自分はいかに凡人かを再確認すること【若かった頃の自分と今のリアル】

読書

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、たまたま浜崎洋介先生と柴山桂太先生の動画を見ていました。

最近こうした「歴史」を始めとして、

ちょっと前の時代の人たちのことを知りたい

と思い、ちょっと勉強によった動画を見ています。

また、若者たちの台頭も著しく、以下のお二方もとても聡明であり、大変感銘を受けました。

彼らは僕からしたら『本物』なのです。

一方で僕自身、若い頃は、

自分は高尚な人間なのだ

と勘違いしていたものでした笑。

それでも、僕はいつまでも凡人なんですよね。

今日はそんな若き頃の自分と、今の自分の平凡さをお伝えしていきます。

僕の人生がどうだったのかは、他人が決めることかもしれない。いつまでも凡人なりに生きていこう。いかに他者のために生きられるかを考えていこう。

何にでもなれると思っていた

若い頃の僕はリベラルと言いますか、

世の中の既存の伝統とか価値観とかをぶっ壊し、自分らしく生きるのだ!

と上の立場の人に対して、息巻いていたものです笑。

常に抑圧してくるものには抗いつつも、矛盾するかのごとく「公務員」という公的な仕事につきました笑。

先日も友人から言われましたが、

せいじさんはどちらかというと、公務に携わっているような人間には見えない笑

と言われました。(おい笑)

僕は職場でもよく戦っていましたし(良くも悪くも)、気に入らない先生には楯突(たてつ)いていました笑。

特にもっと若かった学生の頃は、なまじ頭が良かったので、“小難しそうな” 書物を読んでは悦に入(い)っていたものです。

上の動画の三島由紀夫の言葉を借りれば、

  • 虚構
  • 空っぽ

の代名詞みたいなものでしたね笑。

それでも上の立場の人間や、既存の社会構造に対して抗っていたのは、

自分は何者かになることができるはずだ

と信じていたからでしょう。

実際は僕にそんな力もなく、長いものに巻かれてしまっていたわけです。

いえ、ある程度「自分」は持っていましたけどね。

まぁ、「インテリぶってるちょいヤンキー」みたいな感じでした笑。

今思い返しても、

とはいえ、あれはあれで良かったな

と思っています。

若い時とは、何が正しいのかもよくわかりませんし、目の前に “それっぽい” レールも敷かれていますからね。

いずれにせよ、何かになりたかった。

それでも、だんだんと現実を知り、

あれ?こんなはずじゃなかった?

という点も、教員の現場ではチラホラと出てきました。

そうした不満や欺瞞(ぎまん)が爆発したのが、コロナ禍でしたね。

うだうだ言ってくらいなら、腹を決めて辞めるしかない

そうやって、教員を辞めたのでしたね。

若い頃は高尚ぶっていたし、何にでもなれると思っていた。だから、既存の社会構造の上に居座っている権力者たちに、なんとかして抗いたかったのだ。

現在のリアル

さて、現実はそうもうまくいきません。

文学者に、俺はなる!
研究者に、俺はなる!
トップアスリートに、俺はなる!

と豪語していたせいじ青年でしたが、結局は先生という職に落ち着き、そこでモヤモヤしながらも9年間の公務を全うしました。

では「あれらが失敗だったか?」と言いますと、僕はそうだとは思っていません。

若い頃に描いていた「スーパーヒーロー」にはなれませんでしたが、

むしろ僕の等身大が、今の僕なのだなぁ

とも思っています。

「バズって有名人やインフルエンサーになる」

ということは、僕のキャラ的にも合いませんしね。

現実世界は厳しいものですが、だからこそ英語やビジネスにおいても、

基本に立ち返り、初心を忘れないことだ

と思うようになりました。

初心忘れるべからず」とは、

その時々(年齢や段階)で経験する新しい挑戦・未熟さを忘れるな。つねに学び続けよ

という意味もあります。

30歳になったら30歳なりの、40歳になったら40歳なりの “初めて” があるということですね。

以前の未熟だった自分を思い出すことも大事ですが、どんなに年を食っても、初めて経験することはありますから。

以前のような「夢想家」ではないものの、

現実と向き合いながら、着々やれることをこなすこと

このようなマインドを持てるようになりましたね。

僕自身はどこまで行っても「凡人」であり、

  • 好きなこと
  • 続けられること

をやっていく中で、淡々と成長してゆくに限ります。

今の言語学習や歴史、政治の学習もさることながら、普段の筋トレや運動も、じわじわとその後の人生に影響を与えていきますからね。

三島由紀夫からすれば、

そんなもの、使わなければなんの役にも立たん!

という考えなのかもしれません。

僕は彼のような天才ではありませんから、

まぁまぁ。そうは言っても凡人にはこの道しかないのだよ

と、実直に目の前のことをこなしていくのだと、そう決めていますね。

僕はいつまでも凡人だ。そのリアルに直面した上で、今の自分にできることをやっていくだけなのだ。

誰かのために命を使う

上の2つの動画では、ともに保守の話や、今の日本についての話題が議論されています。

僕は天才ではない。それはそうなんだけど、一人の人間として最期をどう迎えるかまでを、常に考えておくべきだ

と思い、

  • 家族
  • 国家
  • 使命

などについて、思いを巡らせています。

教育者として、日々誰かに何かを伝えることはしていますが、側(はた)から見れば、

お前のやっていることなんて、大したことない

と言われても不思議ではありません。

でも僕は、こうした地道な活動にこそ、国家や共同体の本質があると思っています。

人間とはどこまで行っても社会的動物であり、「相互に補完し合いながら生きている」と思うからです。

だから僕にもできないことが必ず出てくるわけでして、裏を返せば「僕にしかできないこと」もあるということ。

これはみなさんにおいても、同様に言えることですし、

  • お金を稼いだから
  • 有名になったから

偉いわけでも、権力を恣(ほしいまま)にできるわけでもありません。

税金や投資については勉強をしてきましたが、

実際は「そこまで資産を大きくすること」にあまり意味はないのだ

ということにも気づけました。

マネーゲームをしていても、人生は豊かにならないのです。

このブログのテーマともなりつつあるのですが、

誰かのために生き、誰かのために死ぬ

ということが、僕は人生において最上の幸福なのだと思っています。

簡単に言えば「他者貢献」であり、独りよがりにならないことですね。

凡人であるものの、

目の前の一人一人に対して、できることをしよう

と思うのです。

僕はこれだけでも、その額や影響力の大きさに関係なく、「とても幸せだ」と感じるんですよね。

もともと、幸せを求めて書き始めたブログですから。

上の動画に出てくるような「本を変えるような大きな人」に、僕はなることができません。

でもそれは同時に諦めではなく、希望でもあります。

人にはそれぞれ出番や役割がある。

  • 男性にしかできないこともあれば、女性にしかできないこともある
  • 若いからこそできることもあり、経験豊かだからこそできることもある

悲観的にならずに、むしろ今の自分の在り方をそのまま受け入れて、命が燃えつきるその時まで、走り続けていきたいですね。

僕は凡人だ。でもその事実に悲観的になる必要なんてない。目の前にある「自分にできること」を続け、他者貢献して幸福を感じられれば、それもまた一つの正解なのだ。

おわりに

「凡人だ」という言葉に、人はどこかネガティブな印象を抱くものです。

若かりし頃の僕は、

なんだよ!未来の俺は普通の人かよ!

と思っているかもしれません笑。

でもね。

ただそこにあり続け、もがき続けることもまた美しいんですよ。

むしろそれこそが僕の求めていた人生であり、今はどんどん「幸せ」に向かっていますから、安心してくださいね。

まだまだ伸び代はあります。

命尽きるその時まで、走り続けましょう。

それではまた!

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