平和な時間を過ごす毎日で気づくこと【ずっと清貧な生活をしていこう】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

本日、日米首脳会談が行われていました。

トランプ大統領は6年ぶりに来日し、高市早苗首相と会談したようです。

女性の総理が初めてということもありますが、2025年になって国民たちが目覚め(僕も含む)、どこか日本が変わりそうな気配があります。

高市首相は反グローバリストではないため、多少警戒して見る必要がありますが、今までの政権よりは良いですね。

日本がいい方向へ行くために、気を引き締めなきゃな

と思い、今日もいつも通り8kmのランニングをしてきました。

静かな街でゆったりする時間。

今日はそんな日本での「清貧な生活」について書いていきます。

日本でもゆったりと生きる毎日。これが求めていた幸せなのかもしれない。

幸せとは何か

幸せを求めて、2021年からブログを書き続けてきた僕ですが、かなり幸せになったと思っています。

別に億万長者になったわけでもありませんし、毎日カツカツに生きています笑。

それでも、

  1. 自分に必要なことを探し
  2. 足るを知るようになって
  3. 金銭的に余裕を作るようになり
  4. 日本のため、他人のために生きるようになってから

だいぶ人生が豊かになりました。

現在で思う「幸せ」とは、

この毎日を死ぬまで続けることなのではないだろうか?

と思ったくらいです。

もちろん、大切な人と出会って家族を作ることも考えてはいますし、まだまだ「新たなこと」を始めることもあり得る話です。

ただ、それはタイミング次第なのかなと。

いずれにせよ、

  • 自分の裁量で生きたいように生きて
  • 好きな「英語の授業」を徹底的にやって
  • 好きな人たちとご飯を食べながら議論をして

と、僕のやりたいことはできているのかなと思っています。

これが幸せなんだろうな

と思っている毎日です。

幸せとは、あまり深く考えて求めるものではないのかなと。

足るを知れば、いかに日本での日常が稀有(けう)で奇跡的な毎日なのかがわかります。

もちろんそれは、

日本が日本である限りは

という話。

先代が護(まも)ってきたこの日本にいるからこそ、「あぁ幸せだなぁ」という言葉を発することができるのだということを、忘れてはなりませんね。

今僕は、多幸感に包まれています。

幸せとは日本にいるからこそ感じられるものなのだ。当たり前を当たり前と思わずに、今の日本に感謝して日常を過ごしていこう。

平和と清貧さ

日本が戦後80年間、平和であることは奇跡的なことです。

ただ、知らない間に内部は蝕(むしば)まれ、いつの間にか日本が日本でなくなるような、そんな危機感さえ覚えてきたのもまた事実。

それでも今年(2025年)はなんとか持ち堪え、いろんな思想が渦巻く中でも、

日本を守れ!

と思っている若者たちが立ち上がっています。

平和とは、頭の中がお花畑で成り立つものではありません。

他国を攻める必要はありませんが、「護る」ことは必要なことです。

性善説でいたいところですが、稲盛和夫さんの『心。』にも、

人間は小さい頃から「悪/いたずら/残虐性」を持ち合わせていることを忘れてはならない

という主旨が書かれていました。

僕らの中にも「鬼/悪魔」が潜んでいますし、いつどこで堪忍袋の緒が切れてしまうかはわかりません。

だから大切な文化や伝統を “周りの攻撃” から護り、繋いでゆく必要があります。

先代たちが作ってくれたこの流れ。

僕らはその上に立っていることを、忘れてはいけませんよね。

こんな豊かな国に生まれたのだから、豪勢に遊ぼうぜ!

もしかしたら、そうやってお金に目が眩んでしまっている人もいるかもしれません。

ただ、僕がいつも学生たちや街の人たちを見ていますと、

そんなに豪遊したがっている人はいるだろうか?

と感じるのが本音です。

  • どんなに平和であっても
  • どんなに豊かな土地であっても

足るを知ること」を忘れないことですね。

それを忘れていない民族だからこそ、日本人はおもてなしができるのではないでしょうか。

自分はもう十分だから、他の人も幸せにしたい

と。

これこそが僕の目指す「さらなる幸せ」なのかなと。

今は自分で精一杯で、もう数年したら余裕ができるのかなと思っています。

とはいえ、どんなに豊かになっても、

  1. 足るを知り
  2. 清貧な生活を続ける

ことです。

確かにお金は使わないと価値を生みませんし、腐ってしまいます。

しかしそれが、

あるだけ使ってやれ!

という発想とイコールになるわけではありません。

友人や家族のために使えないか?

と考えることが、今の僕の課題ですね。

今ある平和に感謝し、足るを知って清貧な生活をしていこう。日本人はそうやって人のために生きることができるのだ。

社会のために。

ランニングを終えて涼しげな公園で木々を眺めていますと、静かな街の中で葉の擦れ合う音が聞こえてきます。

なんて平和で、僕は幸せなのだろう

こう思うと、考えることがたくさん出てきます。

  • 自分は何か役に立てているか?
  • 自分の人生はこれでいいのか?
  • まだ他にできることはないだろうか?

と。

この地球の、この日本国に自分がいることが、いかに素晴らしいことであるか。

僕だけが幸せであってはいけない

そう思うのです。

これは決して「自分は幸せでなくてもいい」という意味ではありません。

まずは自分を幸せにできなければ、他人を幸せにすることはできないからです。

でも、これが日本人の気質というのでしょうか、どうしても周りを気にしてしまうんですよね。

いい意味で、です。

他人を気にしすぎて、自分の人生を生きられないことはNGですからね。

  1. 自分の幸せを見つける
  2. ある程度で「足るを知る」
  3. 他人に対して幸せを分け与える

ここが目指すところですね。

自分を幸せにするんだ!

と、際限なくお金を投入しても、人は幸せになんてなれません。

現に、僕はたまの外食や旅行、友人との会食だけでスーパーハッピーです笑。

服や装飾品、車なんて買いませんし、豪勢な住宅に住もうとも思いません。

だったら余ったお金を使って後輩に奢ったり、みんなとのイベントに使ったり、プレゼントに使いたい

と、「他」に目が向くようになるのです。

広島から帰る時も、

お土産を買って帰ろうっと

と、もみじ饅頭を買って帰りました。

自己投資にお金を使うこと(僕の場合は世界一周など)もまた、大変素晴らしいことです。

しかしそれにも、ある程度の「限界」があります。

そうしたら、

じゃあ次は何に使えるだろうか?

と考えること。

これもまた幸せの一部ですね。

お金だけでなく、仕事も遊びも周りを巻き込んで幸せにすること。

これからの僕の課題は、常にここにありますね。

まだまだ頑張っていこうと思います。

自分に余裕が出てきたら、今度は他人に何かを与えられないかと考えてみよう。それがまた幸せを引き寄せるのだ。

おわりに

平和でありきたりな一日を過ごすことができますと、より、

自分は今、とても幸せなんだなぁ

ということを理解することができます。

しかし当然のことながら、現世とは僕一人で作り上げた世界ではありません。

  1. いかに感謝し
  2. 足るを知って
  3. 清貧な生活を心がけ
  4. 他人に与えることができるか

これらを常に考えて、生活していきたいですね。

それではまた!

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