人と会う時間にはお金をかける価値がある【生きるとは会話すること】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

ゴールデンウィークともなりますと、世間は賑やかになってきます。

毎日変わらないルーティンを決め込んでいる僕も、何のご縁か友人たちと会う機会に恵まれました。

遠方から来てくれた方もいて、

  • 同窓会のような
  • ホームパーティーのような

そんな時間となりました。

このブログでは何度書いてもいいくらい笑、「人と会うこと」は僕の生きるテーマとなっています。

今日は「お金をかけてでも会いに行くこと」「生きるとは会話すること」ということについて書いてきます。

友人と会うならお金をかけてでも会いに行け。人間、いつ死ぬかわからないから。

人はいつ死ぬと思う?

僕の大好きな漫画ワンピースには、有名なセリフが出てきます。

人はいつ死ぬと思う…?

…人に忘れられた時さ…!!!

この言葉はとても有名で、その人の「生き様」こそが生きた証であり、その意志を受け継いで行く存在がいる限り、その人は生き続けるようなものだという意味も込められています。

偉人たちが今でも名前を残しているように、「偉業を成した人」はいつまでも僕らの胸に生き続けます。

だから僕が最終的に死んでしまうのは、人に忘れ去られた時なのだろうなとも思っています。

これはこれでカッコいい表現ではあるのですが、一方で今を生きられるのも今の人たちだけだという言葉も好きです。

今の時代を作れるのは

今を生きている人間だけだよ………!!

これもまた、作中の有名なセリフであり、対(つい)を成しているとまでは言いませんが、対照的な表現とも取れます。

僕はこちらの言葉のほうが好きですかね。

やはり自分が生きている間に、

多くの人と関わって最期を遂げたい

と思っているからです。

小学生・中学生の時は、未熟ながらも死生観を持っていて、

それを語る俺、かっこいい

と思っていたフシがありました笑。

でも今は、

  • 多くの国を回ったこと
  • たくさんの本を読んだこと
  • いろんな人と関わったこと

で、本当の意味での「今を生きる」ということを実感し、言語化できるようになりました。

明日死ぬかもよ?

という言葉も、冗談ではなく本当に思うことがあります。

だから家に一人帰ってきた時、

今日この日まで、生きることができてよかった…

と涙が出そうになることすらあります。

だって僕は、もうすぐ死ぬかもしれないのですから。

人は人に忘れ去られた時に死ぬ。でも肉体が朽ち果てた時は、もっとわかりやすい死だ。だから今日を生きられたことに、僕は本当に感謝するようになった。

お金をどこにかけるかは人それぞれ

そんな死生観を持ったせいじ青年は笑、いよいよ人と会うことにためらいを見せることがなくなって来ました。

今はセーブしている部分もありますが、

お金をかけてでも、人と会う価値がある

そう思って生きています。

ただ一方で、先ほどの章で「今を生きる」ということについて触れましたけれど、先の未来も見据えて生きていかなければならないこともまた事実だと思っています。

だから、

人と会うんだ!

と言って、お金を使いまくって「明日生きられません」ではいけませんよね笑。

とはいえ、やはりそうした「大切な時間」にお金をかけていくことは、僕にとっていつの間にか最優先事項となっていました。

これは人によって違っていいと思っています。

僕の場合、生活費がほとんどかかっていませんので、そうしたことにしかお金を使いませんからそれでいいのです。

「その時間」に幸せや価値を感じるのであれば、それはその人にとっての正解となります。

人のできる贅沢なんてたかが知れていて、世界一周をした僕にとっては、

別にゴールデンウィークに行きたいところなんてないけど、人には絶対に会いにいく

と思っています。

むしろそれが一番の贅沢だと感じているくらいです。

人と会って話す毎日。

そうして紡(つむ)いできた時間が、僕にとってかけがえのない時間となってゆくのです。

今の僕にとっては、別に偉ぶるわけでもなくて笑、

一体他に、何か幸せなことってある?

と感じているのです。

そういう意味では他に考えられることとして、「自分のビジネスをすること」で誰かの役に立っている時間がとても幸せですかね。

あとは、

  • カフェで言語学習をしたり
  • サウナや美術館に行ったり
  • ダンスやランニングをしたり

している時でしょうか。(ずっと変わっていない笑)

僕にとっての贅沢は、自分の時間を自由に使い、人のために生きている時なのでしょう。

ダイレクトに感謝されることって、誰でも嬉しいものですからね。

友人との会食は「接待交際費」にもなりますしね。

僕にとって最高の時間でしかないのです。

自分がかけたいと思うところに、お金をかけていくことだ。僕にとって人と会える贅沢以外の贅沢なんて、たかが知れているのだ。

生きるとは会話すること

先述した通り、家に帰りますと時々涙が出そうになる時があります。

別に苦しいわけでも、ネガティブなわけでもありません。

とにかく、

幸せな一日だったな

と感じ、一日に感謝するようになったからです。

僕は明日、死ぬかも知れない

ということを、より一層強く感じるようになりました。

では、生きるために僕がすべきこととはなんでしょうか。

僕が思うに、それが人との時間なのです。

  • お金をもらうことも
  • 人生を豊かにすることも

どちらも「人との時間」の中にあります。

だから僕は、人生の大半を「会話」に費やすようになりました。

  • 授業をすること
  • 人との付き合い

はどちらも「人と話すこと」であるように、僕はそこに大きな価値を感じるようになりました。

これもまた、人それぞれでいいのだと思いますが、

  • お金は人からいただくもの
  • お金は誰かのために使うもの

だと考えれば、人が介在することは不可欠であることがわかります。

「自分のため」にお金を使えば使うほど、メンタルはどんどん貧困になっていきます。

これは僕が過去に実体験したことであり、だからこそ「僕なりに」導き出せた答えでもあります。

僕にとって、

  • 今日も
  • 明日も

生きてゆけるのは、人との出会いがあるから。

だから最近は、

  • 朝活をしたり
  • 人と会ったり
  • 授業をしたり

している時間が本当に楽しくて、仕方ないのです。

それこそ、

これが生きるっていうことなんだと思う

と感じる毎日です。

生きるとは、会話をすること

人と作っていく「生きている時間」は、一人では作れない時間です。

いろんな人と出会えば出会うほど、その化学反応は面白いものとなっていきます。

これからも、自分が生きている時間は人との時間にしていこう

そう思うのです。

もちろん、どうしても合わない人はいますから、そこに無理に時間を割かなくてもいい。

人間、生まれたことに特別な意味なんてないですし、いつか「灰」となります。

だったら、幸せだけを追い求めていい。

人と会話できるためには、自分を強く持ち、あるがままに自由に生きてゆくことも大切です。

他人に依存することなく、かといって独り占めして生きていこうとせず、うまい按配で人との会話の時間を作っていこうと思っています。

生きるとは会話をしてゆくことだ。そこに時間を割くことが、僕にとって最高の時間なのだ。

おわりに

人と会い、話すこと。

あるいはオンラインで授業をし、話すこと。

僕はその昔、こんなにしゃべれる人間ではありませんでした。

そこに価値を見出せたのは、やはり「生きること」それ自体について、深く考えるようになったからでしょうかね。

だから僕は、今日もまた人と会い、話をしていきます。

明るい未来に向かって。

それではまた!

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