こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、M-1についての記事を書きました。
何度も芸人さんたちの素晴らしいネタを見させていただいているのですが、コメント欄にはたまにネガティブなことが書かれています。
僕もこのブログを始めてから、いろんな人からいろんなことを言われるようになりました。(ほぼありませんが笑)
もちろん、言論の自由がありますから、書きたいことを書くことは決して悪いことではありませんが、
と思うこともあります。
僕自身も書く側ですので、今日はそんな「批判的な人」について書いていきます。
批判的なコメントをしなくなった理由
僕が批判的なコメントをしなくなったのは、
- 不愉快であり
- 何も生み出さないから
でした。
あぁいったコメントを見かけてしまいますと、
と感心すらしてしまいます。
どんだけ暇なんだ、と笑。
そうしますと、
と思う人も出てきますよね。
確かに受け取る側が気にしなければいいだけですし、「ほっとけ」だけでいいのかもしれません笑。
ただ、こうした “批判をしたがる人” の心理として、「自分の意見が正しい」という前提のもとに、書き込みをしているフシがあります。
批判の形にもいろいろとありますから、全てを否定したいわけではありません。
しかし前提に「ネガティブな考え方」がある批判とは、読めば誰だってわかります。
特に有名な人などの話題になってきますと、かなり強めの意見が出てきます。
今回のM-1について言えば、
という不愉快なコメントが散見されました。
僕は聞きたい。
と。
それは、書かなくていいことなのです。
つまらないと思ったなら、それをコメントする必要なんて「ない」のです。
共感できなかったら、それもコメントする必要なんて「ない」のです。
そんなコメントに賛同してくれる人なんて出てきやしませんし、賛成がもらえたからといってどうなるわけでもあります。
一方で、温かいコメントとは、
- 読んでいる側も嬉しくなるし
- 書いた本人たちも嬉しくなる
というものです。
みんなで頑張ろうと思えますし、応援もしたくなります。
だから批判的なコメントなんて、する必要はないのです。
もちろん、自分の納得のいかない発信に対しては、意見したらいいと思います。
発信者自身が、ネガティブな発言をしている場合ですね。
いずれにせよ、悪意を持っているコメントは見ればわかります。
積極的に避けていきましょう。
誰だって二番煎じ
特に僕が見かけたコメントでは、
という、しょうもないコメントでした。
僕はこうして日本で生まれ育ったため、その恩恵を一身に感じていますから、ここではっきりと言わせてもらいます。
と。
まずこの大前提に立たなければなりません。
ダンスだって、パクリではなくても似ている動きなんていくらでも出てきます。
漫才だってコントだって、昔の人の踏襲をするからこそ、被ってしまうことだってあるでしょう。
それなのに、
とか、そんなことそもそも書かなくてもいいですが、どうしてそういうことが言えるのか、僕は不思議でなりません。
YouTubeがあるからこそYouTuberさんたちが生きていけるわけですし、インフラが整っているからこそ、いろんな飲食店があるじゃないですか。
スマホができたから他社が追随し、スポーツがあるから新しい選手が出てくるんじゃないですか。
なんて、誰が言うでしょう?笑
好きなら好きで、それでいいじゃないですか。
この地球上で、何かやっている人の「マネ」をすることなんて、なんの悪いことでもありません。
そうした批判的なコメントをしている人に聞きたいのは、
ということです。
世の中これだけ広いのですから、誰かが何かしらすでに始めています。
「全く新しいアイディア」なんて、ほとんどありません。(スマホやパソコンなんかはイノベーションでしたけど)
繰り返しになりますが、
- 先生だって
- 漫画だって
- 飲食店だって
- 芸能人だって
- スポーツ選手だって
誰かの真似ごとをしながら、その世界に入ってきています。
その中で市民権を得るために、それぞれがそこから型破りをしてオリジナリティを育んでいくものなのです。
この事実に気づきましょう。
批判をする前に、そもそもその人の前提がおかしいということに。
褒め合う社会へ
批判的なコメントを残したところで、それは意味のないことです。
上に書いたことは一つの例ですけれど、そもそも「相手の立場」に立ったら、そんなコメントはできません。
だってシンプルに、自分が書かれたらイヤじゃないですか。
それを、
と言える人とは、心が荒んでいますので、一度サウナに行くことをお勧めします笑。
匿名だろうがなんだろうが、ダメなものはダメなのです。
本人たちの目の前で、どれだけの人が同じ言葉をかけることができますか。
どうせ誰もできないことでしょう。
だって、その人との関係値が「ないから」です。
それなのに匿名で書けるというのは、本当に相手の立場に立てていない証拠なのです。
あるいは「発信する側」に回ったことがないだけか、ですね。
別に発信者が偉いだなんて言っていません。
- リスクを取り
- 一所懸命努力をしている
と、純粋に思ってしまうのですね。(見ないようにはしていますが)
そういう人たちとは大抵、
- 成功していなくて
- 何かストレスを抱え
- 人を批判することで溜飲を下げている
のでしょう。
以前の僕ですね笑。(おい)
もっと相手を尊敬する気持ちがあれば、匿名だろうがなんだろうが、そんなコメントはしようとしないですし、「されたらイヤだな」と思うはずです。(そもそも時間のムダ)
自分が幸せであれば、
といった言葉がスッと出てきますからね。
- つまらない
- あいつはダメだ
- ただの二番煎じ
思うのは勝手ですが、書き込む必要なんてありません。
そんなコメントを見たって、「好きな人たち(ファンや応援している人)」から見れば不愉快なだけですからね。
いずれ淘汰されますし、誰も相手にはしませんが、その人にとってはただのグチや批判でしかなく、何も生み出さなければ人を不愉快にもします。
一方で、褒めのコメントなどは嬉しいでしょうし、相乗効果を生み出します。
コメントする側だって元気を与えられますし、
という気持ちになりますよね。
ポジティブなコメントは残したらいい。
ネガティブなコメントは極力避け、見つけてしまった場合は反応しないようにしましょう。
おわりに
「大SNS時代」となりましたから、
- モラルの低い人や
- 憂さ晴らし気分でコメントする人
が後を絶ちません。
それではいけませんよね。
ちゃんと好きな人を応援し、気に食わないことに関しては放っておきましょう笑。
批判よりも「適切で建設的な意見」なら、残してもいいのかなと。
相手を傷つけることが目的ではないですからね。
それではまた!
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