のデータは出ていないそうです)

もちろん、男性でも議論に熱くなってしまう人もいますし、女性でも冷静にきちっと討論している人を見かけます。

いずれにせよ、

自分は結構、すぐに感情的になってしまう

という方は、一度深呼吸しましょう。

僕も以前は、すぐにカッとなる性格でしたし、

誰よりも最前線に立って戦いたい!言い合いたい!

という人間でした笑。

ただそれは「力でねじ伏せようとしている」という状況と近い、とも言えます。

言い合って戦うことができないのであれば、「そこら辺で殴り合えばいい」だけだからです笑。

でも僕らはそうしませんよね。

それはただの体格差での勝負なだけであり、格闘技をやっていた人や相撲とり、軍の中枢機関にいた人などになんて、僕らが勝てるわけがありません。

ディベートをしっかりとして、あとは民意に寄り添うこと。

それくらいしかできないのです。

どんなに片方が言い負かした「ように」見えたとしても、

君の意見には賛同しかねるなぁ

と大多数から言われてしまったら、ある意味「負け」ですからね。

少数意見が間違いだと言うつもりはありませんが、僕がお伝えしたいニュアンスとは、”そうした意見のぶつけ合い” をすることが「議論/討論」をすること、なのです。

それをわからずに、さも「言い負かしたぜ!」と思っているような「根拠もない感情的な意見」は、誰も取り合ってくれないことでしょう。

感情と感情を「いい意味で」ぶつけ合うならいいのですが、ただ感情や私的な不満をぶつける行為であるのならば、それはもうただの「文句」です笑。

討論に出る必要もありませんし、聞いている人たちも「はぁ…早く黙ってくれよ」と思っています。

そうならないためにも、感情で語らないこと。

これが大事なんですよね。

議論や討論では、感情に任せて文句を垂れてはいけない。しっかりと論理的に考え、意見し、聴衆にも納得してもらうことで、初めて成り立つのだ。

そのために強くなる

さて、それでは僕らにできることとは何でしょうか。

そうです、筋トレです。

…冗談です笑。

体を鍛えることも大事ですが、そうした「煽り」に対して怒らないで話すことができるかどうかですよね。

ある意味「苦行」と言いますか、以前の僕でしたら決してできなかったことでしょう。

しかし先述したように、

いかに証拠を提示して論理的に説明し、相手の挑発に乗らないか

が大事です。

僕らが見据えているのは、目の前にいる「ザコキャラ」ではありません。

自分の意見を聞いてくれる多くの聴衆であり、そんな方々に納得してもらうために丁寧に説明する必要があるのです。

「強い」とは、以前に記事にしたように、本当に優しく、

  1. 弱きを助け
  2. 強気を挫(くじ)く

者だと思っています。

確かに、Xやブログなどで批判をすることも効果的なことですし、それ自体が悪いことではありません。

しかし、感情に任せて投稿したり、

あいつをぶっ潰したい

と思ってやってしまったりすることとは、得てしてあまり良いエネルギーを生むことがありません。

僕は2011年に旧Twitterを始めましたが(約14年前笑)、その時はかなり “感情に任せて” ポストしていました。

やはりその時の自分の心境を考えてみても、

ただネガティブな自分がいただけだったなぁ…

と、反省するばかりです。

本当に強くなりたいのであれば、ぎゃーぎゃー騒いでいる人をみて、

そうかそうか。まだまだ子どもなんだな

と思ってみてください。

みなさんも、子どもに対してそんなに本気にならないでしょう?

本当に強く、自分のやっていることは正しいのだと感じる人であれば、僕らは怒る必要がありませんからね。

本当の強さを得るためには、とにかく冷静さを保ち、そして自分の意見を信じること。

そのために勉強し、どんなことにも対応できるように努力をしておくこと。

至らなかった点があれば反省し、丁寧に謝ること。

とても当たり前のことを言っているようですが、これが意外とできないものなのです。

そういった人を目の当たりにしてしまいますと、

こういう人にはならないでおこう

と思ってしまいますよね。

確かに、世の中納得いかないことや思うようにいかないこともあります。

しかしそれに対して腹を立てている自分のことを、「子どもたちが見ている」と思うことができれば、少しは気持ちも落ち着くのではないかなと。

本当の強さ、手に入れましょう。

「強い」とは武力で戦って決着をつけることではない。いつでも冷静に聴衆に訴えかけ、自分の正しさを証明してゆくことなのだ。

おわりに

議論や討論が好きとはいえ、僕だって感情的になることがないこともないです笑。

ただ、「怒って声を荒げる」というフェーズはだいぶ前に終わりました。

だったら、根拠となることを示せるように勉強し、常に努力して行動で示すほうがよっぽど賢く、かっこいいです。

僕はいつまでも、そんな大人を目指しています。

それではまた!

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