こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、最難関と言われていたインドを終え、アラブ首長国連邦へとたどり着きました。
飛行機の中で、インド人の女性がアニメのTシャツ(ルフィ)を着ていたので、そこから話が盛り上がり、空港を出るまでずっとしゃべることとなりました。
彼女としゃべっていて感じたことは、
ということでした。
以前にも記事にしたように、「孤独」とは決して単純にひとりでいる状態を指すわけではありません。
大都会の中でも、孤独を感じることなんてザラにあるからです。
今日は「人と話すこと」についてまた違った角度で書いていきます。
言語から想像を膨らませる
インド人の彼女は、いわゆる「オタク」のようなレベルで、日本語はしゃべれなくてもいくつかの語彙は知っていましたし、アニソンまで歌うことができていました。
僕もアニメは嫌いではありませんので、懐かしい思い出を語りながらアニメや漫画の話に花を咲かせました。
彼女もなかなかこうした話ができる相手がいないようで、いわゆる「win-win」の状態となったのでした。
懐かしい思い出を振り返りますと、まるで日本にいるような感覚を覚えます。
- 先日は後輩と
- 本日はインド人と
出会い、話す内容といえば懐かしの日本の話ばかり。
それによってやはり、「日本を近くに感じること」ができました。
海外に来てよくフラッシュバックするのは、日本にいた時に「ひとりで歩き回ったところ」でした。
コロナ禍の時に「キュンとする思い」をしながら回ったところは、どこか寂しくて、
- いい思い出でもありつつ
- 孤独感のあった思い出
として記憶に残っています。
一方で、海外で日本人と出会ったり日本のことについて外国の人たちと話をしたりすれば、
とは感じなくなり、むしろ日本を近くに感じるようになりました。
海外では何度もそう思ったことがありましたが、後輩やインド人の彼女と話していて、改めてそう思うことができました。
それだけ「言語」は強い力を持っており、遠い記憶を蘇らせてくれるのです。
人と話すことはデトックス
「人と直接話すことの大切さ」は、コロナ禍から今までを通してたくさん伝えてきました。
それは僕自身が強く感じていることでもありますが、それ以上にみなさんもひしひしと感じていることだと思っています。
インド人の彼女ともたまたま話すことができましたが、
- 彼女がワンピースのTシャツを着ていて
- 僕がそれに気づいて話しかけたからこそ
起きたことでした。
そんな奇跡の中、彼女と話をしていれば、フライトの時間はあっという間でした。
それ以上に、まるで「日本の友達と海外旅行をしている」ような、そんな気持ちにさえなりました。
僕は去年の2022年に、積極的にいろんな人に会いに行くことをしてきました。
その際は多くの人に感謝されたものですが、実は違います。
僕のほうが単純に、
だったのです。
何より人と話してブラブラしている時間が、今の僕にとっては最高の時間だからなのです。
人生、いろいろと悩むことはあります。
悩みのない人なんていないでしょう。
グチをこぼすことがあってもいいですし、話すことでスッキリすることは多々あります。(ただしいつもネガティブだと人は離れていきます)
だからこそ、いつの間にか僕は「人を求めて旅をする」ようになったのでした。
序盤の方でお会いしたベトナムの方からスタートして、いろんな人に出会ってきたこの旅。
日本人に限らず、ホステルで話したメンバーはどこか特別な思いを抱ける、そんな人たちばかりでした。
人と話すことで、僕は心の中がリセットされるような、そんな気持ちになりました。
この旅はどうしても独りでいることが多くなってしまいますが、ひとたび彼らと話をしてみれば、
- ツラかったこと
- 自分が考えていたこと
など、多くのことを共有することができます。
時に一方的になってしまいますが、そうなったと感じた時は傾聴力を生かし、相手の話も聞いてあげること。
相手から学べることもたくさんありますし、「聞くこと」で想像力を膨らますこともできます。
それらが全て、自分の「毒素」みたいなものを出してくれるのです。
そう思えている旅となっています。
きっかけはいつも自分から作る
僕が去年、人と積極的に会いに行ったように、今回の旅でも幾度となく、
- 自分から話しかけること
- 自分から会いにいくこと
によって、結果的に自分を救うことに繋がることがありました。
もちろん、いつもいつも「自分から」行動することばかりではありませんが、できる限り自分から行動することで、人と話すことができることは間違いありませんでした。
今回のケースにおいても、
という「声かけ」から始まったと言えます。
なぜ僕はこういうことができるようになったのかと考えてみれば、それは先生として生徒たちに話しかけることが多かったからだとわかりました。
どんなに見知らぬ人でも話しかけられるようになったのは、海外の経験を通してかもしれませんが、根本の部分はまさに教員時代の経験があったからです。
この「自分から話しかけにいくこと」は必ずリスクを伴います。
いえ、リスクと言っても、
- イヤな顔をされる
- ちょっと恥ずかしい思いをする
くらいしかなく笑、そんなリスクを考えている暇があるのであれば、話しかけてしまったほうが得策です。
しかし「リスクがある」ということは、同時に「リターンもある」ということ。
生徒たちは特に先生に話しかけることを苦手としていたために、こちらから声掛けをしてあげる必要がありました。
こちらが声を掛ければ、形は様々あれど彼らも必ず返事をしてくれます。
それは生徒に限らないということ。
どんな人でも(僕だって)、話しかけられれば少なからず嬉しいものです。
その「嬉しさ」を知っているからこそ、こちらから声をかけてあげること。
それが時に、自分を救ってくれることもあるのです。
去年の僕がいろんな人に救われたように、自分から動けば必ず何かしらのリターンがあります。
それを求めるわけではないですし、時に何も起こらないことさえあります。
でも人と話すということは、そもそも読めないものですからそれでいいのです。
積極的に話しかけて、いろんな人と出会っていきましょう。
おわりに
人と話すことは、この旅においてとても重要なことでした。
ずっと日本との繋がりを感じながら歩いている毎日。
いろんな人と出会い、いろんな人と話してきた2ヶ月とちょっと。
と思えば、これほどワクワクすることはありませんよね。
積極的に話す旅。
さぁ、またいろんな人と関わっていきましょう。
それではまた!
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