こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
学校という組織にいますと、よく聞く言葉があります。
それが、
- 「みんなで頑張りましょう」
- 「お互い声をかけていきましょう」
といった言葉です。
僕はこれらを言うこと自体に問題はないと思っていましたが、最近は「悪でしかない」とすら感じるようになってきました。
それは「言葉を発する人」によるのだとは思いますが、理由は様々です。
- この言葉がどうして害悪となってしまうのか
- どうやったら良い方向へと組織を導けるのか
書いていこうと思います。
言葉を発するなら行動で示せ
これらの言葉は、「言うは易し行なうは難し」だと思っています。
言葉自体は誰でも発することができるため、このような言葉を聞けば、
「言葉を発しているその人は、一体どのような人なのか?」
と、周りの人は注意深く見ています。
特に管理職は、朝の打ち合わせで毎回発言することが多く、先生たちもその言葉を聞かされています。
しかしなんといっても、現場で頑張っているのは、
- 担任や副担任
- 授業を行なう先生
- 保健室や事務、掃除の方々
などです。
みなさんご存知の通り、みんなもうすでに頑張っています笑。
最前線で戦っているのは先生方であり、管理職の人たちではありません。
これは何も、管理職を批判したくて書いているわけではありませんし、彼らも頑張っています。
ただ、
「その言葉を放つからには、ちゃんと行動で示しているんだろうな?」
とみんなが思っているのだ、ということです。
言葉を発している人が具体的な行動を示していれば、
「この人の言葉には説得力があるな」
と思えるのは、当然のことです。
むしろそのような人の「背中」は、どんなたいそうな言葉よりも説得力があり、寡黙でも行動している人には信頼が貯まっていきます。
「言葉には力がある」と信じていますが、素晴らしい言葉が出る人の生き方は、やはり素晴らしい生き方だと感じます。
世の中にあふれている名言が世界中で愛される理由は、その名言を発した人のバックグラウンドをみんながわかっているからです。
- ダンスをしたことのない人から、ダンスを教わりたくはありませんし、
- 死ぬ気で勉強をしたことのない人に、「お前は勉強を頑張れ」と言われたくはありませんよね。
状況は様々ありますし、「実績のある人の言葉がいつも正しい」と言うつもりもありません。
ただ、「中身や行動が空っぽ」の人が放つ言葉ほど、薄っぺらく伝わらないものはないということも事実です。
言葉が伝わるようにするためには、周りの人たちに情熱が伝わっているかどうかが大切です。
良い例は、部活動の「マネージャー」です。
彼らはそのスポーツ自体で力が発揮できるわけではありませんが、チームが勝つために全力でチームのサポートに励みます。
部員たちはそんな「頑張る姿」を近くで見て、肌でその情熱を感じています。
そんなマネージャーから「みんなでチーム一丸となって勝ちましょう」と言われたら、それほど熱い言葉はないことでしょう。
それは、今まで積み上げてきたものがあるからですね。
- 言葉を発するからには行動で示す。
- 行動で示せば、情熱が伝わる。
- 情熱が伝われば、言葉が深く理解される。
言葉は力を持っています。
しかし、その言葉が深く理解されるためには、人生をかけていく必要があるのです。
具体を提案して実行するまでが仕事
特に、
- 「みんなで頑張りましょう」
- 「みんなで声をかけ合っていきましょう」
という言葉ほど、抽象的で意味が理解できない言葉はありません。
僕はこの言葉を聞くたびにいつも、
- 「みんなで頑張るって、なんですか?」
- 「声をかけ合うって、どういうことですか?」
と考えてしまいます。
士気をあげるためなのかはわかりませんが、
- その理由が明らかではないこと
- 具体的な指示や行動がないこと
は、聞く側にとって理解に苦しむ点です。
- 「何を頑張ることで組織が良くなるのか?」
- 「どう声をかけ合えば、コミュニケーションがよくなるのか?」
と思われてしまうということは、何も伝わっていないことを意味します。
もし僕がこういう言葉をかけるのであれば(そもそもこのような言葉は発しませんが笑)、
- 自分が率先して毎日校門に立って挨拶をした上で、教員たちに立ち番を振ってみたり、
- 「お茶会」と称して放課後に教員を集め、コミュニケーションの場を作ってみたり
すると思います。
「頑張る」や「声がけ」といった言葉は、実際にやってみないことには全体像が見えないからです。
コロナ禍に入る前には、若手たちが集まれる場を毎週のように設定して、「出入り自由のお茶会」(お菓子をいっぱい提供する笑)を開いていたものでした。管理職の先生も呼んでいました。
- 提案
- 注意
- 指導
は、言葉を選ばずに言わせていただけば、誰にでもできるものだと思っています。
言葉には力がありますが、力を伴わない言葉もたくさんあります。
その人に「説得力がないこと」「信頼がないこと」なども理由の1つですが、具体的な策がないからでもあります。
- その言葉を伝える前に、自分は何をしてきたのか。
- その言葉を伝えて、自分はどうしたいのか。
- その言葉によって、組織をどのように導いていきたいのか。
その場を乗り切るためだけに発せられた言葉は、相手を不愉快にすらさせます。
- 「あなたにだけは言われたくない」
- 「あなたは今まで何もしてきていない」
- 「いつもフワッとしていてわからない」
と思われてしまいかねません。
これは「逆効果」ですので、言わないほうが吉と言えます。
むしろ、あぁだこうだ言う前に行動したほうが良いに決まっています笑。
こういう言葉を放って印象を悪くする人は、要は「何もやりたくない人」なのです。
このような言葉を発することなく、淡々と行動に移して実際にアクションを起こしている人のほうが、得てして信頼があるものです。
- 具体的な策を示し、
- 実際にやってみる。
これほどシンプルなことはありませんが、これほど力強くて説得力のあることもありません。
行動が積み上がっていった上で、
- 「今日も頑張っていこう!」
- 「みんなで声をかけ合っていこう!」
と言われれば、その人の頑張りを知っている誰かの心には、必ず声が届くと思っています。
みんなの頑張りは個人の頑張りから
人生や仕事のことを考えるようになってきて、
「僕自身にも言葉の裏付けがちゃんとあるのか?」
と、考える毎日となりました笑。(すずきはもっと頑張れ)
かの元サッカー日本代表である本田圭佑も言っていますように、結局は「個人の頑張り」が「組織や全体の頑張り」につながると思うようになりました。
特にダンス部を教えていた時も、「チームで」「チームが」と当たり障りなく抽象的に言うよりも、結局は個人のスキルの修練がチームの強さを生むと伝えていました。
チームスポーツですと、
- やれ戦略が
- やれ一体感が
と言う人がいますが、それは低いレベルでの話であり、より高いレベルを目指すのであれば、個人ですでにある程度の力を持った人たちが、チームとなって戦っていかなければなりません。
その上で初めて、戦略なりメンタルトレーニングなりが活きてきます。
全体は「一部」の集まりであり、チームは「個人」の集まりです。
僕は「みんなで頑張ろう」という言葉を吐くくらいであれば、まずは僕個人が頑張ることから始めなければならないのだと思っています。
余談ですが、遥か昔に「あひるの空」というバスケ漫画を読んでいました。
監督である車谷智久というキャラクターの、この言葉がとても好きです。
大事なのは強いチームか弱いチームかじゃなく
強くなれるチームかどうかなんだ
僕も「強い個々が集まっているチームや組織」が生き残っていくとは思いません。
「いつまでも走り続け、成長しようと思える個人が集まっているかどうか」
が重要だと思っています。
組織においても、
- 上を目指して頑張れる人
- 自ら率先して動いている人
このような人たちがいるからこそ、情熱が生まれ、熱が伝播し、組織が前を向いていきます。
「みんなで頑張ろう」という言葉は、無責任で現実から目を背けている言葉です。
もし頑張っている人が、もっと周りに頑張って欲しいのであれば、このような言葉は使わないほうがいいでしょう。
頑張っている人は、その姿だけでもう十分だからです。
- 個人が頑張るから、周りも頑張ろうとする。
- 周りも頑張るから、個人も頑張ろうとする。
そうやって「強くなれるチーム」こそが、あるべき組織の姿なのです。
だからこそ、まずは個人にフォーカスを当てるべきだと思っています。
特に言葉を発する人の責任は重いです。
言うからには行動。
それは僕についても言えることですね。
おわりに
「みんなで頑張ろう」という言葉ほど、殺傷能力の高い言葉はありません笑。
特に真面目な人ほど、「自分がもっと頑張らなければ…」と思ってしまいます。
僕みたいに「ある程度不真面目な人間」は大丈夫なのですが笑、いずれにせよ言葉を発した本人が「まずは自分から」と思えているかどうかは大切なことです。
理想を持つことは大切なことですが、それをいかに具体に落とし込み、実の伴った「目標」にできるかは、もっと大切なことです。
そしてその目標に向かい、いかに動くことができているか。
僕もこうして文字に起こして何もしないのではなく、たくさん行動して説得力を持たせていきたいと思っています。
それではまた!
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