こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、台湾で会ったスイス出身のバックパッカー(カップル)が来日しましたので、すぐさまアポを取って新横浜に駆けつけました。
みなとみらいのラーメンミュージアムと新横浜のラーメン博物館を間違えるという、いつも通りのアホっぷりを発揮して遅刻したものの笑、彼らと久しぶりに会っては東京や横浜を一緒に歩き回りました。
最後は彼らのホステルがある東京で、ハグをし合って別れました。
今日は「僕の旅の続き」について書いていきます。
世界の旅から帰っても
世界の旅を終えて帰ってきてからは、それはそれは平穏な日々が続いていました。
以前の僕だったら、「世界で得た関係」を続けるのが面倒くさくて、
なんて言わなかったと思います。
と、何かにつけて言い訳を作っては、彼らと会わなかったことでしょう。
それがオープンマインドになった今となっては、
となっているのですから、人間どう変わるのかはわからないものですよね笑。
それはたぶん、
- 何かを返すこと
- おもてなしをすること
が「面倒だったから」だと思います。
一方ここ数年で息をするようにGIVEをしたり、おもてなしをしたりすることが多くなっていたおかげで、
と、GIVEしたことを忘れる域にまで到達していました笑。
そんな僕は世界の旅から帰っても、こうしてほぼ一日を費やして、多くのことを語り合い、それぞれの旅の話に花を咲かせました。
と言われました。
日本でも毎日ほとんど英語ばかりしゃべっていますから、それもまた「彼らと話したい」という気持ちにさせてくれたのかもしれません。
上手いかどうかは別にして笑、最近は英語でしゃべることのほうが心地が良いですからね。
まさか旅を始めたばかりの台湾で出会った彼らと、実に約10ヶ月ぶりに再会するとは思ってもいませんでした。
旅を始める前は、こんな自分になれるとは思っていませんでした。
日本に帰ってきても、僕が持っていた「繋がり」はまだまだ消えることはなかったのです。
人に優しくしておくこと
僕がずっと苦手だったのは、そうした「人との関係」を保つことでした。
電車で誰もがスマホをいじってるくらい、めちゃくちゃ静かな日本ですから、僕のような「一人大好き野郎」の性格は、なおさら助長されるばかりでした。
先述した通り、以前よりだいぶ広くなった僕の視野のおかげで、「彼らと再会すること」に対してなんのためらいもありませんでした。
またわずかながらに覚えていた、
- ドイツ語
- スペイン語
を試しにポンポン出したものですから、彼らも驚いてくれました笑。
シナプスが繋がるように、最近では韓国語や中国語もどんどん出せる機会が多くなってきて、「求めていたような形(=多言語話者)」が実現化しつつあります。
- 世界に出ることで
- 多くの人と繋がっては
- 各国の言語や文化を知ろうとしたこと
とてもシンプルですが、人との繋がりを保つには「会って話すこと」が一番強力なのです。
そしてそんな繋がりを持てたので、
そう思うようになりました。
もちろん、日本各地から神奈川に来てくれたとしても、気持ちは一緒です。
そうやって人に優しくしておくこと。
別に「情けは人の為ならず」を意識して(見返りを求めて)いるわけではないのです。
それが当然のことだと思えるくらいまで、僕は人が変わったということ。
つまり以前は、僕は「人への優しさ」がなかったのだと思っています。
そうしていますと、どこかトゲトゲしていると言いますか、近寄り難い人となってしまいますよね。
今は自分の周りに作っていたそんな「壁」がなくなり、多くの人と関わることができるようになりました。
もちろん、自分に合わない人とは二度と会わなくて大丈夫です。
無理して表面上で会うなんて、お互いにとって良くありませんからね。
それは日本でも海外でも同じこと。
ただ「自分が繋がっていたい」と思えるような友人であるなら、積極的に会って「もてなしたら」いいのです。
無理に「もてなせ」ではなくて、自分の気持ちの赴くままに優しくしてあげること。
こう思えたら、あとはなんとかして会って、思う存分に日本を楽しんでもらえばいいのです。
僕の旅の続き
人と出会いながらものすごいスピードで旅を進めていた僕は、日本に帰ってきた時、
と、そう思っていました。
しかし自分が思っていた以上に、「旅で出会った仲間たち」とSNS上で会話が続き、
- 結局また会っては旅の話をしたり
- これからの僕の “旅” の続きの話をしたり
していることに気づきました。
むしろあの240日間が、まるで僕の第二の人生の序章だったかのように、多くの人との繋がりを保ったまま、日本での日々がまだ続いていたのです。
これには僕も驚きました。
そう思わせてくれたのは、
- 日本国内で会った
- 海外周遊中に会った
そんな「人々」でした。
「旅」とは抽象的に言えば、
- 会話であったり
- 人生のフェーズだったり
と、いろんな考え方ができるいい表現だと思っています。
例え日本にいようと、僕は旅の時に持っていた情熱を絶やすことなく、燃やし続けていたことに、自分でも気づくことができていませんでした。
こうして他の人が気づかせてくれるからこそ、人との出会いは、僕の人生を「よりワクワクするもの」へと導いてくれます。
まるで自分一人で旅しているように見えたあの旅も、どこかで誰かに助けられながら、最後まで駆け抜けることができました。
やり切ったと思っていた旅も、実は僕の中で形を変えて燃え続けていたのです。
- 日本にいようと
- 海外を回っていようと
僕は僕のままであり、その旅はいつまでも続いていきます。
与えられた一度きりの人生。
そこに意味なんてないのでしょうけれど、僕の旅はいつまでもずっと、ずーっと続いていくのです。
おわりに
旅を終えた後にも続いていた、僕の「旅」。
それに気づけたのは、僕の人生に関わってくれた人たちのおかげでした。
人との出会いは「ご縁」であり、それは無理して続けるのではなくて、
- 心から大切にしていれば
- 自然とまた出会う機会が訪れる
そう思っています。
おかげさまで僕はこうして、まだまだ「人生という旅」を続けられています。
日本で再会できてよかった。
最高の一日をありがとう。
それではまた!
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