こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
みなさんは友人と会うとき、
と思うことはあるでしょうか。
僕は、実はそんなに特別なことは要らないんじゃないかなって思っています。
サプライズやパーティー、イベントなど、確かに非日常を共有することもとても魅力的であり、それを否定しているわけではありません。
しかし出会いの本質はいつも、シンプルで僕らの心の根源に訴えるものでなければなりません。
果たして人と過ごす時間はどのようにあるべきか。
今日は人との時間について書いていきます。
人と会って何をするか?
人と会うことは、特別な時間でもあり、そうでもないとも言えます。
社会的な動物である人間は、言語を介して想いを伝えたり、意見を交換したりします。
理性的な部分が発達していることも人間の特徴であり、ある場面では表面的かつ事務的なやりとりをすることもあります。
僕が人と会って何をするかと言えば、なんとずっと話していることが多くなりました。
「雑談」と言いましても、ただただ「くだらない話」をしているわけではありません。
というより、そのような話をし続けること自体が難しく、本当の意味で深い話に行き着くことができません。
同僚とですと、
- 教育
- サウナ
- ワンピース
について深く話をします。
コミュニティの仲間ですと、
- お金
- 人生
- 生き方
などについてでしょうか。
もちろん、
と話す内容を分けることもあれば、同じ内容を違う人に伝えることもあります。
話す内容はケースバイケースで良いのですが、「話が合わない人」とは関係が長く続きませんでした。
幾度となく、「この人とは合わない」と思ったことがありました。
「話が合う」「ウマが合う」とは本当に大切なことであり、そこが噛み合わないとコミュニケーションをとっていても楽しくありません。
「楽しい」とは、先ほど述べた「深い話/深い関係」のことです。
僕がどんなに突拍子もないことを言っても、笑わずに傾聴してくれる相手。
そして僕も、深い考え方を持つ人や共感できる人と話したいと思うのです。
それができて始めて、
と思えるのです。
深い話をできる相手…
では、「深い話」とは一体なんでしょうか。
深い話をしよう
「深い話」と聞きますと、
- 抽象的
- 高尚な
- 意味のある
と言った、まるで「生産的な話」を思い浮かべてしまうかと思います。
僕はそうは思っていません。
他愛のない話でいいのです。
僕は、最近テレビも見なくなったため、話題が「自分か相手のどちらかが中心の話」になることが多くなりました。
世間一般を見渡せば、
- 世界の情勢が…
- あの芸能人のあれが…
- 〇〇くんと〇〇ちゃんが付き合ってるらしい…
など、自分にも相手にも全く関係のない話題で溢れています。
一見すると、なんとも高尚で勉強になるような話ですが、正直なところ、あまり僕らには関係ありません。
いえ、関係ないわけではないのですが、僕らがどうこうできる問題ではないということだけは事実です。
以前の僕は、やたらテレビを見ては「話題の引き出しがある人」を演じようと必死でした。
そんな話をしていますと、
- どこかちょっと頭の良さそうな
- 自分が世間に追いつけているような
感覚に襲われます。
もちろんそれは、深い話とは言えません。
その人の「社会やゴシップに対する意見/考え方」も面白いですが、あくまで話題の中心はその人自身ではなく、世間の取るに足らない出来事です。
僕はもっと、
- その人がどう生きているのか
- 何を考え、何に向かっているのか
- 軸をどのように持ち、何を大切にしているのか
など、その人自身のありのままを聞きたいのです。
と思われる方もいるでしょう。
でも、僕はその人の人生に対する姿勢を知りたいので、ある意味シンプルです。
もしかすると、人生について何も考えていない人もいるかもしれません。
それでも構いません。
- なぜ考えたことがないのか
- 人生について何を思うのか
- 仏教的な発想で諦めているのか
と、まだまだ掘り下げることができますからね。
「深い話」とは「=その人そのもの」であり、「レベルの高い世間話」のことを指しているわけではありません。
たとえ世間話をしたとしても、その手段を使って自分の人生の目的のために、どのように生かしたいのか。
そちらほうが、僕はよっぽど興味がありますね。
深い話をすることでできるつながり
様々な場所へと旅をし、友人たちと会って話をしていますと、その時その時で「深い繋がり」を感じるようになりました。
と思われる方が多いかと思います。
一緒に見た景色や、吸った空気、同じ空の下で過ごした時間は、確かに「特別」なのかもしれません。
しかしやっていることと言えば、友人と心の深部で繋がるような、そんな雑談ばかりでした。
その間に、
- ご飯
- サウナ
- スポーツ
など、いろんなアクティビティが挟まることもあるかと思います。
でも会うことの本質は、そこではないことがあります。
大学生の頃は、一緒に朝まで飲んだり、深夜に遊びに行ったりもしましたが、そこに深い繋がりがあったわけではなく、
- 英語
- ダンス
など、本気で夢中になれるものを共有して、それぞれが必死に突き進んでいたからこそ、打ち上げや別れの時に涙したものでした。
社会人でももちろん「夢中になれた経験」はたくさんあり、学生の頃と同じように涙した時もありました。
ただその中の1つに、
「自分の人生を豊かにしようと、一所懸命になること」
があるということ。
そのことを、最近は強く感じるようになりました。
- 何を思い
- 何を求めて
「今」を生きているのか。
この話をすると、学生の頃の感動が蘇ってきます。
周りの友人たちが「本気」であれば、学生時代の感覚と一緒のことだからです。
「本気」の話をしますと、その人の人生観や、現在努力していることについて聞き出すことができます。
そうすると、自分だけではなく周りのみんなも、
- 夢中で
- 本気で
突き進んでいることがわかり、心の深い部分で共感することができます。
僕は、そんな「本気」で生きる人たちをずっと探していました。
今は全国に友人ができ、話をしたり趣味を共有したりする中で、人生についての話をしています。
という意見もあるかと思いますが、そればかりは程度がわかりませんので、実際に会うことで話の深さが掴めるかと思います。
その上で、その人と関係を保っていくかどうかを判断すればいいと思います。
少なくとも僕は、本気の話をしたい。
もちろん、息が詰まらない程度に笑。
そうして、「深い繋がり」を感じていたいのです。
おわりに
僕は別に、
と言っているわけではありません笑。
笑って泣いて、くだらない話をしながらも、ベースとしてお互いの生き方をリスペクトできるような、そんな「出会い」をしたいのです。
実は難しいことなんてないのです。
一所懸命、ひたむきに「自分」について考えて、行動していれば、それで十分だと思います。
僕自身だってまだまだ未熟ですし、できないことや知らないことだらけです。
それでも必死に生きて、様々なことについて想いを巡らせています。
そんな「思考」についてみなさんの話を聞けたら、僕はとても嬉しいです。
いつかお会いするときは、人としての高みですね。
それではまた!
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