こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日から楽しく読ませていただいています「プロセスエコノミー」。
以前から友人に勧められていたのですが、実際に読み始めてみて、
と思いながら読み進めています。
その中で、
- グローバル・ハイクオリティー
- ローカル・ロークオリティー
という言葉が出てきました。
前者は大企業がお金をかけてどんどん良いものを出していくという形であり、後者は途中でも80点でもいいから、個人や狭いところでモノやサービスを提供していくという形です。
僕は、この後者の考え方がとても好きです。
とは、鹿児島に行った時にも言われたことがありました。
今日は「狭いニッチなところに詳しいこと」について話していきます。
ニッチに生きる前に
さて「狭い分野で戦う」とはいえ、そんなことで世界一有名になることができるのでしょうか。
もちろん、僕にはそんな欲求や野望はありません。
ローカルでロークオリティーのものを出すためには、僕には覚悟が必要でした。
それは「稼ぎまくろうとしない」という覚悟です。
以前に読んだ「売上を、減らそう」で感化されたように、僕は必要最低限のお金さえあれば十分幸せになれることがわかりました。
そんな最低限の生活に憧れるようになったのです。
もちろん資産が大きくなれば、それだけできることも増えてきますが、最初からそこを目指しているわけではありません。
ただ本書に書いてあるように、
- ローカルに
- ロークオリティーでも
サービスを与えていきたいと思ったのです。
人からそう思われて「少しだけのお金」をいただくほうが、僕の性に合っています。
将来のことはわかりませんが、これだけ個人が力を持つようになった時代ですから、何か起こることもあり得ます。
無理をして大きな事業に向かおうとするよりも、
- 自分の好きなこと
- 熱中できるようなこと
から始めてみようと思ったのです。
腹をくくることさえできれば、あとはそこにフォーカスしていくだけです。
心情的な部分でしっかりと納得することができれば、進み始めることができるのです。
ニッチな分野でオタクになろう
以前の僕といえば、
と思っていたものでした。
「何でも知っている人ほど偉い/すごい」
と信じてやまなかったからですね。
確かに、それは一部切り取って見れば真実であり、雑学王やクイズオタクもまたカッコいいものです。
ただ、全部知ろうとすることには限界があります。
と思っている人も、大半います。
「現代に求められている人材は、とにかくニッチで細かいことに精通している人だ」
と本書に書いてある通り、僕もそう思うようになりました。
なぜなら、僕自身もGoogleで検索をするときは、
と感じる時があるからです笑。
だからこそ、
そう思わせることが大切ですよね。
だから、ローカルでロークオリティーのものでよければ、自分の専門分野は絞ったほうがいいに決まっています。
大風呂敷を広げてしまいますと、畳んで回収することが困難になってしまいますからね。
これだけの人がいる社会です。
「細かくなればなるほどいい」というわけではありませんが、ニッチで狭いところを知りたがる人は一定数います。
そこにターゲットを絞って「小さく始めていくこと」。
僕は、想像の範囲内に収めることができたのです。
自分の周りの近い人に与えていきたいから
ニッチであることは、僕の「理想の生き方」に近いものであることにも気づきました。
前提として、「ビッグになりたい」とか「有名になりたい」という欲がないからです。
仮に有名にでもなれば、多くの人の役に立つことができるようになりますが、
「自分の人生の幸せ」
について考えた時に、それは僕の本意ではないと思いました。
今僕ができることは、近くの人たちを幸せにしていくことだと感じているからです。
- ニッチであること
- オタクであること
は、狭い分野に深い愛情や情熱を持っていることを意味します。
僕の場合であれば、
- 旅
- 語学、読書
- 食生活、筋トレ
- サウナ、ダンス
- ランニング(修行中)
など、普段から「ブログに綴っていること」「SNSに載せていること」がそのまま知識や経験としてありますね。
これ以上手を広げる必要はありませんが、また何か興味を持てば、そのまま突き進んでいけばいいだけです。
とにかく「無理をして手広くやればいい」という発想はなくなりました。
以前はそう思っていたものですが、今は自分の好きなことに特化しており、それが楽しくて仕方ありません。
そのほうが情熱を持てますし、真の意味で人の役に立つことができています。
人の「好きなこと」には、誰も勝てません。
これは比喩的な表現であり、「知識量や経験で競争が起きる」という意味ではありません。
その人が好きであれば、必ずこだわりがある/出てくるということを意味しています。
ラーメン屋さんが1つだけではないように、そのお店なりの「こだわり」を好きになる人がいるということです。
そうであるならば、「自分の好きなこと」にとことんこだわり続けることで、その「こだわり」が輝いて魅力的になってくるはずです。
本書では秋葉原の店員さんが例にあげられていました。
このように、その狭い知識こそが「自分の近い人を幸せにする」ことに繋がります。
ある分野に精通しているということは、その分野に近い人たちが必ず集まってくるからです。
中高生の時は思春期ということもあり、「オタク同士で集まる光景」を見ては引いていたものでした。
今となっては、「自分の好きな人」や「同じ趣味を持つ人」同士で集まり、協力していく時間のほうが、この上なく大切であるということに気がつきました。
近くの人を愛すために、自分の好きなことや熱中していることに、とことん向き合う。
一見するとつながりのないような両者であるものの、僕の今後の人生にとっては大きな意味を持っています。
ニッチな分野で、オタクになっていきましょう。
そうすればきっと、自分のスキルや技術を求めてくれる人が現れるはずですから。
おわりに
僕は「勉強オタク」でしたが、そのおかげで「勉強を教えてほしい」という生徒たちに「与えること」ができました。
さらに英語の先生と「教科を絞ること」で、自身が英語を話すのが苦手でありながらも、
という人のために、情熱を持って勉強を続けることができるようになりました。
ダンスやサウナなど、好きなことに対しては徹底的に研究して経験を積むようにもなりました。
実はこれが、僕にとっては一番心地よかったのです。
今までは、
とゼネラリストやオールラウンダーを目指していたからです。
しかし人間ですから、わからないことはわからないで良いのです。
そこに納得すれば、あとは狭く深くいけばいい。
みなさんも、ニッチな分野でオタクになってみましょう。
きっと近くに、あなたのスキルを求めている人がいるはずですから。
それではまた!
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