こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
生徒さんたちと話をしていますと、いろいろとグチを聞くこともあります。
- どこまでがグチで
- どこまでが議論なのか
は、それぞれの定義によるかと思います。
僕が高校教師をしていた頃も、生徒たちからいろんな話を聞かされました笑。
ただ、そこで迎合することはなく、

と、是々非々で話を進めました。
誰かを庇(かば)うこともしませんし、僕は僕なりの意見を伝えるだけです。
今日は「グチや文句を聴く側」の態度として、記事を書いていきます。
聞き上手の一歩として
僕は以前から、

と、絶えずこのブログでお伝えしてきました。
一方で、生徒さんにはそうした話を持ち出してくる人もいます。
あまりにもヒドい場合であればブロックしますが、基本的に僕が聞いてあげますと、
といったような態度で、感謝の気持ちを表してくれる方々がほとんどです。
「文句やグチを言うな」とは言いつつも、やはり人間、何か言いたくなることはありますからね。
その受け皿になることができるのであれば、僕は本望なのかなと思っています。
もちろん、

というスタンスは変えていません。
「聴く」と言っても、ちゃんとその背景を掴むことが大事です。
そして、
と思わせることもまた大事なこと。
という方もいらっしゃいますが、これはお互いのためにならないと思っています。
「言ってスッキリする」という方もいますが、要はそのイライラの、
- 原因
- 過程
などを、考えたくないと言っていることと同じだからです。
もちろん、イライラすることもあるでしょう。
だから僕もその話は聞きますが、だからと言って何も言わないわけにはいきません。

と、乗れる点については乗ります。
ただ、僕が「聞き流すだけの要員」として扱われている場合は、僕自身もそのポジションは改めていかなければなりません。
「聴く」とは、受け止めた上でちゃんと解決に向かうことだと思うからです。
一緒にグチらない
先述した通り「ただただグチを聞くこと」に終始してしまいますと、聞いている側も疲れてしまいます。
仕事柄、それもまた必要なことかもしれませんが、一緒になってグチグチ言っても仕方のないことです。
「是々非々」という言葉が政治界隈で流行(はや)ったように、僕は、
- 正しいものは正しい
- 間違っているものは間違っている
と言うことにしています。
と思って「はっきりと言わない人」もいますが、そういう人ほど後で問題をこじらせる傾向にあります。
グチを聞いてあげることも大事な関係性ではありますが、

と、全てに同意していたら、僕自身の信頼にも関わってきてしまいます。
ご機嫌取りのために「先生」をやっているわけではないからです。
それで相手が離れても、僕は一向にかまいませんけどね。
教員時代も、いろんな生徒から相談を受けました。
抱えている問題はそれぞれあり、大きいものから小さいものまで多岐に渡りました。
それでも、
- 寄り添ってあげること
- 問題を解決に導いてあげること
は、同義ではありません。
「1:寄り添ってあげること」も十分大切なことではありますが、話を聞いて、

と言っているだけでは、先生は務まりません。
- なぜそういうことが起きたのか
- これからどうしていったらいいのか
と、「今振り返るからこそ」わかることも多々あります。
ただただ同意しているだけでは、結局は僕も「一緒の立場」になってしまいかねません。
と指摘されてしまいますしね笑。
聴くことにおいても、そういった注意は必要です。
立場を弁(わきま)えて、話を聞くことが大事ですね。
聞いてあげていい方向に導く
ただし是々非々で話を聞くわけですから、「生徒さんのグチに乗っかる形(=賛成や納得をする)」になってしまうこともあります。
でも、先述したような「ただの乗っかり」は何も生み出しませんし、解決にもなりません。
僕は話を聞いたとしても、
- その過程
- その人の態度
- これからどうすべきか
などを聞くことも、忘れないようにしています。
イメージしづらいかと思いますが、いわゆるカフェやレストランなんかで、
とお互いに言い合うような、そんな形は意味がないと言っているのです。
というより、”そういう形” を求めている人は、

と思うのです。
それだったら、一緒になってグチってくれる人に会いに行って、グチればいいだけだからです。
僕が求めている「聞き手の像」とは、そういうものではないということ。
- 何が起こったのかをしっかりと聞きつつ
- 当事者のグチや文句も受け止めつつ
- 自分の意見もはっきりと伝える
こと。
そうやって、

という「具体」を示したり、解決策が見当たらなくても客観的な意見を伝えたりして、議論をし生産的な時間にしたいのです。
という単なる「聞き手」から、
という「信頼」へと変えてゆくこと。
これが僕のやるべき仕事なのかなと。
結局、その生徒さんが「闇オチ」じゃないにせよ、ただただ世の中や特定の人を憎んで終わりであれば、それはそれでこちらとしても「ミスリードしてしまったなぁ」と感じるのが筋(すじ)です。
「教育者」である以上は、聞いた上でしっかりと意見を伝え、

と、「次」を示すことです。
それが僕の「立場/役割」であって、それを忘れて一緒になってネガティブマインドを貫いてしまった時には、しっかりと反省しようかと思います。
もちろん、中には「批判すること」もありますし、僕自身も「これは違う」「是正した方がいい」ということは言います。
それはグチではありません。
何においても、建設的な方向に向かいたいだけなのです。
聞く側に立った時に、そのマインドを忘れてはいけませんね。
おわりに
「聴く」にもいろんな形があります。
ざっくりといえば、やはり聞く側のスタンスが大事ということでしょうかね。
僕もイヤなことや納得のいかない時は、生徒さんと、

と話をすることがありますが、批判に終始しないようにはしています。
賛否があるからこそ議論があるのであって、結果のわかりきったことをつつき続けていたら、それは単なるグチになってしまいます。
僕自身も気をつけつつ、ちゃんと自分の信念や軸を持ち続けようと思っています。
それではまた!
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