こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
友人たちと話していますと、
とあくせくしている人がいました。
自分の生きる意味や仕事について考え始めた僕は、
と思うようになりました。
人生において、必ずしなければならないことなんてあるのでしょうか。
今日はちょっと違った角度から、話をしていきます。
しなければいけないことって何?
この「マスト」(=しなければならないこと)という感覚は、仕事においてたくさんあります。
僕はどこか「やらされている」とう感覚があったことに、最近まで気づくことができていませんでした。
仕事をする理由を考えてみますと、
- 遊ぶため
- 家族のため
- お金のため
- 子どものため
- 生き抜くため
などが思いつくでしょうか。
そうかもしれません。
資本主義社会では、お金こそが生きる土台ですからね。
ただ今までの僕は、
- 生活するため
- 飲み代にするため
に、仕事に行っていたような気がします。
お金を「価値あること」にほとんど使わずに、貯まっていくことをいいことに、なんとなしに使っていたようでした。
いろんな生き方があっていいのですが、以前の僕は「先生」という職を夢見ていた一方で、
とも思い込んでいました。
だから「やらされてやっている」という状態に気づかないまま、「やらされてやっていた」のだと思います。
仕事に本当の意味を見出せなければ、それは「やりたくてやっている」ことではないからです。
少なくとも当時の僕は、「教育好き」というだけである程度仕事に対する「献身性」はありましたが、盲目にただただ働いていたようでもありました。
それは現在から当時を振り返って初めて、わかったことでした。
極論を言いますと、人生に「やらなければならないこと」なんてないと思っています。
だから、
と、「To doリスト」を作ることの必要性を、考え直してみたのです。
本質はそうではありませんよね。
- 誰かのために仕事をする
- 自分が好きでやりたいと思うことをする
このような考え方が先に来るべきだったのです。
やりたいことができているか
先生をやっていますと、時々「やらなければいけない病」に悩まされることがあります。
しかし本来仕事で「やらなければならないこと」とは、保身のためにやることではありません。
そんな後ろ向きな考え方を続けていて、果たして「仕事」ということができるでしょうか。
僕はそうは思いません。
そうやって「あれこれ」考えるほうが、よっぽど「やらされている感」はなくなることでしょう。
あれ?自分は一体誰のために仕事をしているのだろう、と思いました。
- 怒られないため?
- 信用を失わないため?
- 褒められたいがため?
チームでプロジェクトを成し遂げるためには、確かに1人1人が自覚を持って、責任を感じながら働くことは大切です。
でもいつしか、
と、本来の意義とは違った感覚で仕事をしている自分がいることに気づき始めました。
- それもこれも給料のため
- 生徒・保護者から良い先生だと思われたいがため
それって、僕の本当に「やりたい」仕事だったのでしょうか。
給料をもらえているから、頑張らなければいけない?
と誰かから言われている気がして、「本当の仕事」とはどこか違った仕事をやっていただけだったのでした。
仕事に限らず、
- 家事をしなければならない
- 運動をしなければならない
- 勉強をしなければならない
それらは何のためでしょうか。
やらないと組織が、家庭が、自分が、どうかなってしまうからなのでしょうか。
という考え方でやることは、生きていく上で本当に必要なことなのかと思うのです。
そういうことでもありません。
「なぜ自分は、この行動をしているのか」
- ブログも
- 筋トレも
- 英語の勉強も
それは、僕がやりたくてやっていることでなければならないですし、本当に誰かのことを想ってやっていることである必要があるのです。
それ以外の「やらなければならないこと」は、乱暴に言えば「惰性」に過ぎません。
果たしてこの考え方は、間違った考え方でしょうか。
僕は今一度、自分のやっていることに疑問を持ち始めることにしたのです。
自分がコレだと思うものをやろう
僕は以前より、もっと自分の起こしていく行動は自由であるべきだと思うようになりました。
- やる必要のない雑務
- やったほうがいいよと言われてやること
これらに疑問が生まれてきました。
もちろん、
と言われて、本当によかったこともありました。
- 投資
- 読書
- 食生活改善
- キャッシュレス決済
自分で気づいたこともあれば、人から言われて試して、ミラクルフィットしたこともありました笑。
しかし共通していることは、「やらされてやったこと」ではなく、全て自分で考えて最終的に決めたことでした。
もし当時、投資に納得がいっていなければ、あるいはハナから友人や偉人の言葉を聞こうとしていなければ、投資を始めていなかったかもしれません。
奇跡的な「出会い」や「きっかけ」から新たに始めてみたことも、確かに少なくありませんでしたからね。
ダンスやブログのように、
と思う出会いもあれば、サウナやランニングのように、
とジワジワと「その良さ」を感じるものもありました。
しかし今までは、
- 必要のないこと、あるいは
- 不要であることにすら気づいていなかったこと
などを、平気でやっていたと思います笑。
- お金を貯蓄して人のために使わない
- なんとなく勉強しなきゃと思って受けた英検
- チームがうまくいっていない職場にイラつくだけ
などです。
大切なことは、1つ1つのことと向き合い、取捨選択をすることです。
- 無意識に
- 盲目的に
やっていることであれば、内容がいくら素晴らしくても考え直すべきです。
僕がTOEICや英検を受け直した時は、
と何度も問いかけました。
と言われてなんとなくやっていたなら、僕にとってどんなにすごい資格でも、無価値なものでしかなかったと思います。
仮に、
と言われて、
と思うようなことと一緒の類(たぐい)です。
自分で自分に問いかけた時に、
- 本当に必要なのか
- 好きなことなのか
- やりたいことなのか
そうでないものであれば、みなさんの人生にとって、実は不要なことなのかもしれません。
おわりに
考えれば考えるほど、
と思うようになりました。
自分の好きなように生きれれば人生はイージーですが、確かに、
- 辛酸をなめたり
- 苦しい時期を経験したり
する時も必要でしょう。
しかし、
を突き詰めていくことだけで、1つ1つの行動にしっかりと「根拠」が裏付けられるようになります。
その上でやる行動、仕事、趣味であれば、それほど筋の通ったものはありません。
「好きだから」でも「理由なんてないんだ」でも、その人が納得していれば十分です。
ダメなのは、「よくわからないけどやること」です。
以前の僕ですね笑。
そうならないよう、改めて自分の「やらなければいけないこと」に疑問を持ってみましょうね。
それではまた!
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