こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
「自分が過去にいた場所」とは年々、あるいは日に日に変わっていきます。
僕がいた大学時代のサークル、英語のゼミを始めとして、職場や参加しているコミュニティ。
自分が現役として活躍していた時代から10年以上経ったものもあり、大きく様変わりしているものばかりです。
みなさんにもそれぞれのコミュニティがあると思いますし、「いつまでも変わらない関係」もまた乙なものですよね。
ただ、基本的に「箱の中身」が変わればコミュニティ自体の雰囲気は変わっていくもの。
今日は「変わること/変わらないこと」について書いていきます。
環境は変わるもの
以前にも「環境は変わっていくものだ」ということについて記事を書いたことがありました。
「自分のいた環境」とは変わっていくものであり、自分がずっと取り仕切っている環境でない限りは、自分でコントロールすることはできません。
例えば僕がいたダンスサークル。
当時、大学4年生となれば「神」扱いでしたが笑、卒業してしまえば、
となるのは当然のことです笑。
逆の立場で考えれば簡単なことですが、その時の現役生が主役なのであり、コミュニティであればその時代にいる人たちが「輪の中心」となります。
外部(当時だとサークルを引退して数年ほど?)の人が、とやかく言う権利はありませんし、
と言う人がよくいますが、
と言いたいものです。
創始者だったり管理人だったりするのならば、管理をしたり苦言を呈することは可能でしょうが、人の流出入がある場合は基本的に空気感は変わるものです。
むしろ「変わるのが前提」くらいではないとおかしくて、
と思うのであれば、自分で環境を作っていくしかありません。
- 人のせいにしたり
- 環境のせいにしたり
するのはお門違いですし、ダサいなと思います。
前提からまず間違っているのに、「変わるべき環境」に対してグチをこぼすのは、もはや意味がわかりません。
この大前提がわからないのであれば、
- 環境に依存する体質
- 自分の変えられないことにヤキモキする体質
があると思っていたほうがいいです。
気をつけていきましょう。
変わる環境に苦言を呈するのはナンセンス
「自分の力では変わらないもの」に対して何かを言うということは、自分自身を疲弊させるだけでなく、周りで見ている人たちも離れていくきっかけとなります。
こんな人たちに、僕は言いたい。
と笑。
僕が現役でダンスをやっていた頃やバイト先の個別塾…
あげればキリがないですが、自分のいたコミュニティとは、当時を思い返してしまうほど、
- 自分が活躍していた
- あの時は最高だった
と錯覚してしまうものなのです。
それは、自分にある程度発言権があったりと、少し影響を及ぼすことができたから。
では10年以上経ったダンスサークル、僕が去ったコミュニティの人たちは今、どう思っているのか。
そこに残っているのであれば、彼らは楽しんでいるに違いないのです。
それを外部の人間が、
といったところで、当事者たちからすれば、
と言いたいに決まっています笑。
人も環境も変わるのがコミュニティであり、会社だって学校だってそうです。
悪いほうに変わっているのであれば、社長や校長が舵を切って悪い雰囲気を払拭しなければなりませんが、外部の人に発言権などありません。
自分に合わない人が入ってきたり、環境が大きく変化してしまったのならば、(一応)変わるように行動してもいいかもしれません。
しかし、基本的に他人は変えられませんので、自らその場を去るに限ります。
むしろ「言って変わってくれるような人たち」が集まっているのであれば、それは素晴らしい環境でしょうしね。
僕は長い期間学校に勤めていましたが、優しそうに見える人でも、変わろうとすることはほとんどありませんでした。
いい人たちはどんどん外に行って、自分なりの航路を進み始めていましたしね。
そういう人たちほど、自分のもといた環境に対して何かをいうことはありません。
きっとこういうはずです。
それだけ、自分の人生に集中しているということなのですね。
グチってないでいいから動け
僕はいつも思います。
と。
- 環境自体が変わってほしくないのか
- 自分の時はうまくやっていたと勘違いしているのか
- 変わる環境に対してイヤな気持ちを抱いているのか
どんな思いなのか知りませんが、
と思いますね笑。
と。
もちろんそのコミュニティにいる間であれば、ある程度発言権はあるのかもしれません。(だとしても発言の場は考慮すべき)
ただ、僕が一教師としても学校を変えられなかったように、「大きな集団」となってしまっては、なかなか環境や組織それ自体を変えることはできません。
以前の僕も、変わらない環境に対してよくグチをこぼしていました。
側(はた)から見れば、
と思われても仕方ないくらい、変わらない環境にグチをこぼしているだけでしたね笑。
ストレスが溜まるだけですし、先述した通り、周りの人たちからしたって、
としか言えません笑。
と思いますよね。
変わっていってしまう、自分の力では変えることのできないもの。
その環境に依存し固執しすぎてしまうからこそ、自分の意見を通そうとしてしまいます。
- もっと良かった
- 変わってくれるはずだ
- もう以前とは違う場になった
どの言葉も、僕は無意味だと思っています。
確かに、こう思ってしまうことは誰にだってありますし、
と感想を持つことは悪いことではありません。
ただ、
- 以前と比べたり
- 変わってほしいと未来に期待したり
するのは、違うのかなと。
と笑。
当事者になると「自分が一番心地よい環境」を求めてしまいますからね。
- そうでない環境
- そうならなさそうな環境
であればそっと出て、自分で自分の環境を作ればいいのです。
もし自分のいる環境やコミュニティが、ある程度落ち着くことのできる場所であるならば、その中で最大限に行動し、自分なりの栄光時代を築くこと。
それが「いさせてもらっている」人たちの、できる最大限のことなのです。
卒業や引退、異動や転勤があれば、もといた環境に口出しせず、そっと見守ってあげることです。
口出しするのではなく、むしろ自分が一所懸命生きることをやめないこと。
それだけでいいのです。
グチグチ言ってないで、黙って行動あるのみ。
環境に固執せず、自分の人生を生きていきましょう。
おわりに
ふと目にする、以前の環境への文句やグチ。
毎度目にするたびに、
と思いますし、自分だったら「時間がもったいない」と思ってしまいます。
ま、自分もそうだったからわかるのですけどね笑。
関わる側としても時間のムダですし、自分も「変わらない人たち」に対して、無理やり自分の正義を押し付けることになりますからね。
それでは僕も「同類」になってしまいます。
いつでも自分の人生に集中し、次の環境に向かって進んでいくこと。
これを大切にしていきたいですね。
それではまた!
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