こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
先日、いつも通りコメダ珈琲でブログを書いていますと、赤ちゃんの泣き声がしました。
僕は赤ちゃんの動画をニヤニヤしながら見てしまうほど、赤ちゃんが大好きでして笑、その存在は尊いとすら思っています。
さて、そんな中で放たれた「うるせぇなぁ!」という心ない言葉…
ドキッとしてしまいますよね。
おじさんが何か作業中で集中したかったのか、少し大きめの声で独り言のように怒っていました。
そのおじさんを責めるつもりはありませんが、やっぱりあまりいい気持ちはしませんでした。
こうした場面は、お店や電車で頻繁に出くわしますが、僕なりに思うことはあります。
今日はそうした「心ない発言」に対して、個人的な意見を書いていこうと思います。
様々な状況を考えよう
以前も「自分のイライラを、理不尽に表に出すべきではない」という記事を書きました。
僕がそのおじさんを責めることができなかったのは、人間誰しも、
- 感情的になったり、
- 疲れていたり、
- むしゃくしゃしていたり
する時があることを、知っているからです。
しかし、もっと広い視野で考えてみれば、そんな心ない言葉が出てくることはありません。
- 子育ての大変さ:赤ちゃんは泣くのが仕事
- 誰でも昔は赤ちゃんだった
- その場に身を置いている自分の責任
など、考えられる状況はたくさんあるからですね。
1つずつ見ていきましょう。
子育ての大変さ:赤ちゃんは泣くのが仕事
僕には子どもがいませんが、姪っ子もいますし、同世代の友人は結婚してお子さんもいますので、間接的にではありますがその大変さを感じることがあります。
- ベビーカーのために、エレベーターを探さなければならない。
- いつも換えのオムツを持っていなければいけない。
- 家族で入れる広いお店や、施設を選ばなければならない。
など、僕が知る限りでも「子育て」とは簡単なものではないことがわかります。
それは僕自身も、友人たちのおかげで間近に感じることができて、初めて分かったことでした。
そのため、
「『うるせぇなぁ』と言い放ったおじさんには、そうした経験がなかったのかな?」
と思いました。
ひとたびそのツラさを知ることができれば、そのような言葉がでるはずはないからです。
赤ちゃんたちは生まれてきた瞬間から泣きますし、幼い子どもたちはむしろ泣くのが仕事と言っても過言ではありません。
もちろん、その場の誰もが「うるさい」と思うのは当然のことでしょう。
ただ、その周知の事実に対して「うるさいな」と言葉にしてしまうことは、さすがに何も分かっていなさ過ぎだと思いました。
その言葉によって、
- 親に聞こえていたら、親は申し訳ないと思うだろうし、
- 周りの人たちだって良い思いはしないし、
- 店員さんも対応するのが難しいし…
と、プラスに働くことは何一つないからです。
自分のストレスが発散されるわけでもありませんし、むしろイライラは溜まる一方です。
「赤ちゃんは泣くものだ」
こう思っておけば、泣いている赤ちゃんを笑顔で見守ることができます。
僕の場合、泣き声を聞きつけたら、
「お、今日も仕事してるなぁ!」
と思うようにしています笑。
誰でも昔は赤ちゃんだった
高校生を教えていますと、どんなに悪ガキであっても笑、
「昔はみんな、赤ちゃんだったんだよな…」
と、ふと思うことがあります。
僕自身も可愛らしい「赤ちゃん時代」がありまして笑、誰もが生まれてきた時は純粋な子どもでした。
僕も30年前の自分に思いをめぐらせてみた時、「泣くことも仕方のないことだよね」と思えるようになりました。
心ない言葉をかけてしまうのには、そうした「想像力の欠如」も原因として考えられるのかなと思っています。
もちろん、そのおじさんに向かって、
「あなただって、昔はあのように泣いていたんですよ!」
と言ってもトラブルになるだけです笑。
感情的に返され、言い合いになるのがオチでしょう。
まずは「自分が想像力を働かせることができているか」を確認することが先決です。
- 昔は自分だってそうだったじゃないか。
- 自分だってうるさくしてしまうことはあるじゃないか。
と、想像を膨らませてみましょう。
「赤ちゃんが泣くこと」は自然なことであり、「絶対に泣かない赤ちゃんがいる世界」なんてあり得ません。
自然なことを受け入れることができていないのであれば、それはその人に想像力が足りないと言ってもいいと思います。
最初はみんな「赤ちゃん」という状態を通ります。
その事実を「知らない」「関係ない」と無視して、イライラするのはよろしくありません。
もっと寛容にならなければいけませんね。
その場に身を置いている自分の責任
言わずと知れた「原因自分論」ですね。
今でこそ飲食店は以前より静かになりましたが、そもそもファミレスや家族向けの飲食店は「うるさいのが基本」です。
もちろん、ギャーギャー騒いでいて迷惑な連中がいた場合はイライラするでしょうし、注意したくもなるかと思います。
ただ、赤ちゃんの泣き声に限らず、ある程度は大きな声が飛び交う場ではありますので、その場に身を置くことを選択した自分の行動について、まずは改めるべきです。
本当に集中したいのであれば、
- 自宅
- 図書館
- 耳栓をつける。
- 音楽を聴く。
など、場所を変えたり自分なりの対策を取るなりして、臨機応変に対応すべきです。
- 勝手に喧騒の中に身を置き、
- 勝手にイライラして、
- 勝手に怒鳴り散らす
ほうがよっぽど迷惑ですし、赤ちゃんよりも理不尽です笑。
イライラしてしまうこともわかりますが、まずは自分が選んだ選択肢を直視し、自分に変えることができるものはないかを探ることが先です。
「自分にできること」の範囲を超えてしまうと、自分ではどうにもならないため、考える必要はありません。
- 嫌ならその場を離れればいいですし、いちいち怒鳴り散らす必要もありません。
- 公共の場は自分ひとりのものではありませんし、様々な人が利用しています。
自分にできることから考え始めて適用させていくほうが、満足度が高いですしイライラもしなくなります。
すぐに行動に移せますしね。
自分の行動から改めていくことを第一にすると、自然とストレスやイライラから解放されていきます。
自分のことを棚に上げない
- 赤ちゃんは泣くものだ
- 想像力を働かせること
- 原因自分論
と書いてきましたが、イライラしてしまうのは自分の思い通りにいかないことも1つの原因だと思っています。
- もっと静かだと思った
- もっと集中できると思った
- 子どもがいるなんて思わなかった
など、すべてのことを自分を中心に考えていた場合、うまくいかない現実にイライラしてしまいます。
ここで一度、逆の立場を考えてみましょう。
- 自分は絶対にうるさくしない自信がある。
- 自分は今まで、他人に迷惑をかけたことがない。
こう断言できる人はいないはずです。
先ほどの3つのポイントと重複しますが、
- 自分だってうるさくしてしまったり、
- 誰かに迷惑をかけてしまったり
する可能性は、十分にあるのです。
赤ちゃんの泣き声を聞いて「うるさい!」というのは、
- 自分のことを棚に上げ、
- 自己中心的にものごとを考え、
- 自分の思い通りにいかないことを他人のせいにしている
ことに他なりません。
広い心を持ち、想像力を働かせ、自分もそうしてしまう可能性もあるということを認識するだけでも、他人に対して優しくできるようになると思っています。
おわりに
「人は生まれながらにして、迷惑をかけながら生きている」
と、どこかで聞いたことがあります。
これは真実だと思っていますが、だからと言って自分の存在を否定することは違うと思っています。
ただ、
- この事実を理解して生きていくことと、
- 迷惑を被ってイライラしたら手当たり次第に怒って生きていくこと
では、大きな差があります。
赤ちゃんだけでなく、公共の場では様々なストレスがかかりますが、
- 自分が今までかけてきた迷惑もあるはずですし、
- これからも迷惑をかけていく可能性
もあります。
それを受け入れながら生きていけば、他人に優しくなれますし、寛大になって生きやすくなると思います。
世の中のできごとに対して想像力を働かせ、
- 「自分だったらどうするか」
- 「自分にも可能性はないか」
と考えていきましょう。
僕は今後も、赤ちゃんの泣き声を聞くたびに、笑顔を向けていきたいと思っています。
それではまた!
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