こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
先日、英検1級を受けてきました。
と思い、受けてきた次第です。
以前の僕でしたら、そもそも受けてなかったと思います笑。
何年か前に、なぜか意気込んで2回連続で受けたこともありましたが、あれから何年も経過していました。
今日は、
- 僕の英検を受けるまでのマインド
- 受検の時に公言することのメリット
などを書いていきます。
今までのマインド
挑戦することは「それ自体が素晴らしいこと」なのは間違いありません。
しかしそれを公言することは、僕にとってハードルの高いことでした。
その裏に、
というマインドがあったからです。
公言したのに悪い結果が出てしまえば、
- バカにされたり
- どこかの誰かにディスられたり
するのではないかと、勝手に怖がっていました。
しかし逆の立場になって考えてみると、その発想がいかに無意味であるかがわかります。
基本的に人は自分のことに精一杯で、他人に構っている余裕はありません。
例えば僕やみなさんが、他人の資格試験結果や大会結果に、いちいち一喜一憂するでしょうか。
もちろん、成功した時には、
と声をかけます。
その人の挑戦を尊重し、
と思うものです。
その程度であり、人は周りの人の挑戦や目標について「いい意味で」気にしてなんかないのです。
大切なのは「自分がどうなりたいか」であり、人の挑戦や成功は勝手にモチベーションへと変えてしまえばいい。
それだけのことなのです。
それに気づくのには、だいぶ時間がかかりましたね。
また以前の僕は、人の成功が羨ましかったですし、なにより素直に喜ぶことができませんでした。
それは僕自身に、
- 実力がなかったこと
- 余裕がなかったこと
が原因でした。
そもそも自分が一所懸命頑張っていれば、その辛さや苦しさを理解することができるはずですし、成功者をほめたたえる余裕もあるはずです。
ただの妬み、劣等感ですね笑。
それでも、少しずつ実力をつけたおかげで、
と思えるようになってきました。
自然と恥ずかしさもなくなり、挑戦することに怯えなくなりました。
その姿を、むしろ大々的に公言してしまおうとまで、思えたのです。
これからの目標を公言してしまうメリット
「目標としていることを、あえて公言する」
これに対して抵抗があるのは、おそらく日本の、
- 「失敗を笑う文化」
- 「失敗を嫌う文化」
- 「失敗を恐れる文化」
にあると思っています。
とてもネガティブに聞こえますが、実際に学校現場でそう感じることは多いです。
誰も笑う人なんていないはずなのに、心の中で、
とささやいてくる悪魔が、勝手に顔を出してきて、挑戦することをためらってしまいます。
今回、僕はSNS等で、
と発信しました。
実はこうやって、
「試験受けること」=「受かることを目標にして、チャレンジすること」
を堂々と宣言するのは初めてでした。
それでも、清々しいまでに嬉しいメリットがたくさんありました。
自分の行動に責任を持てるようになる
「アイシールド21」というアメフトの漫画があります。
その1シーンを引用します。
謙遜なら誰でもできる
だが自分でNo.1なんか名乗ったり 果たし状叩きつけたりすりゃ
待ってんのは負けた時の嘲笑だ
奴は負けらんねぇ覚悟を 進んで背負ってやがる
「謙遜なら誰でもできる」
この言葉は、「予防線を張ることは誰でもできる」ということを意味していると思っています。
それに対し、
と、失敗するかどうかは気にせず、挑戦する姿を全面に出すこと。
そうすれば、自分に対する覚悟を再確認することができます。
このほうがよっぽどカッコいいです。
失敗したって恥ずかしくないから、目標や挑戦を公言するのです。
このマインドを持っておくだけで、1つ1つの行動に責任を持つことができるようになりました。
と、自分を鼓舞することもできました。
また、
という気持ちを、他人だけでなく自分にもしっかりと伝えることができました。
「公言すること」に特別な感情を持ってしまっている時点で、失敗に対する何かしらのネガティブな気持ちがある証拠です。
いつまでも挑戦者なのですから、パーフェクトを目指さず、目標に向かって挑戦し続ければいいのです。
公言してしまえば、逆にメンタルが軽くなり、むしろ自分を強く持てる。
そう感じた瞬間でした。
周りと一体となって戦うことができる
特にSNSの効果で大きかったのは、周りのみなさんの応援でした。
以前の僕は、応戦されればされるほど恥ずかしいと言いますか、やはり失敗した時の自分を想定してしまっていたんですよね。
しかし先ほど書いた通り、周りの人は基本的に、誰かの成功や失敗に関心がありません。
僕の周りは素晴らしい人たちだらけなので笑、結局は、
と言ってくださります笑。(優しい!)
こうして「これから頑張ること」を公言することによって、みなさんが応援してくれるのです。
自分が頑張ってきたのだから、そのように応援されてもいいのです。
特に「ともに英語を学んでいる者同志」であれば、結果がどうこうというよりも、お互いに学び合える存在であるかどうかのほうが、よっぽど重要な課題なのです。
おかげさまで当日は、
と思うことができました。
ダメならまた頑張ればいいですし、よければ勉強が報われたというだけです。
それよりも、ずっと仲間たちと学び続ける姿勢を持つこと。
この大切さに気づけたことのほうが、僕にとって大きな収穫でした。
おわりに
公言することは、自分を追い込むことのように思えてなりませんでした。
でも実は、いい意味で「結果にこだわらない」という気持ちの強さを表していると気づきました。
また、公言したところ、
と、30を超えたゴリラがもがいている姿に、称賛を送ってくださる人もいらっしゃいました笑。
若い頃は、
- 大会
- 体育祭
- テスト
など、良くも悪くも自分の実力を公然の目の前で試される場面が多かったものです笑。
社会人になりますと、挑戦する機会がめっきり減ってしまいます。
それはそれで別にいいのですが、やはり挑戦している時は心地よい疲労感があり、自分がわずかながらも成長している実感を得ることができます。
それなら、
- どんどん公言して、
- 周りを巻き込んで、
- みんなで一緒に上がっていけばいい
のです。
さぁ、みなさんも何かに挑戦して、発信してみてはいかがですか。
それではまた!
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