こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
レジリエンスを読んでいると、フィードバックに関する話が出てきました。
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教員あるあるなのですが、
と思っている教員がとても多いです。
かくいう僕も、見られていると緊張したものでした。
授業中にあんまりふざけたことも言えないですし、いつもの調子でできないことのほうが多いです。
みなさんも仕事上で、同じような経験があるかと思います。
そこで今日はそんなマインドをぶっ壊していこうという趣旨です笑。
評価してもらうことのメリット

本書に書いてあったことは「真実を抽出すること」という内容でした。
他人からフィードバックをもらうとき、大抵が、
- イヤな言い方だったり
- 本人は意図していなくても辛辣な言い方になってしまったり
する傾向があります。
僕も厳しく評価されたのであれば、
と意気込んで、相手を潰しに行っていた時代もありました。(おっかない)
しかしそれは「間違い」であり、そんな “やり合い” には生産性がありません。
確かに、フィードバックをされる際には、「感情」を乗せられて嫌味を言われることもあるでしょう。
しかし、カッとなって反応してしまったら、せっかくの(価値があるかはわからないが)他人からの評価が台無しになってしまいます。
どんなにいけ好かない相手から言われようとも、
と書かれていました。
「フィードバックや評価 ≠ 人格の否定」
という式が成り立つということです。
逆にそこを自らイコールの等式にしてしまいますと、相手もそんなつもりがなかったはずなのに、勝手に「自分で傷つく」ことになりかねません。
つまり、この式さえ頭の中に入っていれば、たとえ他人がみなさんのことを否定的に言ってきたとしても、冷静でいられるということ。
自分が作った資料ではないような顔をして、
と第三者的な目線で、一緒になって評価することができます。
傷つくこともありませんし、相手がふっかけてきた喧嘩にも乗らないまま、落ち着いて対応ができるのです。
相手の意見が仮に非生産的であっても、それを生産的にとらえられるかは自分次第です。
どんなに頑張って解釈しようとしても「ちょっと何言ってるかわからないな」という場合は諦めましょう笑。
もう怖がる必要はありません。
しっかりと、真実にだけ向き合うようにしていけばいいのです。
積極的に評価を求める人は強い

ここからは僕の個人的な体験談に基づくお話です。
教員であれば、世代に関係なく、
とメモをとって聞いている人は、間違いなく「強いな」と感じるというものです。
一方で、自身の授業が完璧だと勘違いして、
という先輩教師が後を絶ちません。
聞く耳を持っていませんし、全く成長する気が見受けられません。
いくつになっても、
- 常に自分の授業に対して疑問を持ち
- 若い人からもフィードバックを積極的にもらい続け
- 例えば、ITなど取り入れながらいろいろ試している
こんな先生は、
と尊敬してしまいます。
僕はどちらかと言うと「前者」でした…
つけあがったら人間、ダメになりますからね。
授業に限らず何においても、「常に上を目指す」という意味では共通している大切なことであり、僕はこうした向上心・謙虚さは好きですね。
もちろん、授業において(あるいは自分が今行なっていることにおいて)、自信を持ってやり抜くということは、大切なことだとは思っています。
謙虚になるべきところとは、そのあとフィードバックを受ける時であって、自信なく進行してしまいますと、見ている側もハラハラしてしまいます。
フィードバック時に限らず、何事に対しても謙虚に耳を傾ける人は、
という印象を与えることができます。
一人で突っ走っていても意外と気づかないことはありますし、第三者の目線でわかることも多いです。
よかれと思って言ってくださる上司や後輩が周りに多いはずですから、積極的に聞いていくこととは、その人の信頼や価値を高めることにもつながりますからね。
聞く耳を持たない人からは離れる

逆に「評価をする立場」にいる人もいるかと思います。
そんな中でよかれと思ってアドバイスを言ったとしても、
- ハナから聞く気がなかったり
- うんうんと頷きつつ改善する気がサラサラなかったり
する人もいます。
そういった方々とは「距離を置く」ことをお勧めします。
先ほどの裏返しであって、そういう態度の人は、
- 信頼を失い
- 自分の価値を損ねる
ことになります。
という場合は根気が必要です。
しかしあくまで他人であるため、無理に改善させようとするのは至難の業です。
そっと離れましょう。
いつか気づいた日がその人の第一歩です。
レジリエンスにつながる

常日頃から自身の、
- 意見や製品
- 授業や企画
を発信したり共有したりすることで、いろいろな意見を得られます。
生まれた時から「しんどい生活」を余儀なくさせられている方々は、バネのように起死回生する力を、意識的に養っているそうです。
社会という大きなシステムの中で、飲み込まれるほどの「大きな波」が、幾度となくやって来たはずなのに、です。
波が静まったらまた何度も海面に顔を出すサーファーのように、波に立ち向かっていく人々がいます。
そうした人々は自身の身の守り方を知っていますし、何度もそうした理不尽な指摘や非難に耐えては乗り越えてきました。
それを聞いて僕も、
と思いました。
故意にそうした「厳しい批判」に飛び込んでいくことが、必ずしも推奨されているわけではありません。
という一例です。
ただ、その一例を見たときに「学べることもあるはずだ」とは感じました。
こうした「批判にさらされること」とは、本や人との会話の中なのかなと思っています。
今まで、「自分が正しい」と信じ切っていたことが、一瞬で崩壊することは幾度となくありました。
その度に、
- 自分の無知さを知って学び
- 自身の知識やパフォーマンスを強化する
ことができます。
- 自分の授業を見てもらったり
- プロジェクトをあえていろんな人に見せて感想を言ってもらったり
と、意図的な行動で良いと思います。
僕は、普段から学べることが多いのは「本や会話」だと思っており、様々な人たちと多岐にわたる話題を話し合うこともまた、とても刺激的なことだと感じています。
これらはフィードバックという大それたものではなくても、自身の考え方や行動を改めさせられる機会となりますからね。
すると考え方や行動に柔軟性が増し、多方面からの意見にも凹むことなく、あるいは凹んでもすぐに再起できるような力が、身につくのではないかと思っています。
おわりに
どうしても他人からの評価とは恐いものです。
でもそれはひとえに、
という勘違いから生まれる恐怖だと思っています。
昔の僕は、授業を見てもらっている時は戦々恐々としていて、
みたいな感覚でした笑。
今は、
となりました。
という前提のもとに授業をしているからです。
授業を何年も続けていますと、少なくとも数年前の自分よりは改善されていることがわかります。
成長するためには、自身の振り返りもさることながら、やはり周りの多くの人の助けも必要不可欠ですね。
耳を傾けることを忘れず、
- 相手がたとえ年下であろうと
- 経験の少ない若手であろうと
新鮮な目線での意見も、積極的に取り入れていこうと思います。
それではまた!

