感謝されるために与えなくなった自分【感謝を感じて前に進むこと】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先生や教える事業をしていますと、感謝されることがよくあります。

突然ですが、僕が先生の嫌いなところとして、

一所懸命生徒のために身を粉にし、自分を犠牲にすること

です。

やっぱり、いつでも自分が大事ですからね。

自分を大切にできていないで奉仕する人は、いつかどこかでガタがきます。

以前の僕も、そんな金八先生のような先生を思い描いていました。

そんな形は長続きしないものです。

それはどこかで、「感謝されること」が目的になっているからです。

そこにはうまいバランスが必要でした。

今日は「感謝されること」について書いていきます。

感謝されたからと言って感動している場合ではない。どんどん進んでいくのだ。

与え続けること

以前「与え続けること」に関しては、記事にしたことがあります。

僕はここ数年、あまり自分が稼いでいる感覚を持たなくなりました。

それはいろんな人との時間をとにかく共有しながら(働きながら)、自分のための時間はあまり使わなかったからです。

とても単純な計算をすれば、

誰かのために頑張る時間 > 自分のための時間

となれば、お金を使う時間はないのに、お金が貯まっていくという寸法です。

しかし一方で、

  • 搾取されている
  • 自分にとって時間のムダである

と感じているものに関しては、時間を割く必要性を感じなくなりました。

あくまで「自分のやりたいこと」に従うということです。

つまり、「いい意味で」与え続けるということですね。

僕は今でこそ公務員時代ほど稼げていませんので、生活はカツカツですが、

それでも毎日誰かのために役に立てている

と思えることは、とても嬉しいことですね。

すると「与えているのに、搾取されない不思議」が生まれてきます。

実はその分、僕も受け取ることがあるということなのです。

  • 生徒さんの成長
  • 友人たちからの感謝

他にも笑顔や笑い、深い話から情報交換まで、ありとあらゆることを「受け取って」います。

だからこそ持続可能な「与えること」ができるのですね。

これに気づいた僕は、

一生をかけて何かをしていきたい

そう思ったんですよね。

与えるには、ちゃんと見返りがあります。

そのためにやっていなくても、やはりそれがなければ長続きしないのも事実。

いずれにせよ、僕は毎日与え続けられるようになりましたね。

何があっても与え続けていくことだ。受け取っているものが多い人ほど、ずっと与え続けることができる。

必ず感謝されているということ

ありがとうございます。いつもお世話になっています

このように「言葉にしないとわからない」とは言われますが、実は僕が何かを教えている時、いつも感じていることでした。

  • 継続性
  • 献身性
  • 確かな技術
  • ポジティブさ

など、いろんな要素が相まって、今の僕が形作られますと、言葉にされることは少ないですが、

「誰かの前に立って、ずっと教育の場にいること」

で、僕は周りのみなさんや生徒さんたちから、「感謝」を強く感じるようになりました。

もちろん、直接言われることもありますし、手紙やメッセージでいただくこともあれば、「授業をとってもらう」という形で返してもらうこともあります。

別に言葉にしなくても、僕が一所懸命やっていますと「言葉」のような気配を感じるということです。

僕が2021年から変わり始めた時に、心のどこかで、

本当に豊かな人たちのようになりたい

と思ったものでした。

彼らが豊かなのは、

「いつでも誰かの役に立とうと、先にGIVEしているから」

でした。

個人事業主として実践に移していく中でも、その「与える本質」が変わることはありません。

感謝されることを忘れるくらい、今は、

そんなことどうでもいいから、とりあえず明るい未来に向かっていこう

そう思って、事業を進めています。

この考え方ができるようになってからは、

  1. 「使う側/消費する側」から
  2. 「提供する側/供給する側」へと

マインドセットが移行しました。

持つ者/持たざる者」なんていう言葉もあるくらい、僕は昔に比べて『何かを提供している側』に回るようになりました。

ただただ無償で与え続けると疲弊しますが、自分がある程度感謝されながら続けていく「GIVE」は、「使う側/消費する側」よりも、もっともっと生きがいを感じるのです。

先生だった時も、

休みの日を返上してまでも与える

ということをしていた時の方が、正直生きていた心地がしました。

自己犠牲」と一線を画しながら、愛を与え続けていくこと。

僕にとって個人事業主になって、フルスロットルで働いているほうが、幸せになったのかもしれませんね。

与え続けていると、自然と感謝を感じられるようになる。その感謝をもらう側に立つと、一気に生きがいを感じるようになるのだ。

感謝されることを目的にしないこと

では、以前より感謝されるようになった僕はどうしたのか。

最近も「粋な図らい」で感謝のコメントを見る機会があったのですが、僕は、

ありがとう。だけどもっともっと進むよ

と思えただけでした。

決して悪い意味ではありません。

そこをゴールとしてしまった時点で、僕の人生は終わってしまうからです。

  1. 僕よりももっともっと先を進んでいて
  2. 僕よりももっともっと感謝されている人

が世の中にはたくさんいます。

その人たちを目指すことは違いますが、突き詰めるところが「社会貢献/社会の変革」であるのならば、僕はより多くの人に自分の経験や知識、考え方を広く伝えてゆく必要があるということですね。

もちろん、今までとスタンスは変わりません。

デカいことをしようとするのではなく、目の前の人に全力で教育を提供すること

です。

  • 感謝されること
  • 有名になろうとすること

は悪いことではなくても、どこかで「邪(よこしま)な気持ち」に支配されてしまうからです。

学校の先生をしていた時の僕なんて、まさにこんな気持ちしかありませんでした。

要は「もらうこと」を、常に(あるいは先に)考えていたということです。

「もらうこと > 与えること」

という、バランスが崩れた状態の思考であれば、僕は過去に戻ってしまうことでしょう。

だからと言って、自分の身を削ればいいというわけでもありません。

対価のない中で僕が授業をしていたら、「自分が幸せになること」からも遠ざかってしまいますからね。

以前より、ただただ「与えることの本質」について考えるようになり、何が幸せかを突き詰めただけ。

それだけなのです。

そうしますと、「感謝されること」を目的にするようにはならずに、

その人の人生を変えていきたい

と、常に「先に」提供することができるようになります。

そんな人たちが幸せになっていったんだ

この事実を、いろんな書籍から学びました。

だから僕もそうありたい。

そうなっていきたい。

感謝されることに慣れたわけでもないですし、純粋に嬉しいです。

ただ、そこに留(とど)まっていたら、何のために僕が人生を変えたのかがわからなくなってしまいます。

先に、先へ。

もっともっと与え、進んでいくのです。

感謝されたいと思っていた時代の自分よりも、より与え、その感謝に対して大袈裟にならなくなった。それだけ僕は、もっともっと先を見据えるようになったのだ。

おわりに

僕は、「億万長者たち」について何もわかっていませんでした。

しかし、本気で自分の人生について考え、与え続けることを始めたことで、僕は多くの「感謝」を受け取るようになり、彼らがなぜそこまで活動し続けるのかがわかってきました。

これが…これが僕のなりたかった像なんだ

もちろん、それだけが目的というわけでもありません。

まだまだこれから。

与えて、与えていきましょう。

それではまた!

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