自分の愚かさや未熟さに気づけるかが勝負【謙虚になることが始まり】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、こんな動画を見ました。

僕もそこまでサッカーに詳しいわけではありませんが、柿谷選手が「天才」と呼ばれ、素晴らしいプレーをしていたのは、なんとなく覚えています。

しかしそんな彼も、今こうして「しくじり先生」に出られるくらい、

自分は浅はかだった

と振り返っているのでしょうね。

これは、誰もが通る道です。

若い時とは、少なからず調子に乗ってしまうもの。

今日は「自分の愚かさに気づけてからがスタートだ」、ということについて書いていきます。

僕も若い頃は何もわからず、調子に乗っていたものだ。自分の愚かさ、未熟さに気づけたら、そこから始めよう。

最後に気づくのは自分

僕は何百、何千もの高校生を見てきましたし、今でも1万回以上のオンライン授業をしています。

いろんな人と出会っていますと、

あぁ、若い頃の自分と一緒だわ

と思える人と、出会うことがあります。

しかし、高校生よりも大人のほうが、“気づけていない人” とは多いものです。

  1. 自分の傲慢さに気づかず
  2. 自分の正義だけ振りかざして
  3. 人の話を全く聞こうとしない

こんな感じの人ですね笑。

高校生たちは純粋ですので、こちらが下手(したて)に出れば、

落ち着いていて、自分を理解してくれるような、こんな立派な大人になりたい

と、自然と思ってくれるからです。

一方で大人たちとは、すでに思考や思想が固まっている人が多いです。

これを是正してゆくには、他人の力だけではなかなか難しいもの。

僕がいつも思っていることとは、

最後の牙城は、自分自身だ

ということです。

どんなに熱く語られても、最後の牙城である「自分」が納得しなければ、その人のスタンスとはなかなか変わらないものです。

自分を客観的に(=メタ的に)見た時に、

あ、俺って/私ってちょっと調子に乗ってるんじゃ…

と気づけたら、そこからがスタート

自分が「最後の牙城」ではあるものの、そこを壊せない限り、変わり始めることはありません。

他人から言われているうちが「華」ですしね。

いつでも自分を外から見て「大丈夫かな?」と考えることは、大事な作業です。

自分の傲慢さに気づけるのは、最後は自分なのだ。周りに言ってくれる人がいたとしても、気づけるかどうかはその人にかかっている。

謙虚でいること

僕はその昔、かなりの「傲慢野郎」でした笑。

上の動画の柿谷選手のように、天才だったわけでもないのに笑、

自分は特別だ
何か成し遂げるに違いない

と、努力もせず変わろうともせず、ただただ「何かできるはず」と、根拠のない自信ばかりが先行していました。

しかし、自分のことを客観的に見た時に、

僕は自分に言い訳ばかりしてカッコつけて、何も努力してないじゃないか

と気づいてしまったのです。

それからたくさん本を読み、自分がしてきた過(あやま)ちや後悔を洗い出し、

ちゃんと生まれ変わらなきゃ

と、このブログをスタートさせたのでした。

読書をしてゆく中で、

いわゆる世間的な「成功」を収めた人たちとは、一所懸命努力をして、継続をして、社会のためにできることを、ずっとしていたのだな

と理解しました。

お金やインフルエンス力も、ある程度は必要なのかもしれません。

でも、それらを求めて行けば行くほど、

何かこう、幸せを感じない。ずっと渇いてばかりなんだよな…

と感じてしまったのです。

  1. 足るを知らず
  2. 謙虚になれなかった

そんな自分だったからですね。

傲慢でいた時の自分は、天狗になっていたのだと思います。

自分にはなんでもできる

と。

でも謙虚さを持ち合わせている人とは、向上心があり、いい意味で「まだまだ!」と努力のできる人です。

本当は、そっちのほうが何倍も「かっこいい」はずなのに、僕はそうなれませんでした。

それからというもの、

  • 勉強も
  • 運動も
  • 仕事も
  • 人間関係も

改善に取り組んだ僕は、とても幸せな毎日を過ごせるようになります。

「自分のできること」を、偉そうに振りかざすことなく、

  • 適切に友人に伝えたり
  • 生徒さんたちに教えたり

して、「公的に生きる」ように意識しています。

自己犠牲ではありません。

自分を外から見て、今一度謙虚になり、再び努力を続けるのです。

まず謙虚になること。その上で、努力を重ねていこう。一所懸命頑張っている人は、自然と幸せになってゆく。

自信を持ちつつ未熟さも知る

ただし、謙虚であることとは、

自信を持ってはいけない

ということではありません。

謙虚でいられる人とは、むしろその裏に「自信があるもの」だからです。

自信がない場合、ただの「卑屈」になり下がります。

  1. 謙虚だから
  2. 努力を続けるし
  3. だから自信もついてくる

のです。

そして、努力を続けてゆく上で、

あぁ、これは一生頑張らんとダメなやつだ

と悟るわけですね笑。

英語もダンスも、他の言語学習もそうですし、人とのしての性格磨きも仕事の稼ぎも、そうでしょうね。

とにかく “全てにおいて”、僕はまだまだなのです。

だから頑張りますし、

もっと違う世界を見られるように

と思うようになります。

ゆえに、知っておくべきこととは、

  • 努力
  • 自信
  • 謙虚さ

とは、共存するものであり、どれも必要不可欠であるということ。

面白いのは、こうした要素を持っている人とは、自然と人間的にも「愛される」ようになります。

ごく自然なことです。

この人はいつも頑張っている。それでも自慢しようとしないし、謙虚に向上心を燃やしている

そう思いませんかね。

傲慢な人とは、

もうこれ以上伸びしろはない

と、勘違いをしている人です。

僕もそうでした。

ここらへんで終わりでしょ?

と。

でも実際は、勉強も運動も、死ぬまで「自分との戦い」なのですよね。

毎日が「戦い」だということに気づけた時から、僕は「毎日勉強して、鍛えること」を目標に掲げました。

そうやって早5年が過ぎましたが、

  1. 教員を辞めて
  2. 世界一周をして
  3. 個人事業主になって

と、明らかに少しずつですが、生活が豊かになっていきました。

周りの人と、幸せで楽しい日々を送ってゆくこと。

そのためには、自分の未熟さや無知さを知りつつ、努力してゆくのが最短経路なのです。

その点に気づけてからの数年のほうが、

20代の頃よりも、意味のある成長を遂げている

そんな気がしますね。

謙虚であるということは、自信を持っていることでもある。そういう人は努力を怠らないし、自然と周りから好かれる。

おわりに

自分の愚かさや未熟さには、なかなか気づけないものです。

しかし、ひとたび “そのこと” に気づいてしまえば、

そうか。俺って/私って、まだまだこれからなんだ

と思い、行動に移すことができます。

地道で泥臭いことではありますが、努力や勉強、仕事を頑張るなど、シンプルなことですね。

もうやれることなんてないだろ

そう思った時点で、その人は謙虚さのない「傲慢な人」です。

僕らの勉強も向上も、一生続いてゆくもの。

それを念頭において、今日も努力していきましょう。

それではまた!

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