僕らが生まれてきた意味なんてないけれど【今が苦しい人たちへ】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、韓国語を勉強していましたら、中島美嘉さんが韓国で歌っている動画が流れてきました。

僕は歌に詳しくはありませんが、素人なりにこの方の表現力に感動し、涙が出てきました。

僕が学生時代には、『雪の華』という曲が流行りました。

ただ、もう一つの曲である『僕が死のうと思ったのは』という曲は、恥ずかしながらこの動画で知りました。

作詞作曲は「amazarashi」さんらしいのですが、いろんなメッセージが込められた曲らしく、

じゃあ、今こうして楽しく生きている僕はダメなのだろうか?

と考え、記事にすることにしました。

今日は「今を生きることがツラいのはなぜなのか」について書いていきます。

楽しく生きることはいいことだ。一方で、今がツラい人もいると思う。生きることって素晴らしいだなんて、簡単なことは言えない。でもひとたび人の温かさに触れられたら、もっと生きてみようって思えるんじゃないかな。

みんな楽しく生きているわけではない

僕はこうして毎日を「幸せに」生きようとしています。

だからよく、

ネガティブなことは言いたくないし、聞きたくもない

と言っています。

あのな。せいじみたいにみんなポジティブなやつばかりじゃねーんだよ

そんな声も、飛んできてしまうかもしれません。

かく言う僕も、昔はとてもネガティブなものでした。

2020年、コロナと離婚が一気に来た時は、軽い鬱(うつ)のような状態にもなっていました。

僕はこれから一体、何をして生きていこうって言うんだろう?

ただ、その時自分に言い聞かせていたことは、

それを公言したところで、気持ちよく思う人はいない

ということでした。

大事なのは、「近くの人」に思いを伝えることです。

別に、

僕だって大変だったんだ!舐めるなよ!

と言いたいわけではありませんし、「僕/私のほうが大変なんです賞」を獲るために、僕らは生きているわけでもありません。

大前提として、その人のツラさや幸福度は、他人が測れるものではないということ。

乱暴に言ってしまえば、

そんなもの、知ったこっちゃない

ということ。

みなさんもそうじゃないですか。

他人に構っているほど、誰も暇じゃありません。

みんな自分のことで精一杯。

だから、近くの人に話をするくらいでいいのです。

ツラい人がいることは、学校の先生をやっていた時から重々わかっています。

ただ、僕はその人にはなれないし、みなさんも「僕になれる」わけでもない。

大事なことは、幸せになれるように努力することでした。

それすらもできない人がいることも、もちろんわかっています。

誰もが、それぞれのツラさを持っていながら、

自分の人生って、一体なんなんだろう?

と考え、毎日を生きているのですからね。

誰もが楽しく生きているわけじゃない。でも幸せになれるように努力することはできる。それもできないという人も、人生をどうしたらいいのか常に考えているのだ。

僕が毎日を笑って生きる理由

それぞれ過去があるものです。

漫画ワンピースに出てくるキャラクターたちなんて、現実世界ではありませんが、本当にツラい過去を背負いながらも、懸命に生きています。

当然、それと比べてはいけませんが、僕はそんな彼らのひたむきさに惹かれ、ワンピースを読み込むようになりました。

たぶん多くの人にとって、「生きること」はツラいことなのだと思います。

働かなきゃいけないですし、生きていくにはある程度の努力が必要ですからね。

今終わってしまえば、どんなに楽だろうか

と、そう考えてしまっている人が出てきてしまうことも、残念ながら否定することはできません。

もともと仏教の考え方にあるのが、

生まれてきたことに意味なんてない

というものであり、そもそも人生とは苦痛である(一切皆苦)という教えです。

僕は仏教徒ではないので詳しくありませんが、

まぁそうだなぁ

と思うことはよくありました。

ただ、「だからネガティブに生きろ」というのが教えだというわけでもありません。

そうか。それだったら僕は、できる限り笑って人生を終えたいかな

それが僕なりに出した「答え」でした。

確かに、人生はツラいことばかりです。

理不尽なこと、思い通りにいかないことがあれば、最愛の人を失った人だって世の中にはたくさんいます。

それでも、一回きりの人生じゃないか。僕は楽しく生きていきたい

そう思うのです。

当然、押しつぶされそうな、張り裂けそうな気持ちになることだってあります。

眠れない夜も、ふと逃げ出したくなる時もあります。

その気持ちを無視する必要もないですから、あとはどう受け入れて進むかだけです。

その苦悩や悩みと、どう向き合って生きていくのか。

それは、それぞれがそれぞれなりに、答えを出していかなければならないのですね。

人生なんて、ツラいことやイヤなことで溢れている。それを受け入れてでも、僕は笑って一生を終えたいのだ。

ツラい時は人の温かさに触れること

人生とは自分なりに答えを出すものですから、「この世を去る」という結論を出してしまう人もいますし、僕がそれを止めることはできません。

幸い、僕は考えたことがありませんでした。

それはひとえに、僕の周りにいつも助けてくれる人たちがいたからでした。

この中島美嘉さんの歌にも、そんな歌詞があります。

愛されたいと泣いているのは

人の温もりを知ってしまったから

僕が生きていけるのは、幸運なことに僕が多く人たちの温かさに触れてきたからでした。

自分がどうして生きているのかわからなくなったり、苦しくなったりする時とは、大抵は独りになった時だと思っています。

コロナ禍の時に多くの人が「しんどさ」を感じたのは、どこかに虚しさを感じていたからだと思います。

  • 会いたいのに会えない
  • 話したいのに話せない
  • 集まりたいのに集まれない

これほどしんどいことはありませんでした。

僕は一人の時間が好きですが、やはりどうしても限界を感じてしまいました。(当時は離婚もしていましたしね)

それでも、学校が再開したり、集まることが良しとされたりし始めたことで、徐々に精神的に回復していったことを覚えています。

だから「人と触れ合うこと」は、生きる上でとても大事なことだと思っています。

必須と言ってもいいでしょう。

だからと言って、「他人に依存しているだけの人生」ではうまくいかないのが、難しいところですけれどね。

ここであえて公に「自分は今ツラいんだ」とは言わずに、近くの人に思いを告げてみたらいかがでしょうか。

人の温かさに触れますと、

この世の中も悪くないな

と、そう思えるからです。

僕が世界を回っていた時は、そんな「人の温かさ」に救われたことが多々ありました。

世界は、人々は、みなさんが思っている以上にとても美しいです。

そんな、

  • 美しさに
  • 温かさに

触れてしまったら、「もうちょっと生きてみたいかもな」と思えるはずですから。

僕は今日も、空を見上げています。

なんだよ。今日も空が綺麗じゃんか

と、もっと世界や人々の美しさに触れていようと、そう思えるからです。

生きることが苦しくなる時もあると思う。そんな時は、人の温かさや世界の美しさに触れみたらいい。もっと生きてみても悪くないかなって、そう思えるから。

おわりに

この手の話題は、本当に難しいです。

毎回、書くときにとても考えてしまいますしね。

ただ、答えなんてないからこそ、誰かに届くように僕は書き続けます。

人の温かさに触れた僕は、毎日をもっと一所懸命生きようって、そう思えていますよ。

みなさんは今日を、どのように生きますか。

それではまた!

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