こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、マレーシアのジョホールバルを歩くこととなりました。
韓国の釜山でも2時間歩きましたが、僕は日本にいた頃から「歩くこと」を積極的に始めるようになりました。
「内省/内観」を大切にするようになった僕は、
と思ったからです。
効果はバツグンでして、僕にとって「歩くこと」はいろんなことを考えるきっかけとなりました。
今日は先日歩いて感じた「寂しさ」について書いていきます。
寂しさは突然に
海外渡航2日目の韓国でも、江南川を見に行った時に涙が出そうになりました。
それは寂しかったこともありますし、一人でトボトボと歩いていろんなことを考えてしまったからだとも思います。
日本での「たまの休みにウォーキング」という感覚とは、明らかに違ったからかもしれません。
今回も、歩きながら日本の記憶をひっぱり出してきますと、
と、ふと思い出しました。
日本の大都会、特に僕は「横浜〜みなとみらい間」をよく歩いていましたが、コロナ禍の時は悲惨でして、かなり鬱屈とした気持ちになっていました。
それはなぜか。
当時は人と会うことができなかったからです。
どんなに人が集まる場所を歩いても、心の中は一人であるという事実は変わりませんでした。
つまりこれが意味することは、
- 日本でも
- 海外でも
「孤独」を感じた時、鬱屈とした気持ちはものすごい速さで迫ってくるということです。
僕は歩くことは好きですし、街並みを見ることも大好きです。
ただ、「本当の意味での孤独の時間」を過ごしてしまうと、人間脆(もろ)いものでして胸がギュッと締め付けられます。
それは日本にいても変わりません。
今は海外なので、友人たちに会うことは難しく、より一層「寂しさ」を感じやすいのだと思います。
大切なことは、どこにいても「寂しさを感じることがある」ということを知っておくことです。
場所が問題なのではなく、
- タイミング
- 人生の順調さ
- 家族や人間関係
など、様々な要因があります。
そういう感情はふと訪れてしまうもの。
そんな時にどうするか。
実はこの解決策は、僕自身が引き寄せなくても必ずタイミングよく降ってくるものだということを、お伝えしていきます。
僕を救ってくれた人たち
- ソウルでも
- ジョホールバルでも
僕は僕自身でこの問題をどうこうすることはできませんでした。
寝れば一発解決だとはよく言われたものですが笑、そんな安直な思いから「さっさと帰ろう」と思っていました。
しかしどちらのタイミングでも、全くの偶然なのか「人と会うこと」となりました。
先日も寂しさから、
とカフェに行こうとしたところ、たまたまルームメイトのアメリカ人がいて、
と言ってきました。
歩き疲れていましたが、イエスマンである日本人の僕は笑、
と言って、一緒に行くことにしました。
これが僕にとっての「薬」になっていたことは、旅を始めてから薄々気づいていたことでした。
そうなのです。
「人と会って話すこと」
これが全ての問題を解決してくれるのだということに、気がついたのでした。
その後は彼と路上で軽食を取りながら、屋台のご夫婦と一緒におしゃべりしたりして、とても楽しい時間となりました。
その時間が10分でも15分であっても、
と思えたからなのか、すぐに力を取り戻しました。
この場合、僕自身でどうこうできるような「特効薬」はないと思っています。
旅の中では、動いていく中で気が紛れたり、新しい国に入ることで気持ちが変わったりすることはありますが。
ただ、この「人と会う」という現象はなかなか選べない割に、寂しさを一気に打ち消す「ものすごい力」があるということを知りました。
何かに困ったら誰かと話してみればいい。
それもまた、自分の鬱屈とした状態を改善してくれる一つの手立てだったのです。
必ずベストタイミングで訪れる
韓国でもマレーシアでも、僕が意図していなかった時に人と出会うこととなりました。
そう言ってくる人もいるかもしれませんが、僕はその事実も含めて、
- 必要な時に
- 必ず訪れてくれる
そう思っています。
もちろん「引き寄せている」部分もあるかもしれませんが、僕は「救われた」と思うくらい、
と感じたものでした。
そのタイミングは、自分自身で選ぶことはできません。
でも周りのどこかに、それらしき「要素」は必ず転がっています。
いえ、僕も求めれば家族や友人に電話をしたりもできたのでしょうけれど笑、何かこう「自分の気を紛らわす」ようにしてしまっているようで、微妙に違う気がしたのです。
特に「面と向かって話せる相手」は、海外にしかいません。
- お店の人
- 空港の人
- ホステルの人
いろんな人と「直接」話すことができるのは、まさに「今自分がいる場所」なのです。
なぜかはわからないのですが笑、ここぞというタイミングで、ばったり人と出会うことができます。
その時に、
と会話を始めれば、何かしらが始まります。
そうでした。
その後の人間関係がどうなるかなんて、そんなことは後回しでいいのです。
異国の地でいろんな人と話すことが大切なのであり、相手がどう思うかは相手に委ねればいいのです。
必ず訪れるチャンスに、あとは自分がどう反応したいのか。
僕はアメリカ人の彼と一緒にいろんなお店を回って、とても救われました。
店員さんとも話しますから、
と必ず聞かれ、そこから会話も弾みました。
そんなあちこちに転がっている「タイミング」を逃さず、拾い続けること。
時に泣きたくなることもありますが、大丈夫。
僕らの周りには、救ってくれる人たちが必ずいます。
時に彼らに頼りながらでもいい。
そうやって時に立ち止まりながらも、歩を進めていきましょう。
おわりに
タイミング。
人生は一度きりしかないですが、その日その日でも、
- 年によって
- 年齢によって
- いる環境によって
感じ方は変わってきます。
その道を自分で選ぶことは当たり前のことかもしれませんが、実は周りの人々や環境もみなさんにアプローチをかけてきています。
それを受け取るかどうかは自分次第。
何かに困ったときは、自分も無意識にヘルプを出していますし、そんな時は必ず周りが助けてくれます。
その機会を大切にしていけば、きっと大丈夫です。
僕も残りの期間、頑張っていきますね。
それではまた!
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