文化の違いを受け入れると楽になる【相手を変えようとしない】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

旅をしていますと、

  • ハノイで
  • インドで
  • ヨーロッパで

イヤな思いをしてきました。

こいつら、なめてんのか?!

と笑。

普段怒らない僕ですらとてもイヤな気持ちになり笑、旅のツラさを実感する毎日です。

どうしても人とのやり取りが出てくる分、文化の違いを肌で感じなければなりませんからね。

それでも、大切なことはシンプルで「相手を変えようとしないこと」です。

今日は「カルチャーショック」に対して、僕なりの乗り越え方をお伝えしていきます。

文化の違いを感じても、素直に受け入れよう。ここは日本ではないのだ。

日本の基準の高さ

日本にずっと住んでいますと、その「異常なほどの基準の高さ」が当たり前となっていました。

  • 完璧主義
  • 職人気質
  • サービス精神

はどの人にあると言ってもいいくらい、

こ、ここまでやるのね

というのが「日本基準」です。

そんな「純ジャパ」の僕がこうして海外を旅していますと、「驚くほどの基準の低さ」に悩まされます笑。

いやいやいや、日本じゃあり得ないから!

しかしここはもちろん、日本ではありません。

  • 行き届かないサービス
  • 適当にこなしている仕事
  • 悪びれもすることのない店員

こんなこと日常茶飯事です。

そこにいちいち目くじらを立ててしまうと、海外ではやっていけないのだなと思うようになりました。

逆に言えば、

日本人はしっかりとこなしすぎなんだよ

と、向こうからすれば「」カルチャーショックだと言われる始末です笑。

その「文化の違い」を認識していなければ、ストレスは溜まる一方ですので、

もう仕方のないことだ

と割り切るしかないのです。

僕自身が失敗した時はもちろんのこと、どう考えても相手に非がある時ですら、なぜか責任は自分で取らなければならないのはおかしなことですが笑。

そんな僕は、数年前よりだいぶ感情的にならなくなったここ1〜2年となりました。

海外でも「イライラすること」が何度か起きましたが、「何度か」程度でとどまっていますので、

やはり僕は柔軟になったのだな

と感じています。

ただし、海外だからと言って「適当な人ばかり」というわけでもありません。

しっかりしている人もいますし、納得できないサービスに腹を立てる人もいます。

あくまで一般化することはできませんが、「海外に行く」とはそれだけ違った環境に飛び込むということなのですね。

その事実さえ受け入れれば、海外でも気兼ねなく楽しむことができるようになると思っています。

日本の基準は異常なくらい高い。その基準を求め過ぎずに、海外をそのまま感じてみよう。

実は日本も変わらない

他国に比べるとそこまでの多様性はありませんが、日本国内にだっていろんな人がいます。

それなりに適当な人もいますし笑、「典型的な日本人」のようにキッチリしている人もいます。

僕は意外と適当な部分がありますので、

もうちょっと気楽にやったらええやん

と思うこともあります。

人それぞれに「自分の基準」があるため、それを擦り合わせながらコミュニケーションを取ったり仕事を進めたりしますよね。

それなのに、

日本だったら…

と思ってしまうのは、我ながらあまりにも一般化し過ぎているなと感じました。

「日本だったら」とはいえ、国内でも場所や人によって変わってくるものです。

海外に出ますと確かに「日本の良さ」を実感する一方で、海外の伸びやかな部分や、いい意味での70〜80%くらいの力を出すような感覚を感じられることができます。

日本にも、そうした「海外肌」を持っている人がたくさんいるはずです。

僕も含めてですが笑、そうした人たちにとっては、もしかしたら日本は生きにくい場所なのかもしれません。

「典型的な日本像」を決めつけるのではなく、個々それぞれの基準や違いがあることを認めること。

僕自身、海外に出てみて、

いやぁここは住んでみたいかもなぁ!

と思った場所がいくつか上がりました。

いつでも「世界で日本が一番」というわけではないのです。

海外から地図で見た日本は、なんとも遠くて、

一体何があるのだろう?

と思わせる印象すら持ちますからね。

観光としていけば、それはそれは楽しい時間が過ごせるかもしれませんが、それは海外の観光地も一緒です。

どの国にも良い部分と悪い部分が必ずあって、日本には日本の「闇」や「変わらない現状」もあります。

海外に出てみてからわかる、日本の良さと悪さ

海外にも素晴らしい人や文化、日本とは全く違った空気も存在しています。

どこかを切り取って一般化しようとせずに、自分のアイデンティティを模索しつつ、いろんな文化に触れておきたいものですね。

日本だって海外と同じように適当な人もいれば、文化に多少なりとも多様性がある。その事実を認めて、一般化せずに柔軟にやっていこう。

人を変えようとしないこと

これは多くの人が陥ってしまう罠ですよね。

なんとかして相手を変えようとすることです。

なんでそうなんだ!それはあり得ないだろ!

そう言いたい気持ちもわかります笑。

海外に出たらそのように思うことばかりです。

こんなに落ち着いている僕でも、イライラしたことは数回ほどありました。

その時にすぐに落ち着けたのは、

  • 相手を言いくるめたり
  • なんとかして変わってほしいと思ったり

しないことが、とても大切なことなのだということに気づけたからでした。

日本でも同じです。

人はそうそう簡単に変わることができないものであり、いわゆる「性格が悪い人」の評判が悪いのは、彼らが変わろうとしないからです。

そんな人たちに、

なんとかして変わってもらおう

と思うことは傲慢であり、海外に出れば文化が大きく変わりますので、なおさらできないことです。

僕も数回だけ「口論じみたこと」をやってみましたが、すぐに僕が折れて(というか諦めて)、

  • 丁寧に謝るか
  • 口論を終わらせるか
  • その場から退散するか

などして、

今、自分は感情的になったな

と思ったらすぐに引くようにしてみました。

去年、一昨年とそうした「練習」をしていただけあって、海外でもその効果が発揮されることとなりました笑。

海外ですと、もろに態度に出る人だっています。

それでも、そのフレンドリーさや人懐こさは可愛らしく、日本ではなかなか見ることのできないような、そんな人種の人たちもまた見かけることができます。

ショックが大きいため、日本にいた時よりもどうしても感情の起伏が激しくなってしまうのは仕方のないこと。

それは「海外から日本に来た外国人」だって、同じように感じていることです。

どんなに文化や生きてきた背景が違っても、決して相手を変えようとしないこと。

「変わりたいかどうか」は、彼ら自身が決めることですしね。

それは自分にも跳ね返ってくることです。

僕だって変えたくない頑固な部分がありますから、誰だって聖人君子になる必要はないのです。

ただ海外では、

  • 言い合ったり
  • 粘ってみたり
  • 交渉してみたり

することが多くなりました。

この「摩擦」もまた大切な時間です。

そこから多くのことも学べましたので、最終的に人を変えようとするのではなく、いかに自分が学べるかを考えてみるといいのかもしれませんね。

日本でも海外でも、他人を変えようとしないことだ。意見の食い違いはあってもいいけれど、自分が学ぶ姿勢を大切にしていこう。

おわりに

国内でも国外でも、いろんな人や文化に触れることは大切なことです。

たまにはイラっとするでしょうし、言い合うことだってあるでしょう。

ただし根底に「相手を変えようとしない」という気持ちがあれば、かなり気が楽になります。

僕は一日経てば、イヤな思い出もすっかり忘れていますしね笑。

そうした柔軟性も持ち合わせながら、またいろんな文化に触れていきたいと思います。

それではまた!

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