こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、ガンを患っている父親に会いに行きました。
昔からあまり話さない父親でしたが、聡明でいつも優しいイメージはありました。
意見を変えない性格にいろいろと突っかかった日々も思い出されましたが、今となっては容態が悪化し、まともにしゃべることすらできませんでした。
あまりのショックに涙が出ましたし、
と、悲しみとはまた違った「複雑な気持ち」が僕の胸を締め付けました。
そんな感情の中でも僕は、今日もまた生きています。
今日は「親父や生と死」について書いていきます。
僕の感情の変化
自分の身内では、両親の親(つまり祖父母)はすでに亡くなっており、その都度東北に帰っていました。
今年2024年の1月にも、おばあちゃんの告別式に行くということで、親父と一緒にゆったりと東北に行きました。
親族が亡くなるのも経験してはきましたが、「親父」という存在がいなくなることを考えると、心にぽっかりと穴が空くようでした。
病院から帰ってきた日とその次の日はしんどかったのですけれど、多くの友人たちや生徒さんたちの声に支えられ、すぐに平常心に戻ることができました。
やはり人と話すことは、いつでも自分の心に整理をつけてくれます。
「近い人が亡くなる」という意味では、僕が教員を始めた頃に、生徒を一人失ったことがありました。
その時は職員室で泣きに泣き、
と、えも言われぬ張り裂けそうな気持ちになったことを、今でも鮮明に覚えています。
では今回、衰弱し切った親父を見て、僕は何を思ったのか。
という、いつもと変わらない気持ちと、今まで自分がやってきたことに後悔がなかったことを、再確認しただけでした。
人の死とは、いつでも涙を誘うものです。
感情の起伏が激しくない僕も、グッときてしまったくらいです。
それでもすぐに、自分の人生に集中することができたのは、
- ここ数年で培ってきた考え方
- 周りの多くの友人や生徒さんたちの支え
があったからでした。
そう思ったのです。
こうしたタイミングでは、精神的なダメージがくるものですが、僕の知り合いや生徒たちの中にも、早くに親を亡くしている人もいます。
メソメソしている場合ではありません。
親父が生きている間もその後も、僕はやるべきことをやっていくだけなのです。
人の生死を感じておくこと
話は変わりますが、僕が街中の子どもたちを見て笑顔になってしまうのは、彼らにある未来に光を見るからです。
一方で、埼玉の田舎街を歩いていますと老人もたくさんいますし、東京に行けば若い子たちがたくさんいます。
日本に限らず、世界の至る所でいろんな人が亡くなり、また新たな命が生まれています。
僕は「死」については、人よりたくさん考えてきたほうだと思います。
身の回りの実体験としては少ないほうかもしれませんが、小さい頃からよく「死」について考えていました。
病院の親父と別れた後、僕は川崎の街を歩いていました。
夕日はとても美しく、空気は澄み、道ゆく人々は忙しく自分の帰るべき場所に向かっていました。
そんな姿を見ていますと、ふと、
と思いました。
人に生まれた意味なんて、特別な意味なんて、別にありません。
ただただ、僕は幸運にも日本に生まれ、何不自由のない生活を送ってきただけでした。
感傷的になることは、僕はあまり好きではありません。
まるで自分が「悲劇のヒーロー」ぶっているみたいだからです。
「死」を間近に感じると同時に、僕の目には子どもたちが遊んでいる光景が飛び込んできました。
今の時代を作れるのは
今を生きてる人間だけだよ…………!!
これはワンピースに登場するキャラクター、冥王シルバーズ・レイリーの言葉です。
恥ずかしながら、人の死を目の前にしてから、また改めて世界の美しさに気付かされました。
人はいつか死にます。
僕だって、もしかしたら明日いきなり命が絶えてしまうかもしれません。
だからこそ世界一周旅行をしましたし、旅行中に自分が亡くなる可能性も考えていました。
そうでしょうか。
そう思っていたら、今日を全力で生きることなんてできないでしょう。
もしそうなってしまったら、それはただただ運命でしかないということ。
少なくとも僕らは、100年後にはこの世に誰一人として残っていませんしね。
だから僕らは、また新たな命にかけ、育てていくのでしょう。
- 自分が生きていること
- 子どもたちが生きていること
この当たり前の事実を感じることで、また毎日を大切に過ごせるのですね。
起伏なくまた全力で
多少感情の上下があった僕でしたが、こうしてまた新たな一日を歩んでいます。
そう思えば思うほど、逆説的に、
と思うのです。
ツラいことや悲しいことは、僕が感じることもあれば、当然僕の周りの人も日々感じていることです。
こう思うからこそ、
と、もう一人の僕が語りかけてきます。
ここで僕を強く支えてくれたのは、友人や生徒さんたちの声でもあるのですが、それ以上に「今までの自分」が僕自身のことを助けてくれました。
今まで自分が何も成長することなく、適当に生きてきたのであれば、親父に見せられる顔はないことでしょう。
僕が僕に語りかけてくれます。
後悔なく生きると決めたからには、どんなことがあっても続けなければなりません。
それこそが「今を生きる人」にできる、唯一のことなのです。
僕の大好きなワンピースでも、多くのキャラクターが「死」を乗り越えて成長してゆく姿が描かれています。
だからこそ彼らは、
- 事実を受け止めて
- 仲間たちに支えられて
- また強くなってゆく
のだと思います。
これは「冷酷な気持ち」とは、正反対にある感情です。
“世界” とはそういう風に循環しています。
だからその事実を受け止めて、僕はまた今日も全力で生きてゆくのです。
おわりに
一目でも親父に会えたことは、とても良かったことでした。
もう先は長くないと言われて、結構な月日が流れていました。
別に驚くことではなかったのです。
ただ、その現実と向き合う必要がありました。
今の僕には、この世界があり、授業を待ってくれている人がたくさんいます。
だから僕は僕の人生を、大切に一歩一歩踏み締めてゆくのです。
そう思って。
それではまた!
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