こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、「傲慢にならないこと」についての記事を書きました。
僕は昔、強い承認欲求があったからから、

と気取っては自慢していました笑。
これは弱い自分の典型的な「裏返し」であり、自分の能力を誇示している人ほど「小物」です。
本当に強い人とは、自分の力や資産を見せつけるのではなく、
- 適切な場所で
- 適切なカタチで
戦っています。
今日は「自慢しないこと」について書いていきます。
自慢をする人の特徴
先述した通り、「自慢したくて仕方ない人」とは、承認欲求がある人です。
と、とにかく誰かの上に立てることに悦びを覚えてしまう「かわいそうな人たち」です。
みなさんならもうわかるかと思いますが、
- 世界は広く
- 上には上がいる
というのが世の常です。
その現実を直視したくないのか、そういう場所にすら集まれないのかは判然としませんが、僕らからしてみれば、

と思ってしまいますね。
僕はそうした大富豪と会ったことはありませんが…
あ、バリ島のアニキに会ったことがありました笑。(唐突なマウント)
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他にも、何人か会わせていただきましたが、気取っている人なんて一人もいなくて、ほとんどの方が「本物」でした。
そんな「マウントを取ること」に必死じゃないんですよね。
もっと先の未来を見ているような、そんな人たちでした。
一方で、「自慢してやろう」と思っている人は基本的に器が小さいです。
昔の僕も典型的な「これ」でして笑、まぁ救いようのないバカでしたね。
偉そうにできるのは、「下」だけを見ているからです。
僕も今でも、たまに「事実」を言うために自分の成果を話したりはしますが、昔のような「俺すごいだろ?」みたいな気持ちは一切ありません。
事実として述べるだけって感じですかね。(「世界一周したよー」とか)
自慢をしたがる人は、その言葉の端々に「認めてもらいたい/持ち上げてもらいたい」という欲求がどこかにあります。
そうなってしまったら、その瞬間から、
と、烙印を押されることになるでしょう。
気をつけていきたいところです。
本当に強い人を目指す
さて、そんなマウント野郎はさておいて、僕が目指すべきは「その先」です。
先日、大谷翔平選手のこんな動画を見ました。
「自慢の話」とは少しズレますが、彼は報復のデッドボールを受けながらも、
と、ジェスチャーでチームメイトの怒りを沈めます。
この行為、涙が出ませんか?
それだけではありません。
彼は多くの功績を残しているのにも関わらず、それを自慢することもなく、
- 日本の小学校にグローブを配ったり
- ロサンゼルスの火事の際に寄付したり
と、人格者と思える対応の数々をしてきました。
正直、僕は野球には興味がありませんが、彼のやっていることはまさに「日本を代表する一流の行動」であり、僕らも見習わなければならないことだと感じています。
彼が示した日本の “武士道” は、日本の品格を世界に伝えてくれました。
自慢したいことがあれば、
- 自分よりも下の人間を呼んで
- そこで偉そうにすればいいだけ
なのです。
「それができる人」なんて、世界にごまんといることでしょう。
億万長者から、インフルエンサーまで。
それでも彼らが「それ」をしないのは、そこに欲がないだけでなくて、人格者として一番「ダサい」ということを知っているからですね。
もう、そういう次元で戦っていないのです。
僕は一般人かもしれませんが、その中でも示すことのできる「品格」というものはあります。
- 礼儀
- 感謝
- 謙虚
などは、日本の「道」から来るものであり、これらを鍛えて自分のモノにすることが大切なことですよね。
いつからか僕も、

と思うようになりました。
自慢することばかりを考えていても、それは一過性の快楽に過ぎず、長い目で見れば人は離れてゆくだけです。
自慢して逆に失うもののほうが、実は多いもの。
だから彼のような「本物の強さ」を求めて、僕らは鍛え続けていかなければなりませんね。
謙虚に正しく戦ってゆく
自慢したくなる行為は、僕が若かった頃に感じていたように、
という欲求から来ます。
あるいはもしかしたら、誰かの上に立っている自分を見て「優越感に浸る」ところから来る感情なのかもしれません。
いずれにせよ、僕らはそんな人間に落ちてしまってはいけません。
本当に強い人ほど、自慢することなく、常に謙虚であると同時に、熱い気持ちを胸に持って戦っています。
彼らにとって、偉そうに自慢している人なんて眼中にないのでしょうね。
僕も以前は、「何かと自慢してくる人」に対して食ってかかっていたものでしたし、「羨ましい」という気持ちも否めませんでした。
でも今は、
と言ってくる人がいても、

と思ってしまいます笑。
気持ちが伝わってしまったからか、あまり自慢されなくなってしまいましたが。(残念です)
僕はそれ以上に、多くの友人と楽しくしゃべったり、ワイワイしたりできるほうが価値があると思っています。
別に他人を否定しているわけではなくて、

と思っているくらいですかね。
もう、”そういうところ” で戦っているフェーズではないのです。
不毛であるだけでなく、自分にとって何の価値もない戦いでしかありませんよね。
大谷翔平選手だけでなく、「あまりにも突き抜けている人たち」にとっては無風。

と思ってしまうのでしょうね。
僕らに必要なこととは、もっと人格や品格、人としてのあり方を求める「哲学」であって、目の前の人よりも上に立つことではありません。
人と人とは比べられないものですから、それぞれが一所懸命生きていることに対して、敬意を表して謙虚になるべきです。
もちろん、
「自分の実力を間違いのないものにしてゆく」
という意味では、「正しい場所」においてしっかりと戦ってゆくことも大事です。
ちょっとした場面で、少しでも人の上に立とうと「偉そうな立ち居振る舞い」をすることなく、常に自分の人生に集中して、正しく生きていきたいですね。
おわりに
感謝と謙虚をしっかりと有することができれば、傲慢になることなんてないんじゃないかなと思っています。
自慢したがる人は、常に見えない「何か」と戦っており、どうしてもその呪縛から抜け出すことができません。
そう思った人は、目の前の友人たちからマウントを取ることがいかに無意味で不毛なことなのか、今一度考えてみるといいでしょう。
本物になるためには、そんな小さな人でいてはいけませんからね。
それではまた!
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