休んでもいい?それともサポートには対価が必要?【「働く」について】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

以前に、

部活動で自分を犠牲にするのはクソ喰らえだ

と、同僚の先生と語ったことがありました。

僕は働くことには結構うるさくて笑、それは何より自分が効率性を求めて仕事をしていたからだと思っています。

  • 出勤
  • 退勤
  • 休むこと

など、会社や組織にはいろんな取り決めがありますが、

このままじゃやばいよなぁ

という部分は、幾度となく語ってきました。

今日もまた、「休むこと」について語っていきます。

休むことは権利だ。しかしその周りに仕事をかぶる人もいる。また個人の仕事効率の悪さもある。総合的に判断していこう。

休んじゃダメな文化

先日も、オンライン講師として生徒さんと「働き方」についての議論となりました。

僕自身も、

休みたい時は休んでいい。あとは他がカバーする。これが会社だ

そう思っています。

一方で、「限度」もあると思っています。

僕が担任を初めて任された頃、他の先生が「アルコール中毒」で全然授業ができず休みが続き、代わりに授業をしたことがありました。

「休むのは自由だ」と言っている僕ですが、その「被害者」ともなりますと笑、当然のことながら黙っていられません。

結局はだんだんと回らなくなってしまい、僕はあまりのストレスから、最終的に右目の視力が失われた時がありました。

後述しますが、このように「仕事をかぶらなければならない人」がいることも事実であり、

  • 仕事を減らすか
  • 人員を増やすか

をしなければ、当然のことながら組織は徐々に崩れていきます。

だからこそでもあるのですが、

僕が/私が穴を開けるわけにはいかない

と思っている社員や職員は多いです。

ただしここまできますと、「程度問題」だとも思っています。

やることをきちんとこなしていれば休んだっていいですし、逆に何も貢献できていないのなら、

  • 代わってもらうか
  • 給与を低くするか

といった措置も必要です。

この “成績” が可視化されれば「できる人たち」で効率的に仕事を遂行できますが、それができないからこそ、誰かが仕事をかぶってしまう現状があるということですね。

これは難しいぞ?

休みたければ休んでいいとは思いますが、「それができない環境」もまだまだあるのです。

日本では「働きすぎ」が問題になっていると思う。一方で、だから休みまくっていいというわけでもないのが、会社や組織の難しいところだ。

仕事量への格差に疑問はない?

さて、生徒さんや友人たちと話をしていますと、

じゃあ給料をあげれば?

という提案が出てきます。

これは本人の仕事量や負担を軽減するものではなく、本質を突いた根本の解決策であるとは言えません。

ただ一方で、

ある程度は正しいことだ

とも思っています。

例えば教員で言うところの「担任」は、その仕事量が副担任や他の職員と比べてめちゃくちゃ多いです笑。

それにも関わらず、別に「手当て」が出るわけではありません。(みなさん知っていました?)

こうなってきますと、僕も、

仕事を休んでもいい

と思っている反面、好き勝手穴を開けている人に対して、一所懸命働いている人のほうがバカらしく感じてきてしまうのも間違いないと感じてしまいます。

こうした「仕事量の格差」に対しての保証があるかどうか。

これが仕事場では重要になってきます。

会社や組織はチームですから、“ある程度” 休むことは認められています。

ただ、その「休み」が果たして正当なものであるのか、それとも単なる怠惰や深刻な病気からきているのかでは、だいぶ話が変わってくるということです。

とある人からすれば、

会社で休むのは権利

と言い張って、堂々と休んでいる人がいますが、僕はこれは「極端な例」だと思っています。

モラルの話とも言えますし、やはり「働く」ということは、

誰かに価値を提供すること

だと感じているからです。

「その考え方」が欠損した人が会社に勤め、大きな穴を開けるのは、故意に会社や組織にダメージを与えているにすぎません。

こうした「個々の仕事量や態度」は抽象的なものであるため、何も口出しできないのが会社(組織)側の苦悩。

かといって、誰かにあまりにも働かせすぎてアンバランスな職場であれば、優秀な人は離れていってしまいます。

だから「人と働く」とは、メリットもありデメリットもあるということです。

こうしたことに考えを巡らせていますと、

公務員に戻るのはなぁ…

と思ってしまう部分もありますね。

休むことは権利だが、その程度が行き過ぎた場合、ダメージを食らう他社員(職員)がいる。給与は根本の問題解決にはならないが、考えるべき点だ。

ちゃんと対価を支払うこと

教師をしていた時に思ったこと、特に担任をしていた時にツラかったのは、

なぜここまでしているのに、他の教員と対価が一緒なんだ?

と思ったことでした。

別に偉ぶることではないのですが、そう思っている同僚はとても多くいました。

これは何も、教育業界に限ったことではありません。

先述した通り、「仕事量に程度の差がある」のが組織だからです。

お金は根本の解決にはなりませんが、「与えられるべき手当て」だとは思っています。

特に個人事業主として働き始めてから分かったのは、

働いた分だけ(ほぼそのまま)対価がもらえる。これが当然の対価だ

というものでした。

もちろん、税金関係の問題もありますが、「自分が納得できる対価」であることは間違いありません。

僕が組織や学校に対してこうしてコメントをするのは、そこに共通点があるからです。

大切な核心部分とは、いつも一緒なのです。

仕事をした部分に関しては、ちゃんと対価があるべきだ

ということ。

ボランティアや非常勤講師、臨任教師を雇うのは構いませんが、働いてくれているのならば(高いレベルを求めるのならば)、それなりに対価が支払われるべきなのです。

それは組織を抜けてから、とても強く感じたことでした。

結局、仕事に見合った対価がしっかりしていない組織とは、人が離れていってしまいます。

自分で仕事をしている今の僕は、

対価に見合わないので、この仕事は引き受けない

と言えるようになりました。

この点について考えたことなんて、今までありませんでした。

なるほど。だから何も考えずに、がむしゃらに働いていたのか

とも思えますけどね笑。

だから休むことは権利であっても、権利を主張する前にやるべき義務をこなしておく必要がありますし、

  • それをカバーしてくれている人
  • 他の社員や職員より働いている人

には、何かしらの手当てが必要だということ。

働いている人を納得させることが目的ではありませんし、違う世界を目指していく人たちが抜けていくのは、社会として正しい形なのかもしれません。

とはいえ、そういう人たちを「買い叩く組織」であっては、その組織に未来はありません。

誰だって、

働いたらその分の対価は支払われるべきだ

と思っているからです。

休むこととサポートをすること。

そこに対する価値の有無。

これは組織において(特に現代では)、とても大切な考え方なのでしょうね。

穴を開けてしまったり休むことは決して悪いことではない。ただ、そこにサポートが入った場合、その人に対する対価がどうなっているかは、その人が組織に残るかどうかの判断基準にもなり得るだろう。

おわりに

休むことは決して悪いことではありませんが、それをカバーする人がどのような感情でいるかと言うことは、議論する価値があります。

僕も個人で仕事をしていますと、

そこに支払われる価値とは?

と、常日頃思うようになりました。

教育現場に限らずに、いろんな場所で考えていく必要がありますね。

それではまた!

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