こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
学生時代の頃から教えることの好きだった僕は、先生としてずっと「人に教えること」を続けてきました。
それはなぜかといえば、人に教えることで感謝されることが多かったからです。
なまじ勉強のできた僕は、周りの友人から「助けてほしい」と懇願されることが多く、
と考えるようになりました。
シンプルに人の3倍勉強し、「なぜそうなるのか」を説明できるところまで勉強していました。
ただ、「教える」とは簡単にいかないものでして、僕もいろんな経験をしてきました。
今日は「先生として一番嬉しいこと」について書いていきます。
褒められたかった昔の自分
学生時代の頃は、なんとなく「教えること」が好きだった僕ですが、
- 塾講師
- 非常勤講師
と経験を重ねてきますと、
という「承認欲求」のほうが強くなり、
と思っていました。
現在、多くの友人たちから、
と言われたものですが、僕自身が自分の変化を一番わかっていますので、実際そうだったと言う他ありません。
「先生」や「教える立場」にいる人は、昔の頃の僕のように、持ち上げられることで天狗になってしまう時があります。
みなさんならわかるかと思いますが、そうした教員や講師からはだんだんと「離れたい」と思ってしまいますよね。
確かに、
- 知識
- 経験
- 肩書き
は大切であり、それを見て生徒たちは先生という人間を判断するからです。(酷なものです笑)
しかし、それ以上に大切なものがあります。
それは、
- 生徒のことを思い
- 生徒の明るい未来を願うこと
です。
クサく聞こえるかもしれませんが、目の前の生徒に全力で教え始め、自分の地位や評価などを気にしなくなってから、僕は教えることの本当の意味を知るようになりました。
以前の僕はダメダメだったかもしれませんが、だからこそ今の僕がいるのであり、先生としても少しずつ成長していけたのでした。
と思っている先生ほど、逆に生徒は離れていきます。
それを肌で実感した僕。
先生としての本質は、そこにはありませんでした。
そのために自己研鑽をして、教えるスキルを身につけていくこと。
僕は少しずつですが、変わっていったのでした。
人の成長を素直に喜べる人になる
僕が先生を始めて6〜7年が経った頃、2校目の勤務先で大きな変化が訪れました。
それが、「生徒たちとの摩擦」でした。
「なまじ勉強のできた僕」ですから、相手のモチベーションを気にすることが多かったものです。
勉強が苦手な高校に行ってみれば、
と、生徒のせいにしていました。
それはひとえに、「自分が必要とされていない」と感じるようになったからでしょう。
と、他責思考に陥っていたのです。
それが2020年。
いろんなことを経験したことで、僕は人が変わったように本を読み、生徒と正面から向き合うようになりました。
それからというもの、
- オンラインで文法を教えてみたり
- オンライン英語講師として多くの生徒と話してみたり
したのですが、いつでもどこでも彼らの成長を願い、素直に喜ぶことができるようになっていました。
そうなのです。
先生とは「必要とされたい」と思うのではなく、
- 彼ら生徒のことを真に思い
- そのために全力でサポートすること
が必要なのです。
一見、ものすごい労力を必要とするようにも見えますが、この献身性があることで逆に人が寄ってくる実感を得ることができました。
これらを無理にやっている場合、それは先生に向いていません笑。
僕の場合、以前は「イヤな先生」だったとはいえ、「教える楽しさ」自体はずっと変わらずに持っていました。
その上で、生徒たちに寄り添い、
と考えて、そこに投資し続けていくこと。
この両輪をバランスよく回していくことで、生徒たちとの信頼関係が築けます。
いつの間にか僕は、自分の成長よりも生徒たちの「頑張る姿」に感動するようになっていました。
この「心からの応援」は、部活動の顧問として3〜4年経験を積んだ後、そして2校目に配属されてからでした。
先生と一口に言っても、成長するまでには時間がかかるものなのですね。
でもこうして成長するまでにかけた時間も、僕には必要だったということ。
今では生徒たちの成長を喜び、一緒になって前に進んでいる、そんな気がしています。
先生が一番嬉しい瞬間
オンライン英語講師として、現在では数えきれないほど授業をすることができているのですが、その中で「先生を目指したい」という方とお会いしました。
実は学校の先生をしていた時も、
という生徒たちと会ったことがありました。
「これほど嬉しいこと」はありませんでしたね。
実際、現在すでに「先生として活躍している」生徒たちがいます。
「先生になってもらうこと」が嬉しいわけではなく、彼らの夢の実現の一役を担えたことが、僕にとってとても嬉しいことだったのです。
以前の僕は、いつでも「自分が中心」でした。
といった、そんな感じです笑。(おいおい)
しかし今の僕は、「生徒が中心」となるように働きかけることを意識して授業するようになりました。
- いかに生徒が英語を話せるか
- いかに生徒のニーズに応えることができるか
- いかに生徒の自己実現を手助けすることができるか
と。
常に「生徒」が中心であり、僕らはその場の「補助/サポート」でしかありません。
先生とは「頼られるべき存在」なのかもしれませんが、大切なのは僕自身がその気持ちを持たないことなのです。
生徒のゴールに向かって、
- いわゆる「コーチング」のような
- 生徒が楽しく安心して満足できるような
- 伴走したり丁寧にアドバイスしたりしていくような
そんな授業をしていくこと。
生徒たちが頑張る姿を見ることで、僕自身も励まされ、
と力になってゆくこと。
僕はこの化学反応が起きている瞬間が一番嬉しくて、だからこそ「教育」から離れることができないのです。
先生として嬉しい瞬間とは、
- 頼られたいがために授業をせずに
- 生徒の自己実現に寄り添って授業をすること
で、初めて生まれたのでした。
全ての生徒から良くみてもらえるわけではありませんし、「良く思われたい」と思って授業することは本末転倒です。
大切なのはその部分ではないということ。
生徒の未来を願い、成長する姿を見られれば、僕はそれだけで嬉しいのです。
おわりに
「先生」とはどこかで、
- すごい存在
- 頼られる存在
と思われているフシがありますが、先生自身がそう思ってしまうと、いろんなところから信頼を失うことになります。
結果的にそうなること自体はもちろんいいことですが、
ということに気づくことが、僕には必要でした。
いつでも生徒が主体であるということ。
先生は「裸の王様」になりがちです。
これからも大切なものを見失うことなく、授業を続けていきますね。
それではまた!
コメント