こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
僕は以前、コミュニティを分散させることについて記事を書いたことがあります。
それは様々なコミュニティを広く持っておくことで、いろんな視点を得ることができ、何かあった時には違うコミュニティへ移るなどして、自分でバランスを取ることができるからです。
僕は自分の所属している(というとカタイ言い方ですが笑)いくつかのコミュニティでも、様々な考え方を吸収しては、また別のコミュニティでシェアするなどしています。
「コミュニティ横断型」の生活をしていると言ってもいいかもしれません。
今日は、
- コミュニティに対する僕の考え方
- コミュニティを横断するメリット
について書いていきます。
コミュニティは信念の集まり
「信念」という言葉を聞いた瞬間に、
と思った人は、少し落ち着いて、深呼吸をしてください笑。
スピリチュアルなものを毛嫌いするのもわかりますが、実は世界はそんなもので溢れてまくっていると僕は思っています。
そういえば僕は以前、宗教に属していたことがありました。
何かを信じて生きていくことは素晴らしいことですし、それが同じ方向に向かっているなら、そのコミュニティは心地よいものだと思います。
今はもう属していませんが、現在も僕には僕なりの「宗教/信念」があります。
その1つが「ダンス」です。
「ダンス/踊り/舞」とはもともと宗教的に発生したものであり、「祈り」の形としても使われていました。
だから僕も踊るときは、
- 音楽という、鼓動に訴える原始的な力を借りて、
- 体を使って、体力が燃え尽きるまで表現し尽くす。
このようなことをします笑。
と思っている人も多いかと思いますが、根源的な部分を突き詰めれば、クラシックバレエや創作ダンスなどの表現活動となんら変わりません。
国や地域によってスタイルは変わり、それぞれのチームにはそれぞれの信念や価値観があります。
ダンスは一例ですが、
- 英語を勉強する会
- サウナが好きな人たち
で集まることも、「同じ信念の旗の元」に集まった人たちのコミュニティでしょう。
自分が普段会う友人たちとも、表面的な繋がり以上の精神的な繋がりがあることを忘れてはいけません。
ただ、
- その「信念や価値観」を押し付けること
- 過激になりすぎて排他的になってしまうこと
これらはみなさんが思う「宗教の悪いイメージ」であり、行き過ぎた結果だと思います。
これは、信仰を介さないコミュニティでも起こり得ますので注意が必要です。
大切なことはシンプルで、
「同じ『好き』を求めて集まり、幸せな時間を過ごすこと」
です。
「いつメン」や「部活のチーム」なども、結局は「信念」(≒ 好きなこと)の元に集まった、同志、あるいは宗教みたいなものなのです。
幸せでいられるのなら、僕はそのコミュニティを大切にすることは、とても良いことだと思っています。
コミュニティ同士に客観性を持たせる
幸運なことに、僕には様々な分野(=いろんなコミュニティ)の友人がいます。
どのコミュニティを覗いてみても、周りの友人や仲間たちは僕に刺激を与えてくれますので、基本的には心地が良いです。
ただその中でも、
- イヤな思いをして、
- 離れたり断ち切ったりした。
そんな経験は何度もありました。
つまり、ある程度信念が一致していても、
- 性格の不一致
- 音楽性の違い
などから、関係を断つことがあるということです。
僕はそれも「大切な行動」のうちの1つだと思っています。
そうやって自分で関係を取捨選択をしていかないと、人生においてムダな時間を過ごしてしまうことになりかねませんからね。
そんな時に大切なのは、「別の視点」(=別のコミュニティ)を持っておくことです。
もちろん、
- 逃げ場として
- 相談場所として
活用することも大切ですがそれ以上に、
「自分が属しているコミュニティ同士に、客観性を持たせられること」
が、大きなメリットだと思っています。
「同じ信念の元」に人が集まりますと、
と思ってしまうことが往々にしてあります。
そうならないためにも、様々な人と出会っておくことが大切ですね。
コミュニティ内でも、コミュニティ外でも。
ただ無理をして、
と考えることはしなくても大丈夫です笑。
どのコミュニティにおいても、ステイし続けることができているのならば居心地は良いはずですから、それぞれの良さに気付ければそれでいいのです。
すると、
と思うことができるようになります。
それが自然と客観性になってゆくのです。
コミュニティ同士に橋をかけてみる
複数のコミュニティに属しましたら、
と、無理をして繋ぐ必要はありません笑。
自分の属しているコミュニティは、確かに互いに性質が似ている部分はあるかと思いますが、それが目的ではありませんからね。
ただ、僕が大切にしていることは、
「お互いのコミュニティの良い部分は、できる限りシェアをする」
というものです。
例えば、
- 英語のキャンプで培った感覚を、オンラインコミュニティで活用する。
- オンラインコミュニティで得た、ビジネスやお金の勉強法を同僚に教える。
- 学校現場や部活で経験してきたイベントの開き方を、また別の友人の集まりに生かす。
このように、いいアイディアや自分のしてきた経験を循環させるのです。
先ほどの「客観性を持たせること」とはまた違った、「利益」が生まれるのですね。
と、自分のコミュニティで得た「GIVE」を、そっくりそのまま使うことができます。
そうすれば、自分の属するコミュニティがそれぞれ発展していくようになりますし、どんどん新しいこともできるようになっていきます。
だからこそ、コミュニティは似ていながらも1つにまとめる必要はなく、それぞれの強みを他のコミュニティに活かせばよいのです。
つまりみなさんもまた、他のコミュニティを活性化させる1人であるということを忘れてはいけません。
ふとした拍子に、みなさんの行動やアイディアが活きてきます。
僕自身もそう感じていますので、日々出会う友人や仲間からヒントをもらい、
と目を光らせるように心がけています笑。
おわりに
いろんな人と会う中で、僕はこの言葉をよく耳にします。
良くも悪くも人間は感情的な生き物ですから、「心/精神の繋がり」を求めることは至極当然のことです。
ただ、世界が無限に広がっているように、一生で出会える人はほんのわずか、極一部でしかありません。
自分の輪を広げすぎても大変になってしまいますが、狭くあろうとする気持ちには、僕はあまり賛成することができません。
視野が狭いと考え方も狭くなり、人を許せなくなったり受容できなくなったりするからです。
それが戦争や宗教の対立、紛争を招くと思っています。
大げさかもしれませんが、人に対してイライラしてしまうのは、心が狭いのではなくて単に人と触れ合ってきた経験が少ないからだとも思います。
まずは自分の輪を少しずつ広げていくこと。
その中で、
- 近づいたり離れたり
- 切れたりくっついたり
して経験を積むことが大切ですよね。
僕も身近な人の役に立てるように、幸せな時間が過ごせるように、いろいろと工夫をしながらコミュニティと関わっていきたいと思います。
それではまた!
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