こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
僕は学校の先生をやっていたこともあり、若者たちが頑張っているところを見るのが好きです。
自分が若かった頃を考えてみますと、
- 傲慢で
- 世間知らずで
- 調子に乗っていて
と、三拍子どころではない、とんでもない性格がそろっていたものでした笑。
しかし、それがあったからこそ今の僕があると思っていますし、

と思っています。
今日はそんな「若者支持者」が逆に応援されるという興味深い現象について、シェアしていきます。
他人を認めること
若かりし頃の僕は、上に書いたような典型的な “若者” でして、世間知らずでもありました。
人の頑張りにはすごく嫉妬していましたが笑、自分なりにも頑張っていたつもりではいました。
だから当時は、今考えればすごく微妙な心情を持っていまして、
- 自分で努力はしつつも
- 他人も蹴落としたい笑
という感覚を持っていました。(なんだそれ笑)
しかし、高校生あたりから「人を認める」ということができるようになってきました。
典型的な発想ですが、

という、最悪な人間でしたね笑。
しかし教員となり、赴任した公立高校の二校目で自分の「能力主義」が露呈され、生徒たちとの不和が生まれます。
それが大きな転換点となり、自分の無知さと傲慢さに気づいたのでした。

この考えができたおかげで、どんなに英語ができない人にも丁寧に教えることができるようになりましたし、相手のレベルに限らず驕(おご)ることはなくなりました。
他人を認めるということが、時に「酷な時」もあります。
そんな時でも相手の意見に「耳を傾けること」は至難の業です。
若者たちは、時にものすごい持論を繰り広げてくることもありますしね笑。
でもそれは、

と思えればごく普通のことです。
だから大人だろうと子どもだろうと、どんな人にも優しく接し、まずは相手の言い分を認めてあげること。
その上で、僕なりの意見を伝えるようにしているのです。
自分も応援される不思議
若者たちを応援していますと、僕自身も応援されるような感覚を受けます。
僕は当時、理不尽な先生たちが憎くて仕方ありませんでした。
よく反抗しては言い返し、なめていたものです。
しかし、自分に対して「褒めてくれる」先生(あるいは大人や先輩)に対しては、

と、ほんのりとリスペクトの念が込み上げていたものです。
先生になり、生徒といろんな摩擦を経験してからは、より「生徒たちのことを認める」ということを意識するようにしていました。
自分が経験してきたように、
- まず生徒の話に耳を傾け
- 間違ったことに対しては適切に対処する
という、客観的かつ心に寄り添ってあげるような処置を施したところ、すぐに生徒との距離が近くなりました。
先ほど書いたことにも当てはまりますが、決して「相手の話を全て鵜呑みにして許諾する」という意味ではありません。
間違ったことにはきちんと「間違っている」と訂正を入れますし、自分の信念を貫くことまた大事なことです。
ある意味、こうした「正義感」を持っているほうが、生徒たちからも応援されるようになります。
- 芯が通っている
- 間違ったことは言っていない
- 何があっても基本的には生徒の味方
といった感じだからですね。
具体的に応援されるというよりは、単純に生徒たちから好かれるようになります。
これは大人同士でも一緒です。
相手を認めてあげることで、相手も心を開き、その人のことを「応援しようと」してくれます。
なぜか。
僕が学生時代に感じていたように、誰かに認めてもらえるとシンプルに「嬉しい」からですね。
ただただ “優しいだけ” というだけでなく、その人の頑張りを「正しく」認めてあげられるかどうかということ。
当然、ダメなことにはダメと言いますが、言い方や態度に気をつければ大丈夫です。
もし誰かに対して否定的になってしまっている人がいましたら、まずは一度立ち止まってみましょう。
自分を応援してくれる人に対しては、そこまで言い返したり反抗的になったりしてくる人はいないのです。
それでも自分が一番頑張ること
人を応援することは素晴らしいことです。
しかし僕が好きな漫画『ワンピース』を読んでいますと、とても感動しつつも、

と思わされてしまいます。
ワンピースに出てくるレジェントたちがものすごい経歴を持っているように、彼らは彼らなりに頑張ってきたからこそ、次の世代へとバトンを渡せる立場にいます。
それは主人公のクルーも一緒です。
主人公のルフィを応援してくれる人たちが出てくるのは、何よりルフィたち自身が頑張っているからでもあるからです。
彼らは若いながらに「現役として」頑張り続けるからこそ、他の仲間や敵からすらもリスペクトされるのですね。
僕らの世界でも同じことが言えます。
僕も30代後半とはいえ、まだまだ自分のできることをやっていかなければならない立場でもあります。
さらに言えば、自分が頑張っている(きた)からこそ、若い人たちが今苦労していることもわかるので、応援することができます。
これは、

とか、

と、そういうことを言っているわけではありません。
- 自分が若かった頃はなりふり構わずに戦ってきたように
- ルフィのように若い子どもたちが必死で生きているように
その志を忘れないことです。

そう思えるからこそ、学生や若い子たちとともに歩んでいる気がしますし、「応援される側」になることができます。
要は、いつまでも外野からサポートするだけでなく、
- 一緒の土俵に立ち
- 一緒に戦ってゆくこと
が大事なのです。
下の世代を応援している立場であっても、同時に僕らは「同士」とも言えます。
だからこそ応援されるわけですし、僕も “応援したい” わけですね。
こうした相互作用ができるかどうか。
それが、応援する側にも求められていることなのではないでしょうか。
おわりに
若い頃というのは、相手を認められなかったり、イキったりするものです。
でも僕が思うのは、

ということ笑。
自分だってそうだったのですからね。
大人たちも頑張り続け、かつ大人同士でも頑張っている人には応援してあげること。
優しさだけでなんとかしようとせず、自分自身も努力を重ねること。
僕自身もまだまだ頑張れますからね。
その上で「応援されるべき立場」を目指していきましょう。
それではまた!
コメント