僕が人の幸せを願うようになったわけ【より大きな幸せを求めて】

人間関係

こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki

今日は七夕だったのですが、案の定、すっかり忘れていました笑。

しかしすんでのところで思い出し笑、最寄駅の七夕祭りに便乗して願いを書いてきました。

以前では、このような考え方に至ることができませんでした。

いかに「自分の幸せ」だけを願っていた人生だったか。

とはいえ、まず第一に自分の幸せを考えることはとても大切なことです。

そうしないと「他人の幸せを願う余裕」が生まれないからですね。

ただ、そこで完結するのでなく、さらに人の幸せを願うこと

これが僕の課題だったのです。

今日はそこに至るまでのマインドをお伝えしていこうと思います。

幸せを願うなら1人で完結させないほうがいい。人の幸せを願うことは、何倍もの幸せをもたらすからだ。

不幸マインドからの脱却

以前の僕は、

  • 人の成功を妬み
  • 人の幸せがイヤで仕方ない

というクズっぷりでした笑。

自分のほうが下」と自分で認めることが、イヤで仕方なかったのでしょうね。

相手のできていない部分を指摘することでしか、自分のポジションを保つことができなかったのです。

とても視野の狭い考え方でした。

そのようなマインドを持っていたせいもあり、

  • 人は離れて行き、
  • 誰にも褒められなくなる

という残念な状態となっていました。

そんな時、諸事情で「お金の勉強」を開始しました。

固定費の削減や少額投資など、簡単なことから始めました。

それと同時に「心の勉強」も一緒にしてみました。

  • 人生
  • 幸せ

について本を読み、自分なりの「最適解」に落ち着くことができました。

徐々に、のび太のようなマインドも持てるようになりました。

あの青年は人のしあわせを願い

人の不幸を悲しむことのできる人だ。

それがいちばん人間にとってだいじなことだからね。

言わずと知れた「のび太の結婚前夜」という短編映画の名場面です。

しずかパパによる名言ですね。

人の幸せを願えるようになったのは、自分の幸せに執着しなくなったからということもあります。

「足るを知ること」で、他人の幸せに目が向くようになったのです。

人の幸せを願うことができるようになるには、まずは自分の幸せが何なのかを探すところからだ。

自分の幸せを定義しよう

「自分の幸せに執着する」ということは、

もっと幸せになりたい!

と強く願うことだと思っています。

今の僕が幸せを求めなくなったかと言いますと、もちろんそんなことはありません。

ただ、前より飢えや渇きは圧倒的に少なくなってしまいました。

僕はこの状態を、とても良い状態として捉えています。

それだけ、

  • 自分が満たされていることが多くなり
  • 何が自分にとって幸福度が高いのかがわかった

からでした。

  • 自分を大きく見せようとする見栄も
  • 他人を批判して蔑もうとする姿勢も

なくなったのです。

もっと小さくて身近なところに、幸せがあることに気づきました。

  • 運動している時間
  • 1人で旅をしている時間
  • 勉強や読書をしている時間
  • 家族や友人、仲間たちとの時間

など、毎日続けられることは幸福度が高いことがわかりました。

それだけ「好きだ」と言えるからです。

まずはこのように、自分なりの幸せを見つけることです。

そうしないと、人の幸せを過剰に妬んでしまうからです。

自分の幸せさえわかれば、

さぁ、僕の/私の幸せを探しにいこう!

と思えるようになります。

人の「幸/不幸」に反応しなくなるのです。

まずはその段階にいくこと。

その上で僕は、

じゃあ人の幸せって何だろう?

と考えるステップに移ったのです。

まずは自分が何に幸せを感じるかを考えてみよう。自分の幸せさえわかれば、いつでも満たされるようになる。

なぜ人の幸せを願うようになったのか?

結論から言いますと、人の幸せのほうが自分の幸せの何倍もの幸福度があると感じているからです。

「自分の幸せ」は、意外と簡単に実現することができました笑。

一方で、教員をしていることもあるからか、

  • 人の成長
  • 人の目標達成

を願うことが多くなり、徐々に他人が夢を実現している瞬間を、自分ごとのように思えるようになってきました。

それなら、人の幸せのために生きてみよう

もともと教員を始めたきっかけは、教える楽しさがきっかけでした。

しかし若い時は、

教えてる自分、かっこいい〜

と勘違いをしていたものでした笑。

人は頼られると嬉しいものですからね。

どこか「渇き」がある人間が教えてしまいますと、「承認/感謝/褒め」を欲してしまいます。

  • 認められたい
  • 感謝されたい
  • 褒めてもらいたい

この気持ちが先行しますと、長く続かないどころか相手からよく思われなくなります。

僕が徐々に変わっていったのは、やはり自分が満たされたことが要因だったと思っています。

もちろん、感謝されることは嬉しいことです。

ただ「相手の幸せを願うこと」が先行していますと、こちらも気持ちよく教えられますし、邪(よこしま)な気持ちもなくなります。

結果として喜ばれたり感謝されたりすれば、その幸福度は文字通り青天井です。

だから今の僕にとっては、「人の幸せ」を願うほうがいいのです。

キレイごとではなく、自分では得ることのできないほどの大きな幸せを得ることができるからこそ、人の幸せを願うのです。

自分の幸せがわかったら、次に人の幸せを願ってみよう。その「幸せ」は、自分1人では実現することができないほどの大きさになるからだ。

おわりに

人の幸せを願えるようになってからは、自分の心もだいぶ穏やかになってきました。

とはいえ、願うだけでは何も生まれません。

七夕に願いを込めることは良いことですが、切に願っているだけではいけません。

こうするんだ!

という気持ちを持って、短冊に書くと良いでしょう。

「実現しない願い」を書いても仕方ありませんからね。

いずれ自分がその願いを叶えるのだ

という意気込みで、僕はこの想いを書きました。

僕1人の力では、世界中の全ての人を幸せにすることはできないかもしれません。

でも、自分の周りの世界の人々なら、幸せにすることができます。

僕は僕の夢を叶えるために、少しずつ行動していきたいと思います。

それではまた!

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