こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
毎年必ず誰にでもやってくるもの。
それは誕生日…もそうですが、クリスマスもそうですよね。
「クリスマスと言えばカップルで…」という発想は日本独特のものであるということは、ここ最近では有名な話です。
家族と過ごしたっていいし、ひとりで過ごしたっていい。
「特別な日」とする必要もなければ、「特別だなぁ」と感じながら過ごすのも良いでしょう。
そんな30代独身男性が語る、「特別な日」の捉え方をお伝えしていきます。
何を持って「特別」とするか?
例えば今年もハロウィンがありましたが、僕は冗談ではなく本気でその存在を忘れていました。(そもそも日本に根付いていない文化ではありますが)
去年は家にテレビもありましたし、テレビをつけてトラックをひっくり返している映像を見ては、
- やれ民度が低いだの
- やれハロウィンの楽しみ方がわかっていないだの
批判的になりつつも、それを楽しんでもいました。
それが今年はすっかり忘れているというものだから、人間わからないものですね笑。
日本はハレとケを重んじる文化があり、「晴れの舞台」「晴れ着」からもわかるように、儀式的な行事について「ハレ」をつけます。
地域によって祭りがあったり、個人的に人生の転機があったりと、「ハレ」の時間は人それぞれによって違います。
僕が思う「ハレ」は職業柄どうしても、
- 入学式や卒業式
- 文化祭でのダンス公演
- 遠足や修学旅行
- 入試
などになってしまいます笑。(果たしてハレと呼んでいいのか…)
では逆に、世間一般の「ハレ」あるいは特別な日とはいつのことを言うのでしょうか。
- 年末年始
- お盆
- ハロウィン
- クリスマス
などでしょう。
以前の僕であれば、これらの日を特別視していたと思います。
例えばクリスマスは最たるものでして、
- 「イブを1人で過ごすなんて…」
- 「クリスマスに俺は一体何をやっているんだ…」
など、世間の流れに乗れていない自分自身に勝手に落ち込んでいたものでした。
もちろん、シーズンや人の動きにはある一定の流れや法則もあるとは思いますが、それにしても当時は考えすぎていたのだなと思っています。
テレビを売り、こうして日々のルーティンを確立させてきますと、あまり世間のことが気にならなくなってきました。
「人は人、自分は自分」
と誰しもが口をそろえて言うのにもかかわらず、なぜか自分のことをみじめだと感じたりする人がいるのは、やっぱり周りの動きを気にしているからだと思います。
僕も少し前まではそうでしたから、みなさんの気持ちも十二分にわかります。
しかしこうして悟りを開きますと(?)、「普通の1日だなぁ」と思うようになってくるわけですね。
無駄に考えることがなくなり、とても快適です。
自分にとって特別な日を作る
僕の職業が先生ということもありまして、卒業式は自分の学年でなくても泣きます笑。
また、ちょっとした連休にふらっと旅に出る時間ですら何か特別な日であると認識しては、ワクワクドキドキしてしまいます。
先ほども述べたとおり、人によって特別な日かどうかはそれぞれ変わってきます。
「自分にとって特別だな」と思えればそれでよいですし、その時に(いい意味で)緊張して胸が高鳴れば、それは生きている証拠です。
そういう日を作っておくことで、人生がとても豊かになります。
普段の日常は緊張感をもつことがなかなかありませんからね。
日常は日常で感情が穏やかになるように努めれば、安定したメンタルを保つことにつながります。
ただ漫然と過ごしていたり特別な日(ハレの日)がなかったりすると、そこに向かうモチベーションが湧かなくなり、どこか刺激のない日々になってしまいます。
僕は基本的にあまり感情の波がない「機械みたいなゴリラ」なのですが、
- 旅をするため
- プレゼントを買うため
- 後輩や教え子におごるため
- 投資をして経済的に少しでも楽になるため
に「お金」を稼ぎ、
- 自分や家族、友人と過ごすため
- 人生を豊かにするため
- 自分の能力を上げる勉強をするため
- 体を維持するため
に「時間」を割くようになってきました。
それらを「特別」と思えれば日々の仕事も頑張ることができます。(人によっては「毎日がスペシャル〜」と鼻歌を歌う人もいるでしょう笑)
何か特別な日、例えば、
- 自分の能力を発揮するハレの舞台
- まだ受けたことのないサービスを受ける日
- まだ見たことのない世界に触れる日
- 子どもの活躍の日
- 自分や友人の誕生日や何かのお祝い
そんな「小さな特別」から「大きな特別」まで、自分にとっての非日常を味わえる日を設定して積極的に自ら作り出していくことで、日常にもメリハリがついて人生が豊かになるのです。
世間の波によって「その日が特別なのかそうでないのか」を決める必要はないのです。
あえて特別な日を利用する
何も無理をしてまでも、
- 「クリスマスなんてなかった」
- 「自分には関係ない」
- 「クリスマスなんて、べ、別に気にしてなんかないんだからねっ!」
と強がる必要はありません笑。
僕は「真のGIVER」を目指すべく、今年の仕事納めの日に女性職員の方々を中心にお菓子を買ってまいりました。
「ホワイトデーにお菓子をあげればいいだと?いや、待て。クリスマスだしお菓子を買って行ったっていいじゃないか!」
と、逆にクリスマスを利用してGIVEする理由をこじつけました。普段もどこかに旅に行けば、お土産を買って帰るのですけどね笑。
でもせっかくですし、
「職場の女性たちの株をあげたい…ではなく、いつも頑張っている職場の女性たちに喜んでもらいたい!」
という邪な目的に向かって、クリスマスを利用させていただいたというわけです。
そう、あくまでクリスマスとは目的ではなく「手段」なのです。(?)
要は「自分の気持ちや感情のあり方」のほうが大切であって、ネガティブにとらえようと思えば何でもネガティブにとらえられてしまいますから、そのような「感情の持ち方」が世間の特別な日に対する「よくない反応」だと思っています。
毎日をポジティブに捉えることができれば、
- イブだから野郎で飲もう!
- 年末年始だからみんなで初詣に行こう!
- 転職したの?集まろう!
- 子どもが生まれた?早速家に行こう!
- 結婚したの?お祝いしよう!
と、世間の波から友人知人の転機まで、ありとあらゆる既にある「特別な日」に便乗することができます。
「クリスマスを気にしなくなる」というのは、今の自分の状況に対して感情的にならないということであり、今ある変わらない事実を受け入れた上で「クリスマスだし、なんかみんなに買って行こう」と思えるということなのです。
何を特別視するかは個人の自由ですからね。
ただ世間や周りに流されることなく、自ら特別視することをコントロールして、「特別な日」を楽しんでみてはいかがでしょうか。
おわりに
「特別な日」とは、意外にも普通に生きていれば生み出されないことであります。
僕も倹約家というよりケチだった頃は、
「お金を使いたくないから、土日には旅もしないし、お土産なんて買ってこない」
という謎のストイックさを貫いていました。
しかしそれだと、人生本当につまらなくなってしまうということに気づかされました。
年をとっていくにつれて、
- 行けなくなるところが増えたり
- やりたかったことができなくなったり
することは間違いなく、簡単に言ってしまえばこの世から消えてしまえば何もなかったことになりますからね。
では今ある「すずき」という人生を存分に楽しんだほうがいいに決まっている。
ということで積極的に「ハレ」の日を生み出す毎日です笑。
一方で普段の日常もとても大切です。
毎日毎日豪勢に遊んでいたら、
- 投資に回すお金がなくなる。
- 豊かさに慣れてしまう。
- 特別感がなくなる。
など、どこかで考え方が壊れてしまいかねません。
うまくバランスをとって、たまにある「特別な日」を大事にしていきましょう。
それではまた!
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