ふと思い出し、また次へと進んでいこう【東北に想いを寄せて】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日は3月11日。

東北を大地震が襲った日でした。

毎年この日は、多くの方が特別な感情を持つと思います。

僕もそのうちの一人でして、東北にルーツを持つことから、どこか胸騒ぎのするような、そんな感覚があります。

ただ、前回の記事でも書いた通り、

  • 変に「忘れるな」と強要もせず
  • 心のどこかに想いを残しておく

この按配が大切だと思っています。

今日は「過去から一歩前に進むこと」について書いていきます。

思い出したくない過去の記憶は、誰にでもある。それを前に進むためのエネルギーとして、どう使うことができるかが大切なのだ。

心のどこかに置いておくこと

みんながみんな、東北に対して想いがあるわけではありません。

遠い土地のことだ

と思う人はいるでしょうし、海外の人であれば知らない人は本当に知りません。

僕らが逆に、海外についてよくわかっていないことが多いように、自分の生活圏から遠ければ遠いほど、興味や関心も薄れてきます。

また世代が下がっていくにつれ、実体験をしていない子どもたちも出て来ますから、これは仕方のないことです。

これに対して、

知らないなんてダメなやつだ

という人がいるかと思いますが、僕はそれは違うと思っています。

想い」は人それぞれですし、それぞれの毎日を必死に生きることだって、僕らには大切なことだからです。

ただ、ここで大切なことは、

  • 全く興味がない
  • どうだっていいと思っている

という姿勢を持たないことだと思っています。

特に僕らのように日本に住んでいるのであれば、そういうことがあったということは、心のどこかに残っていれば良いのかなとは思っています。

このような「悲劇」を無理に残していくような感覚は、下の世代にとってもあまり良いとは思えません。

ただただ3月11日になった時に、想いを持っている人たちが東北のために祈りを捧げること。

あとはそれぞれが思うように後世に伝えていきながら、それぞれが心のどこかにその「想い」を持っておくこと。

難しい按配ですが、毎日のように大きな事件が起こっているこの世の中ですから、

全てを忘れてはいけない

と言い始めますと、あれもこれも毎日のように思い出さなければなりません。

それぞれの想いはそれぞれの重さでいい。

それぞれの形で、想いを届けていきましょう。

起こった悲劇を無理に思い出させようとする必要はない。それぞれが想いを寄せ、祈りを捧げていこう。

過去を糧にすること

過去とはどうしても変えられないものであり、僕らは今を、先を見ていかなければなりません。

もうすでに終わったものに対して固執しては、それを自分で引きずっていくばかりか下の世代に押し付ける…

それでは一向に前に進むことができません。

せいじは東北にいなかったからそんなことが言えるんだ

そんな風に思う人もいるかもしれません。

でもそれは、実は真実なのだとも思っています。

だからこそ、

  • 想いを寄せること
  • 自分にできることを精一杯やっていくこと

これに尽きるのではないかなと。

わかっていないのにわかったフリをする必要もないですし、そもそも僕らにできることなんてたかが知れています。

そんな「事実」を理解した上であれば、あとは進んでいくだけです。

それしかありませんよね。

東北が奇跡の復興を遂げているのは、人が前を向いて歩いているからだと言わざるを得ません。

まだまだ完全に復興したとは言えませんし、心の傷が癒えることも完全にはないでしょう。

しかしそれは、人それぞれ必ず持っているものであり、癒えない傷についてずっと考え込んでいても仕方のないことです。

以前の僕は、そんな「傷」を持っていることが、どこかアドバンテージだと思っていました。

  • 悲惨な過去がある
  • 悲劇を目の当たりにしている

そんな経験があったり、劣悪な環境で育ったりしていたほうが、なんだか強いと言いますか、

俺の経験のほうがすごい

と言えるような気がしたからです。

でも実際、そんなことはありません。

ツラい経験なんて、ないに越したことはないのです。

ただ、人生は理不尽がつきものですから、それぞれがツラい経験をしてきていることは間違いのないことでしょう。

そこに「どちらが上でどちらが下」とか、そんな優劣はありません。

大切なことは、それぞれの大小いろいろある傷を、どう先に繋げていくことができているのかですよね。

ツラい経験を乗り越えるのにも、長い時間を要する人もいれば、すぐに忘れて次に進むことができる人もいます。

それもまた、それぞれの人生です。

うまく過去と付き合いながらも、最終的に求めている結果は、「未来に向かって歩き始めること」です。

過去にとらわれるなとは言いませんが、求めていることはもう決まっています。

それなら、もうやるべきことはわかりますよね。

過去は変えることができない。ツラい過去の経験に大小や優劣なんてない。それぞれが自分なりに消化(昇華)して、次に向かって進んでいこう。

僕なりの過去との向き合い方

じゃあせいじは、ツラかった過去とどう向き合っているの?

僕は過去のことを気にしていないわけではありません。

たまに思い出すこともありますし、東日本大震災につきましても、

3月11日か…

と思い出しますからね。

これは先述した通り、「心のどこかに置いておく」というスタンスをとっているからです。

とても効果的な方法は、「」に注力することだと思っています。

今を全力で生きること。

そうすれば、「全力で生きた過去」で毎日を埋めていくことができるのです。

ん?どういうこと?

つまり、今この瞬間も、毎分毎秒が過去になっていくということです。

それなら、きちんと毎日を生きていくことが、結果的に未来に繋がります。

  • 数時間後
  • 数日後
  • 数ヶ月後
  • 数年後

に、

あぁ、必死で生きていてよかったな

と、未来の自分が胸を張って振り返ることのできる過去であるかどうか。

その過去とは、他ならぬ「今」になるのです。

「今」の積み重ねが「過去」になるのならば、今の今を全力で生きる以外に、未来の自分を救う方法はありません。

そのように考え始めてから、僕は「今」を一所懸命生きることで、過去を積み上げることにしてみました。

その例がブログであったり、英語やダンス、ランニングもまた含まれるのだと思っています。

そうやって、過去をなんとかしようと思うのではなく、今をどうにかしようとすること。

僕はこれからも、この考えを大切にしていきたいです。

それは何より、今後向き合う「過去」となるのが、「今である」ということを知ったからなのです。

過去との向き合い方は難しい。それなら、いずれ過去になる「今」を全力で生きてみよう。その「今」が積み重なって、素晴らしい過去となればいいのだ。

おわりに

大きな事件や悲惨な過去を、あまりにも誇張して発信していくことには、抵抗があります。

ふと思い出すことは大切かもしれませんが、いつまでも過去に浸っていては前に進めません。

それぞれの傷が癒えるまでの時間はまちまちです。

今を大切にしていけば、その「今」はどんどん良い過去になっていきます。

少しずつ、素晴らしい人生を紡いでいきましょう。

それではまた!

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