30代が緊張することの意味を語ります【生きている証拠】

幸せ

こんにちは。

若い頃、すずきは「大人になればテストもないし勉強も終わりだから、働くだけで楽しい生活なんだろうな」と思っていました。

見てください。今の状況を。

テストを作っては採点し、働いてもストレスのかかる仕事ばっかりです笑。

というのは冗談ですが、特に定期テストや入学試験がなくなったというのはまさに思っていた通りでした。

こうして若い生徒たちを見ていると「大変だなぁ」と他人事のように思うこともあります。

しかしすずきにとって刺激のない人生は御免です。

実は今でも身体がこわばり吐きそうになるような「緊張してしまう場面」を体験することがあります。

そんなすずきの緊張に対する考え方をお伝えしたいと思います。

緊張とは

「緊張」というとリラックスの真反対にあってネガティブなイメージを持ちますし、できれば人生の中で「緊張しないほうがいい」という考えを持っている人が多いと思います。

しかしほどよい緊張は最高のパフォーマンスのために必要だと言われています。

むしろ体をたかぶらせることは、いずれ来るであろうパフォーマンスのために体が準備をしている状態でもあるのだそうです。

大人になっていくと、確かにそういった場面が少なくなっていきますよね。

個人的にはそれは経験を積んで新しい体験をすることが少なくなるからだ、と思っています。

子どもの頃って、良くも悪くも自分の能力を試される時がたくさんあるじゃないですか。

特に学校という現場。

どれをとっても「これは一度きりしかない、失敗できないイベントなんだ」と思っていました。

定期試験は毎度のこと緊張していましたね。手汗びっしょりでしたよ笑。

「安定や平穏」という言葉はもちろん好きではありますが、その中でできる「挑戦や変化」という言葉もまた好きです。

ゆえに大人になっても僕は緊張感は必要なんじゃないかって思っています。

緊張を感じる時とは「自分が試されている時」で、「自分が成長するチャンスの時」にしか感じられない胸の鼓動だと思うんです。

だからすずきは緊張することをポジティブな感情としてとらえています。

緊張する時

では緊張する時とは一体どんな時でしょうか。

そして、どのようにその緊張感を味方につけるべきなのでしょうか。

すずきなりの参考にならない経験談(笑)をお伝えしていきたいと思います。

ダンス

まず思い浮かぶワードはダンスショーケースです。

「ショーケース」とは、お客さんたちの前で約5分ほどのパフォーマンスを見せるもので、社会人でも多くのイベントが開催されています。

すずきはこう見えて大学のサークル時代には数え切れないほどのショーケースに出演していましたので、そのたびに毎回緊張していました。

なぜ緊張するのかと言いますと、それは練習してきたからです。

死ぬほど合わせの練習をし、鏡を見て、動画をチェックして、コメントをもらって、修正して…という練習を数ヶ月にも渡っていたわけです。

その後に出るショーケースが何度目の経験であっても、緊張しないはずがありません

「そんだけ練習してれば失敗しないものなんでしょ?」と思うと思います。

しかし出る側の緊張感というのは「失敗を恐れている緊張感」ではなく、武者震いに近い興奮も交ざりますので、ちょっと緊張とは違ったものかもしれません。

いかにお客さんに喜んでもらえるか。

いかに最高のパフォーマンスを見せられるか。

これを考えるだけでもうテンションが爆上がりしてしまうのですよね。

すずきは社会人になってからも、ありがたいこtに定期的にこのような経験がありました。

今はコロナの影響であまりできていませんが、「次またショーケースに出る」となったときも間違いなく緊張すると思います。

それでもこの感覚がまた病みつきになるんです笑。

僕は緊張しいですから、「毎回緊張するという事実」にはもう慣れました。

そこでそれを逆手に取ることを思いついたのです。

緊張することで最高のパフォーマンスのための臨戦態勢に入る

この感覚があると、緊張感を味方につけることができるのです。

試験や資格

すずきは最近、簿記3級をとりました。

その試験では手が震えるほど緊張しました。

以前にも社会人になってから英検1級を受けた時には、心臓バックバクでした。

すずきは昔から「勉強→試験」という過程を死ぬほど経験していますし、なんなら大学入試は2回経験しております。はてなぜでしょう。

これらもダンスパフォーマンスと近しいところがあります。

勉強してきたからには最高の結果を出したいと思うのが常ですので、身体がこわばります。

ある意味、過度に自分に期待してしまっているということもあります。

それでもよく試験には落ちますし、失敗することのほうが多いです。

しかし社会人になって「何回も受けられるし適当でいいや」と思ったことは一度もありません

そのような試験で緊張しないことはあり得ないのです。

落ちたら悔しいし、受かったら嬉しい。

それは10代、20代の頃と変わっていません。

子どもの頃のすずきに聞かせてやりたいものです。「社会人になっても緊張するんだぜ?」と。

ただ大人になって緊張が有利に働くのは「恥を捨てていい」「失敗したっていい」「何度挑戦したっていい」ということがわかったからだと思っています。

若い頃は勝手に周りからのプレッシャー(実際はない)を感じては「ここで終わったら全てが終わりだ。みんなからバカにされる!」という、謎の超絶ネガティブな緊張感にさいなまれていました。

今は気楽に受けられているということではなく、ポジティブな緊張感を持って試験に臨んでいられています。

この緊張感を社会人で感じられるということは挑戦や成長を意味するため、僕の人生では大変重要な役割を担っています。

新しい人・場所・ものごと

程よい緊張感は「ワクワク・ドキドキ」と変換することもできます。

僕は週末によく新しい駅に降り立ちますので、その瞬間は少し胸が踊っています。

新しいお店や初めての美術館、初めて会う人、初めての体験。

自分にとって「新しい・初めて」という語句がついたら、それは僕にとって「緊張感を伴うもの」です。

初対面の人ともそうですし、おしゃれなお店に入ろうものならば一気に体温は上昇笑。

店員さんがお姉さんだった矢先には、もう身体がカチコチになりますね。

その一方で、そうした体験が自分を若くしているとも思っています。

若い時にする体験は、ほとんどが「初めてのこと」ですからね。

大人になっても緊張感のある、新しいことに積極的に触れることで、自分を若く保っていられるのではないかなというのが僕の持論です。

だから週末はこうして新しいサウナや施設、新しい美術館や土地、新しい人たちに会いに行くようにしているのかもしれませんね。

おわりに

他にもあげればキリがないくらい、すずきは意外にも緊張と切っては切れない関係があります。

プレゼンもそうだし、久しぶりに会う教え子もそうだし、ダンス練習会もそうだし、もう緊張だらけです。

もはや「緊張まみれ」です。

昔、そんなすずきがサークルのショーケースで大トリを踊る時、緊張で吐きそうになっていました。

胃の中身が全部ひっくり返って出るんじゃないかと思うくらいでした。

その時に友人から言われた言葉は、今でも僕を勇気付けてくれます。

すずき、緊張するっていうことは、生きている証拠だ

と。

心臓が波打つということは赤々とした血液が身体中を駆け巡り「お前は生きているんだ」と自分に訴えていることなんだなと、その時唐突に理解しました。

緊張を感じられる場面は、僕が生きている証しなんだなと。

だったら大人になっても緊張したっていいじゃない。

それが僕に輝きをもたらし身体中の細胞を奮い立たせているのなら、その経験はたくさんあったほうがいい。

そう思うようになりました。

だから今でも何かに挑戦することは、僕にとって生の証明でもあると思っています。

だって一度しかない人生ですもの。

生きていることを感じることができるって、とても大切だと思います。

サウナに行ってピースフルかつマインドフルネスってのも大事な時間ですが、荒々しいダンスバトルとか緊張感のある試験にも挑戦していこうかなと思います。

口だけではなく行動で示さないとですね。ちょっと燃えてきました。ふつふつふつ…

それではまた!

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