こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
僕は土日も毎日働いているのにも関わらず、収入は公務員の時ほどではありません。
それでも幸せと言いますか、
って感じています笑。
「働き方」について考えていた、30歳の頃。
求めていた理想とは違いましたが、過去に考えを巡らせていたもの以上に、
- 幸せ
- やりがい
を手に入れたと思っています。
今日は僕なりの「働き方/休み方」について書いていきます。
まずは働き方を考えること
僕が公務員時代に感じていたことは、
ということでした。
公務員(学校教員)を9年やった僕としては、「他の働き方」がわからなかったのです。
それからというもの「自由」を得るために、まずは「働き方」を考えて探すことを始めました。
- 起業
- 個人事業
- フリーランス
という言葉に惹かれたのは、それらが限りなく「自由」に近いからでした。
時代の流れも後押しし、
- オンライン
- オフライン
での事業をスタートさせた僕は、まだ始めて数ヶ月ですが、公務員時代よりも幸せに暮らすことができています。(収入はそこまでありませんが笑)
公務員としての教員もとても楽しかったのですが、時間の縛りや人との摩擦などから、
と感じるようになりました。
「働くこと」と「働かせられていること」は、全くの別物だったからです。
確かに僕は「先生になること」が夢でしたし、教員時代は今でも忘れることができないくらい輝いていました。
一方でその「働き方」が、果たして本当の意味での社会貢献になっているかと言えば、そうではありませんでした。
決して先生という仕事がムダだと言っているのではなく、
そう思ったのです。
傲慢に聞こえるでしょうか。
これは僕だけの問題ではありません。
多くの人が今一度改めて、自分の仕事について考えるべきだと思うのです。
グチグチ言っている職場なら、それは何かがおかしいということ。
今の僕は、
- 収入にも
- 働き方にも
文句を言うことがありません。
自分で選び、
と思うことができているからなのです。
自分にとっての休むとは?
さて、働き方を変えてみた僕は、正直「休んでいる時間」は以前より少なくなりました。
こんな風な意見も聞こえてきます。
でも僕は「逆」でした。
と思ったのです。
「働くこと」について考えていた僕は、
についても考えていました。
「働く」とは決してネガティブではないということ。
これもフリーで働くようになってからわかったことでした。
公務員時代のような「休みの日」は全くなくても、毎日全力で人のために生きられるし、
と「休み」と決めつけず、家に帰ってからも働くことができました。
遠征をしてもホテルで働けますしね。
ちょっとした「ノマド」みたくなってきました笑。
それくらい『働きたい』のです。
お金が欲しいんだろう、って?
いえ、それともまた少し違いますかね。
もちろん、そのお金で遠征ができるわけですから、そのための資金集め(か、投資のため)とも言えます。
しかし今は、純粋に「その人のためになったらいい」と思っているだけです。
そのいただいたお金でできることなんて、
- 外食
- サウナ
- 交通費
くらいですし笑。
だから今は、「休む」に関して言えば数時間…
いえ、数十分くらいの時間でも僕にとっては十分な休みですね。
教員時代に感じていた、「土日祝日休み」とは遥かに捉え方が違います。
曜日に関係なく走り回り、
それだけなのです。
今考えてみれば、
と思ってるくらいです笑。
あの時の働き方は拘束時間が長すぎたために、全然やりたいことができていなくて、その拘束時間の反発で、土日祝日が典型的な “休み” っぽくなってしまっていたんですよね。
と。
それよりも今は、
- 毎日誰かのために働くけれど
- 毎日ある少しの休憩時間に幸せを感じる
といった感じですかね。
「休む」の定義が全然違うと言いますか。
ここまでガラリと働き方が変わったのも、
「本当に自分のやりたいこと」
を探して、それに向かって行動したからなのでしょうね。
幸せを探しにいこう
- 働くこと
- 休むこと
を、それぞれ、
- 体を酷使すること
- その疲れを癒すこと
と捉えていた僕でしたが、今では「働くこと」は人の助けになる時間だと思っていますから、
と思っています。
英語で「人のためになること」をやっていたことで、自然と人も集まってきましたから、
と思っています。
大切なことは、「仕事」への価値観を見直すことでした。
仕事を「=労働」と捉えている以上は、いつまで経っても楽しくありません。
いつまでもそんな気持ちでやり続けることになるでしょう。
時代は変わりました。
個人でも稼げますし、僕のように飄々と生きていくこともできます。
一方で、
という声もたくさん聞きました。
個人的に思うのは、
ということ。
ただ、「仕事/働くこと」への意識は劇的に変わりました。
という自分本位の欲求から始まったものとはいえ、それは徐々に教員時代よりも「意味のあるもの」となってきたからです。
実際すでに幸せですし、毎日誰かと話していますのでとても楽しいです。
生徒さんたちの成長を見るのも幸せですし、
「大人になってからの学び直し」
なんて最高じゃないですか。
それを手助けできるだなんて、こんなに嬉しいことはありません。
だから今の僕には「休み」という概念があるようでないです。
と、いつも考えているからです。
- ホテルで
- カフェで
時間があれば仕事や仕事に関係のあることをしてゆく。
それこそが僕の「幸せ」となりつつあります。
決して授業中が「休み」だなんて思っていませんし、与えられた時間は価格以上の価値を与えるようにしています。
僕にとっての「幸せ」とは、ちょっとしたサウナでもカフェでもなく、誰よりも人のために自分の時間を与えている時でした。
事業を広げていくのには、時間がかかると思っています。
それでも、ただただ誰かのために続けていけば大丈夫。
休む時間なんて要らないですし、毎日頑張っていくのです。
それが、僕にとっての幸せなのですから。
おわりに
働き方や休むことについて考えることは、ほぼ「=幸せについて考えること」でもありました。
というよりも、「働くこと」それ自体に「幸せ」を見出そうとするからです。
僕は今でも模索しながらですが、毎日楽しく幸せに暮らしています。
みなさんにとっての「働く」とは何ですか。
それではまた!
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