こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、大学時代の友人たちと一緒にサウナに行ってきました。
いわゆる「ラッコちゃん」と呼ばれる施設で、その熱さたるや信じられない熱さです笑。
草加に行くのは初めてでしたが、熱波を受けている間も、
と思いました。
オンライン英語教師を始めて、いろんな生徒さんと会うようになり、多くの人から授業をリピートしてもらえるようになりました。
対価は安いですが、人間誰かの役に立っていると幸せを感じるものです。
今日は「幸せを感じる瞬間」について書いていきます。
どうやって幸せを作り出すか
僕が「幸せ」について考え始めたのは、このブログを始めた2021年の4月です。(約3年前)
当然のことと言えば当然のことなのかもしれませんが、まず第一に「幸せ」について考えることが必要でしたからね。
この「内省/内観」をしたのは、不謹慎ながらもコロナのおかげでもありました。
人間、走り続けていると周りの景色が見えなくなるものです。
僕は典型的な狭い視野の持ち主でしたので笑、凝り固まった考え方しか持っていませんでした。
それでも徐々に僕が変わることができたのは、
- 投資
- 脱毛
- サウナ
- 美術館
- ブログ
- 世界一周
など、自ら幸せを「探しに」行ったことで、「何が幸せなのか」を見つけることができたからでした。
- 幸せについて考えて
- 実験として行動に移してみる
この流れを作ってみることです。
僕は日本に帰ってからはサウナにたくさん行っていますが、友人たちと行くサウナが一番楽しくて、その後カフェで「僕のしてきた旅」についてしゃべったり、「これからの未来」について語ったりするのが幸せで仕方ありませんでした。
幸せとは、決して決まり切ったものではありません。
自分で探して、自分で獲得するものなのです。
そして意外にも、幸せとは多額のお金をかけて得るものとは限らないのだということにも気づきました。
実はとても近くにあって、最低限のことで人間は幸せを感じることができます。
幸せは自分で考え、行動し、初めて目の前に現れるもの。
まずは自分の「幸せ」について考えてみましょう。
人の役に立ちまくること
僕が帰ってからも幸せを感じるようになったのは、世界の多くの国で「リアルな貧困」を目の前にしたからでした。
日本での生活のように、そんなに簡単に「ある程度の生活をすること」なんて、どの国でもできるものではありません。
現在、僕は日本での「幸せ」な生活に甘んじながらも、
と感じています。
いえ、何かをしているほうが「楽しい」と思えるようになったと言ったほうがいいのかもしれません。
僕なんかは、
- 英語
- 教育
- サウナ
- 世界一周
など、いろんな引き出し(=資源/リソース)があるため、人の役に立てることも多いです。(単純にラッキーでした。ありがたいことです)
それらの知識や経験を、誰かに伝えないわけにはいかないですよね。
「学校」という現場でも、授業を使って自分の経験を伝えたことはありましたが、やはり個々でいろんな生徒さんと英語を使って話したり、英語それ自体の質問に答えたりするほうが効率的であり、とても幸せな時間だと思えています。
もちろん、カフェやサウナの時間も好きでたまらないのですが、やはり人と話している時間のほうが、相互的なやり取りがあっていいのです笑。
僕が今、単純にサウナやカフェで「幸せだなぁ」と思えるのは、それ以外の時間でいろんな人と話し、自分の持てる全てをお伝えしているからだと思います。
お金をいただくこともあれば、単純に友人と話すだけの時もあります。
そうした「人間関係」が、僕の幸福度を上げてくれていることもわかりました。
もし今の僕に、
- 教育や
- 人の役に立つ時間など
が何もなかったら、あまり「幸せ」を感じていなかったと思います。
それだけ、人の役に立つということは、幸せに大きく関わってくるということです。
仕事をされている方は、土日や祝日、あるいは平日の夜などに、
と考えて、実験してみてもいいのかもしれませんが、
と思えたら、もっともっと「GIVE」が幸せに繋がっている理由がわかるかと思います。
あくまで僕の一意見ではありますが、シンプルなリラックスだけでなく、人のために身を捧げますと、人間幸せを感じるものなのです。
自由な時間を意識すること
以前にも書きましたが、
「自分の自由な時間(=可処分時間)をいかに持てているか」
も大切な点だと思っています。
自分が自由に使える時間が多ければ多いほど、遊べるから…ではありません笑。
その時間を使って、自分の生きたいように生きることができるからです。
以前の僕は、意外にもこのシンプルな「自分の人生を生きる」ということができていませんでした。
僕はこれはほとんど全ての日本人の課題だと思っていまして、日本に帰ってくるや否や、
と思ったのでした。
すぐに直感でそう感じたのは、僕自身がそうだったからでした。
一方で「世界を回った8ヶ月」は、僕がずっと求めていた「自由のカタチ」でした。
当然のことながら、それは僕の「幸せ」にも直結してきます。
- 自由であれば
- 人の役に立ちまくることができて
- 対価としてお金をいただくことができて
- 自分の幸せや人のための幸せを買うことができる
と、いい循環(=好循環)が回り始めるからです。
つまり僕は、始めの「1番」が確保できていなかったので、悶々としていたのです。
裁量権のない現場にいても、自分の失敗は拭(ぬぐ)ってもらえますが、その分、やらせてもらえないことも多々ありました。
別に、多額の報酬を得るために自由になった(教員を辞めた)のではありません。
それは結果としてついてくればいいだけのことであり、もっと前の段階にある「自由になること」を得るためだったのかもしれません。
と言ってくれた友人もいましたが、結果的に僕はこちらのほうが合っているような気がしましたね。(まだわかりませんけど)
自分を幸せにするには、他人を幸せにすること。
他人を幸せにするには、まず自分が幸せであること。
「卵が先か鶏が先か」みたいな話ですが笑、いずれにせよ「自由な時間」は必須であることがわかります。
これからは僕の動き方が極めて重要です。
いいんです。
僕はただただ、突き進んでいくだけですから。
おわりに
サウナでふと感じた、幸せなひととき。
そのためには普段の生活もとても大切で、
は、絶対に僕に合いません笑。
「何かできることを探す」もう1つの旅は、もう始まっています。
動き出しは2024年の1月(今月)。
どんな未来を作っていこうか、ワクワクするばかりですね。
それではまた!
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