僕の毎日が充実するようになったのはなぜか【一所懸命働くこと】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

投資を始めた僕は、少しずつ人生が豊かになりました。

最初こそ疑いの目を持って取り組んでいたのですが、だんだんと「市場に投資をする」といった意味がわかってきて、今となってはその恩恵にあずかっています。

しかし始めた頃には、

  • 投資
  • 投機

の違いすらわかっていませんでした笑。

確かに「即時的なお金」を求めることも悪いことではありませんが、いろいろと勉強した今となっては、あまり人に勧めるようなことはしません。

お金』とは、

人のために汗水流して働いた結果、もらえる対価

だからですね。

今日は「働いて稼ぐこと」について書いていきます。

働いて稼ぐっていうことは、即時的にお金をもらうことではない。もっと長期的に努力して得られる結果なのだ。

働くってなに?

僕が先生をやっていた頃は、「働くこと」が、何かを我慢して得られる対価だという思い込みがありました。

当然、そんなことはないのですが笑、あえていうなら、

人がやりたくないと思うことをやってあげること

これが「働く意味」の一つだと思うようになりました。

また、ツラい仕事だけでなく、

  • 意味がある
  • やりがいがある

といったことも、働く上で重要になってきますよね。

我慢してでも「もらえるお金」もなくはないのですが、僕が先生をやっていた時は、ちょっとした「我慢」の上に、それだけのお給料をもらっていたような、そんな気がします。

また、投資の勉強を始めたことで、

瞬間的にもらえるお金なんてないんだな

ということもわかりました。

宝くじやギャンブルなどで仮にお金を得たとしても、それらは少なくとも僕の力で得たものではありませんからね。

とても古典的な言い方になってしまいますが、

  1. 誰かのために
  2. やりたくないことや面倒なことなど
  3. その人に感謝されるようなことを与えること

によってお金が得られるのだということが、恥ずかしながら何年か働いてからわかるようになりました。

「働く」とは、適当に時間を差し出してお金をいただくわけではありません。

そこにはちゃんと意味がありますし、最初は時間もかかります。

そうした基本的なことがわかるようになりますと、

昔はなぜお金がもらえていたのか、ちゃんと理解できていなかったのだなぁ

と思うようになりましたね。

働くとは、誰かのためになることを進んでやることで、お金をいただくことだ。速攻でもらえるお金なんてないのだ。

あぶく銭はすぐ消える

先ほども書きましたが、

その場で適当に得たお金は、一瞬にして消える

というのは、実はよくあることです。

僕は宝くじやギャンブルはしませんので、「楽をしてお金を得る」という経験がありませんでした。

強いていうなら「お年玉」くらいでしょうか。

でも僕が、仮に何かで即時的にお金を得たとしても、たぶん、

  • すぐに使ってしまうか
  • 投資に回してしまうか

してしまうと思います。(投資はまだマシ笑)

え?あの倹約家のせいじも?!

あまりイメージしたこともありませんので、なんとも言えないですけどね。

たぶん僕の意識の中で、そうしたお金は、

自分の力で得たお金

という認識がないのだと思います。

この手の話はよくあって、例えば芸能人やスポーツ選手なども、自分の力で得たはずの大金なのに、なぜかすぐに使ってしまうらしいのです。

それは僕のスタンスとはまた異なりますが、僕なりがなぜかと考えますと、「自分に見合ったお金の使い方」をしていないからなのかなと思っています。

だから僕も「自分の生活以上のお金」が入ってきたとしたら、戸惑ってしまうか「最初からなかったもの」として換算してしまうかもしれません。

そうしないと、どうも自分の生活のリズムが狂ってしまう

と思うからです。

今は、

  • 配当金
  • 自分の事業

を育てていくことで、少しずつ生活を楽にしようとしています。

本当の意味で「自分の力」でお金を作っていくことは、そこに “意味” を持たせることとなります。

なぜそのお金が稼げたのか?

と、自分の中でプロセス(過程)を理解しているからです。

スポーツや学習、芸術や音楽などがすぐに大成しないことと一緒で、「お金を稼いで生きていく」ということにも、必ず「プロセス」があります。

それを知っていますと、今働いている意味もわかりますし、そこに意味を持たせることもできるようになってきます。

なぜ今働いているのか。どうやって稼いだお金なのか

と。

「過程のない稼ぎ方」は、意味を伴ってきません。

人生において、即時的なものとは「即時的に」消えてゆくものです。

その事実を理解し、普段の仕事を大事にしていきましょう。

即時的に得たお金はすぐに消えてしまう。そこには過程がないからなのだ。

僕が毎日頑張る理由

毎日僕が頑張れるようになったのは、自分の働き方にちゃんと「意味」を付すようになったからでした。

先述した通り、「学校での働き方」にもいろいろなことを感じていたのですが、

  1. やりがいがあると思ったこともあれば
  2. 意味がないのではないかと思ったこともあった

という、かなりあやふやな状態でした。

教員を辞めた今のほうが、

  1. こうやって働いているから
  2. これだけのお金をもらうことができている

と、より深く理解できています。

公務員としての教員時代は、いろんな雑務や責任を “コミコミ” にして、それなりの給料をもらうことができていました。

ただ、そこに理解があったかと言えば、正直微妙なところではありました。

だからこうして働いている今の自分のほうが、「働いている」という実感があります。

以前よりも「働くこと」それ自体に楽しみを見出していますし、とても楽しいです。

公務員としての教員と比べることはできませんし、それぞれにはそれぞれの良さがありますから、あとは好みや自分のスタンスによりますけどね。

今は働いた時間や取り組んでやっていることが、直接でも間接でも「対価」に繋がりますので、やりがいを感じやすいのだと思います。

また自分の「自由な時間」を使って発信することで、それが直接であろうと間接であろうと、自分の人生の豊かさを向上させてくれるのです。

こんな働き方をすればするほど、

やっぱり地道に人のために生きていくことが、最終的にはお金に繋がるのだなぁ

と思わされますね。

今はまだ自分の事業を始めて一年目ですから、試行錯誤しながら続けていこうとは思っています。

それでも、公務員時代とは違った「いい感覚」を持てていますので、もっともっと幸せになれるようにしていくだけです。

残念ながら、飛び級なんてありません。

地道に、ただただ続けていくだけなのです。

でも確実にその「芽」は育ってきていますから、僕は自分の道を信じて突き進みます。

そうやって、

  • お金
  • 仕事

の関係性を理解しながら、一歩ずつ進んでいくのです。

僕が毎日頑張るのは、そこに以前の働き方との違いを見出したからだった。一歩ずつ着実にいこう。それが最短の経路だ。

おわりに

仕事をしていますと、

本当に毎日頑張るからこそ成果が出るものなんだな

と実感させられます。

それは「昭和的な発想」というよりは、「現代を誠実に生きる感覚」からの発想です。

昔みたいな考え方で、

とにかく身を粉にして働け!

という乱暴な考え方ではなくて、形は似ていますが、そこにある「意味」や「気持ち」が大きく違います。

気持ちよく、毎日を必死に頑張るのです。

それではまた!

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