僕はなぜこの冬でも生き延びられているのか【寒さを受け入れる変態】

雑談

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

ここ最近(2026年始め)の天気は不安定でして。

冬なのに15℃まで上がったかと思えば、今度は大寒波が押し寄せてきています。

そんな中、

せいじ、そんな格好で寒くないのか?

と、

  • ヒートテック
  • スウェット(上)
  • NYヤンキースのブルゾン

の三着だけで東北に乗り込んでいた僕は、誰もが想定していたツッコミをされました笑。

侍である限り、寒いなんて言ってられない

そう思い始めてから、どんな強風でも耐えられるようになりました。

今日は僕が「寒さに耐えられるようになった」経緯について書いていきます。

僕はとうとう寒さにも打ち勝てるまでになった。それは「寒い」と言っても仕方がないことに気がついたからだ。

サムライたるもの…

さて、少しだけ武士道を勉強しました僕は、ワンピースのキャラクターであるゾロを思い出します。

彼は『武士道』をそのまま描いたようなキャラクターですが、彼は雪国で寒中水泳をします。

心頭滅却 寒中水泳でもやろうかね

と言って、真冬の川に飛び込みます。

やはりこうした「寒い!」と思ってしまうところに人間の煩悩があるのだな

とも痛感します。

以前の僕は、

寒い寒い!

と言ってただ不平不満を言ってばかりいました。

もちろん、そうした言葉を発してはいけないとか、そういうことではありません。

しかし、

そうか。侍でいたいのならば、そんなことにいちいちぶつくさ言っていても仕方がないな

と、そう感じたわけですね。

おかげさまで、「サウナの後は水風呂に入る」というルーティンも、

こんなもの、大したことない

と思って、言い訳せずに入るようになりました。

確かに、当たり前と言えば当たり前のことなのですが、こんな不平不満を言ったところで状況は変わりません。

僕が「寒い」と言った直後に、空が急に晴れるわけでもありませんからね。

昔の人は、絶対にこんなことを言ってなかったはずだ

そう感じてから、寒くてもそれを口に出すことはしなくなりました。

これを受け入れてこそ、侍となれるのだ

とても変なスタンスに見えるかもしれませんが、なぜかこの姿勢を保つことで以前よりも「寒いこと」それ自体が、どうでも良くなったんですよね。

侍を目指すなら、寒いなんて言っていられないのです。

侍でいたいのであれば、いちいち寒いという事実を口にしなくてもいい。耐えて我慢するからこそ、そこに美学があるのだ。

寒いと言っても仕方がない

特に僕が思うのは、

寒いと言ったところで、別に状況が変わるわけではない

ということでした。

これは以前に書いた「不平不満を言わない」ということにも繋がってきます。

以前の僕は「寒さ」がとにかく苦手でして、「寒い」というだけでイライラしていたものでした。

でも本当に寒いのがイヤなのであれば、家から一歩も出なければいいだけの話です。

自分で選択して外出しているわけですから、あとはもうなるようになるしかありません。

それかもっと「寒くない格好」を万全にしてみて、それから外出すればいいだけの話。

しかしよく考えてみますと、

冬って寒いけど、そこまで外にいる時間って長くないんだよなぁ

という事実にも気づきました。

  • 電車
  • 施設
  • 居酒屋

などに入ってしまえば、移動のちょっとした時間でしか寒さを感じることはありません。

そうしたことも加味してみますと、意外にも「寒い寒い」と言っているのが、ただのグチでしかないということに気づきます。

いずれにせよ、そう言ったとしても意味がないのは明白です。

暑さにおいてもそうですね。

暑い時も人間、イライラするものですが耐えなければなりません。

また、この “寒さに耐えている自分” もかっこいいじゃないですか。

みんなが寒い寒いと言っている中、俺は強風にも打ち勝ち、堂々としている!

とね笑。

とてもバカらしく聞こえますけど、僕はいたって真面目です。

  1. 寒い事実は変えられない
  2. そこにイライラしても意味がない
  3. だったら寒さを受け入れて堂々としていること

です。

こうなりますと、もはや「寒さ」それ自体がどうでも良くなってきます。

また来たか。好きにしていいぞ

と、そんな余裕を見せることもできます笑。

別に寒さで死ぬわけではありませんし、その時間も一瞬のみ。

いちいちそこに文句を垂れるのでなく、寒いという事実を受け入れて我慢し、堂々としているのです。

寒い寒いと言っていても仕方がない。だからその事実を受け入れて堂々としている方が、むしろ寒さに対して何も感じなくなる。

生きている証

こう言うともはや「悟りの境地」なのかもしれませんが、

この寒さを感じられているのも、生きている間だけなんだよなぁ

ということです。

「寒いと感じられる = 生きている

という、単純な公式にしてしまって果たしていいものかどうなのかはわかりませんが、最近はそう思うことが多いですね。

極寒の中で寒中水泳をやっていたゾロに比べれば、僕はまだまだお子ちゃまだ

とも思いますし、もっと寒い雪国で生きている人からすれば、

関東なんて、全然あったかいほうだろ笑

と突っ込まれてしまいます。

それに僕が「寒い」と感じられているのは、当然のことですが「生きているから」です。

雪山で遭難し、命を落としてからでは「寒い」だなんて感情は生まれません。

ゆえに、

そうやってグチを言えるくらいの余裕がまだあるんだろ?

ということ。

だったらグチグチ言ってないで、その時間はただ事実を受け入れることです。

世の中とは、そもそも理不尽なのですからね。

災難ってモンはたたみかけるのが世の常だ

言い訳したらどなたか助けてくれんのか?

ゾロもこう言っています。

  • 自然災害
  • 突然の事故

などで僕が命を失っても、それは天命だったと思うしかありません。

僕がアキレス腱を断裂した時(2008年)も、世の中の全てのことを恨んでいました。

なんで俺だけ?

と。

でもそんなことを言っていても、「起こってしまったこと」はもう変えられません。

  • 冬は寒い
  • 外出している自分がいる
  • 完全防備していないのも自分

と、あらゆる条件を考えれば、「寒い」ということが理不尽なことではなく、

そもそもそういうものだ

と受け入れられるようになります。

これが「生きる」ということです。

寒さや暑さを感じるだけでも、日本では四季を感じられるということですしね。

そこに “美しさ” があって、だからこそ「春の訪れ」が気持ちいいのではないでしょうか。

イヤなことも受け入れられれば、苛立ちやストレスも感じなくなるはず。

少しずつ「悟り」を開いていきましょう。

生きていれば、寒さや暑さを感じることがある。でもそれは裏を返せば「生きている」という証拠。そこにグチをこぼしていても仕方がない。受け入れて前に進んでいこう。

おわりに

寒さなんてドンとこい

という姿勢を持っていますと、生きるのがとても楽になります。

せいじみたいに強くはなれないから…

と言う人もいるかもしれませんが、僕だって寒いのはイヤですしイラッとはします。

それにこう思えるのは、別に強さから来るものではありません。

争点は「寒さをどう受け入れるか」という点ですからね。

まだまだ寒い日が続きますが、僕は受け入れて生きていこうと思います。

それではまた!

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