世界は支え合うことで成り立っている【みんなの仕事に感謝しよう】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、尿意を催して朝の3時半にトイレに立ちますと、何やらおじさんの声が外から聞こえてきました。

酔っぱらいか何かだろう

と思って寝ぼけながら用を足していますと、

助けてー!

という声が。

え?は?どうした?

と思い、外に出てみれば、1階に住んでいるおじいちゃんが、なぜかパンツ一丁で寒空の下、玄関の前で座り込んでいました。

どうやら、自宅に入れなくなってしまったようです。

入れ歯もしていなかったので言っていることがちょっと聞き取りづらくて、

とりあえず警察呼ぼうか

と言って、すぐに警察を呼んだところ、駆けつけてくれました。

今日は「助け合い」について書いていきます。

人々は助け合って生活している。その事実を改めて理解し、感謝しよう。

そういう星の下に生まれたのかも

僕は以前にも、2回ほど救急車を呼んだことがあります。

今回も、隣の住人が気付けばいいのに、なぜか誰も起きてこないものですから、驚きましたけどね笑。

別に批判するつもりはありませんが、

なんだか世知辛い世の中だなぁ…

とは思いました。

とはいえ、黙っていてもおじいちゃんは寒空の下で冷え切ってしまいます。

彼のヘルプを聞いて改めて助けが必要であることを確認し、すぐに階段を降りて駆け寄りました。

なぜ夜にパンツ一丁で徘徊していたのかは判然としませんが笑、足の悪い方だったという認識はありました。

近くの公園でよく見かけていて、

あ、自分と同じアパートなんだ

と思っていたからです。

玄関前にうずくまっていて、立てなさそうでした。

「スペアの鍵も換気扇の裏に隠してある」とか、いろいろと説明はしてくれたのですが、

これは人の力が要りそうだぞ

と思って、結果的に警察を呼ぶこととなりました。

その後、警察のお兄さんたちに任せて部屋に戻った後も、救急車の音が聞こえました。

あまり寝つけませんでしたが、

やはり僕は、こういうことに巻き込まれる人間なのかもしれない

つくづくそう思いましたね。

でも手慣れていましたので、とりあえず毛布を持って行ってあげて、すんなり110番もできました。

困った時は助け合い。

僕自身がいつそうなるかわかりませんからね。

他の住人が一切出てこなかったのは理解に苦しみましたが、時間も時間でしたので仕方なかったのかなと。

以前にそういう経験をしていましたので、とりあえず経験が生きてよかったです。

何か事件があったら大抵は巻き込まれる。そういう星の下に生まれたのかもしれない。

すぐに助けに行くこと

僕が街を歩いている時に大切にしていることは、

そういう事件がいつ目の前で起こるかわからない

という意識を持つということです。

鈍感なこと極まりない僕ですが笑、先生をやっていたこともあって、そうしたSOSにはどうやら敏感と言いますか、

すぐに駆けつけてなんぼ

と思っています。

たぶん日本人の多くの人が、

人に迷惑をかけてはいけない

と思って生きているのだと思います。

すると、「助けて」の一言すら出せない時があります。

それは僕自身についても言えることですが(それは一旦置いておいて笑)、やはりここ “ニッポン” では、「声を上げる」ことが難しいのが事実です。

だから僕は、そうした「声」を聴こうとするのだと思います。

誰か困っているやつはいないか?

とね。

そんな経験を1、2度でもしますと、普段も周りに意識が向くようになります。

冗談に聞こえるかもしれませんが、青信号で横断歩道を渡っている時ですら、

車が突っ込んでくる可能性もあるだろう

と思って歩いています。

  • 自分の身に
  • 誰かの身に

何が起こるかなんて、誰にもわかりません。

しかし大切なことは、それが起こってからどう動くかでもあります。

もちろん未然に防ぐことがベストですが、どうしてもそうできないことはありますからね。

何かあったらすぐに助けに行く

僕はここ数年、ずっとそういう意識を持って生きてきました。

「助け合い」と言うとキレイごとなのかもしれません。

でも、僕らが普段受けているサービスも、「助け合い」の一環です。

そのありがたみを感じることができなければ、それを当たり前と思うようになってしまいます。

だから困っている人がいたら助けに行く。

それが結果的に、普段感謝していることへの「恩返し」なのです。

困っている人、トラブルに巻き込まれていたら助けに行く。これが僕のモットーだ。

いろんな人に感謝すること

正直僕は、

なんだよめんどくせぇなぁ

とは思いませんでした。

たぶん人によって、

うるさくて眠れなかった
なんで俺がこんなことやんなきゃいけないんだ?

と思っていたかもしれません。

本当に僕は、全くそうした感情にはなりませんでした。

とりあえず警察の方々、ありがとう…

と思っていました。

生きていくって、本当にいろんな人の支えで成り立つものなのだなぁと。

警察や救急の人がいてくれたからこそ、僕はさっさと部屋に戻ることができたわけですからね。

当然のことのように見えますが、彼らがいてくれなかったら僕はアパートの前で立ち往生でした。

大切なことは、

こうした状況に、自分もなる可能性がある

と常に感じておくことです。

他の住人を悪く言うつもりはないのですが、

面倒くさい。自分には関係ない

と他人ごとにしておきますと、いざという時に何もしてもらえなくなってしまいます。

「助けに行った自分が偉い」と思ったわけでもなく、ただただ「それが当たり前だ」と思えていた自分には、ちょっと驚きましたけどね。

こうして当たり前のように人に手を差し伸べられるようになったのは、

  • いくつかの経験
  • それが大事だと思える考え方

を身につけてからでした。

人に優しくしておけば、自分にもそれが返ってくる。

情けは人のためならず」ですね。

僕はそれを常日頃から感じています。

恩着せがましくしたくない

そう思っている人ほど、僕は「見返りを求めているのでは?」と思いますね笑。

恩だのなんだのを感じる前に、さっと行動に移してしまうこと。

それができるようになってきますと、いちいちそのあとのことなんて考えなくなります。

感謝を忘れていなければ、誰にでも優しくできるようになるものです。

今回はたまたま僕がその声を聞き、たまたま第一発見者となったから、偉そうに言うことができますが笑、普段から意識をしておいたからこそ、行動に移せたのかとも思っています。

感謝しても行動に移すことは難しい。

だから今回のことに慢心せず、どんな時も常に意識を向けられるようにしておこうと思いましたね。

普段から周りの人に感謝しておくことだ。それが行動に繋がるようになる。その情けは必ず自分に返ってくる。

おわりに

僕は昔、超絶「個人主義」でした笑。

それくらい、人と関わることが面倒で、そこで起きる摩擦や時間を「コスパの悪いもの」として捉えていました。

でも今は、そのような時間こそが大事だと思えていますし、たとえ深い仲ではない人であっても、同じ社会の一員としてリスペクトするようにしています。

駆けつけてくださった警察官の方、救急の方にも感謝。

おじいちゃんが無事に家に入れたことを願っています。

それではまた!

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