自分の最期についていつも考えている理由【今日を精一杯生きる】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

毎日、できる限りムダのないように生活しているつもりの僕ですが、ここ最近で考えていることとは、自分の最期についてです。

約1年前に父が旅立ってからというもの、僕は自分の命について、より考えるようになりました。

先にお伝えしておきますが、自分の人生や使命について考えているからと言って、別に偉いわけでも高尚なわけでも、なんでもありません。

ただ、自分の人生とはいつ終わるかわからないものであり、それは、

  • 明日かもしれないし
  • 来年かもしれないし

と、いつも「その日」が来るんじゃないかと思って生きています。

人間は動物であり、めちゃくちゃ乱暴に言えば、

ただ生まれて、土に還るだけ

ですからね。

今日は「最期を迎えるまでにできること」について書いていきます。

自分の命はいつ終わるかわからない。日常を過ごしつつも、毎日後悔のないように生きていこう。

僕はたまたまラッキーだっただけ

先日、阪神大震災の動画を見ました。

1995年に起こった震災でしたので、僕はまだ小さかったですね。

当時のことは覚えてはいませんでしたが、もう30年も前になるんですね。

たまたまその動画が流れてきて、インタビューを受けていた人が、お互いの生存を確認したりしてて。

もう、涙なしには見られない動画でした。

僕は東日本大震災も経験しましたが、ダイレクトに被害を受けたわけではありませんでしたが、両親の実家が宮城ですので、他人事ではいられませんでした。

それでも、自分がまだ生きていることに、奇跡を感じたものです。

日本は災害大国だからこそ、

あぁ、自分が今、こうして生きられていられるのはラッキーなことなんだな

と思うのです。

  • 早くに両親を失った人
  • 若くして亡くなっていった人
  • 体や脳に障害を持っている人

も、たくさんいたわけですからね。

不慮の事故やら人間関係などからでも、命を落としてきた人たちがいます。

そんな中、40近くまで生きられている自分に、心底驚きを隠せません。

僕が海外を回っていた時(2023年)も、何かに巻き込まれていてもおかしくありませんでしたからね。

だから僕は、たまたま今の今まで生きてこられた。

そうやって考えるようにしています。

今を生きているからこそ、

この瞬間がいつか終わるなんて、信じられない!

と思ってしまいがちですが、興味深いことに人生が終わってしまえば、もうそんなことを考えることすらできません。

だからと言って大切な命を終わらせてはいけませんけどね。

現世において、自分のできることをやってゆくのです。

僕はたまたま今の今まで生きてこられた。ただラッキーだっただけなのだ。

明日がその瞬間かもしれない

最近も美しい空を眺めて思うのは、

明日、何かの手違いで、自分の人生が終わる可能性もあるだろう

ということです。

これを意識し始めたのは、皮肉にもコロナ禍の時でした。

コロナにかかって…

と考えていたわけではなくて、たまたまいろんな本を読んだことがきっかけでした。

例えば『今日、誰のために生きる?』など。

人間、何かの「終わり」を意識しますと、気合いが入るものでして。

人生って、当たり前だけど一度きりしかないんだよなぁ

その不可逆性に改めて気づいた僕は、毎日を必死に生きるようになります。

今まで、全然気にしていなかった訃報なども、

次は自分かもしれない

という意識を持って聴くことが多くなりました。

これは決して、ネガティブな意味ではありません。

戦々恐々としているわけでもありませんし、

いつその時がきてもいいように

と思うようにしています。

武士とは死ぬことと見つけたり

ですからね。

だからこそ教員を辞めてみましたし(辞めることが正義ではないです)、世界一周もしてみました。

個人事業も始めてみましたし、会える人に会いに行く日々です。

僕が過去に一所懸命生きられなかったのは、

こんな楽しい日々が、一生続くんだろうな

と、たかを括(くく)って、当たり前のことだと感じていたからだと思っています。

本来は、その前提に立っていてはいけない。

頑張って長く生き延びたいところではありますが、人生とは何が起こるかわからないもの。

青森で震度6の大きな地震が起こったのも、ついこの前ですからね。

常にどうなるか、何が起こるかなんて誰も読めやしない。

その理解なしに生きていては、惰性で生きることになりかねません。

昔の僕のように、ね。

明日、来週、来月に何かが起こるかもしれない。それを意識して生きているかで、日常も変わってくる。

何を残すかではなく、後悔のないように。

以前にも書きましたが、

じゃあ何か偉大なことをしなければ!

と思う必要はありません。

人生には優劣なんてありませんからね。

自分が生きたいように生きることが、その人の人生です。

これは決して、

ただわがままに生きればいいよ

と言っているわけではありません。

人間はある程度「わがまま」でもいいのですが(というより “そういう” 生き物)、

  • 自分勝手に
  • 傍若無人に

生きていては、人生は豊かになっていきませんし、良好な人間関係も築いていけません。

何か大きなことを為そうと意気込んで生きることもまた、志(こころざし)があっていいことかもしれません。

プロスポーツ選手になるとか、偉大な芸術家になるとか、世界を変える政治家になるとか。

しかし、それを目的としてがむしゃらになり過ぎてしまいますと、

  • 日常
  • 近くにある幸せ
  • 目の前の小さなこと

に目がいかなくなることがあります。

僕が最近の日々で感じることとは、そうした日常の何気ない風景の美しさです。

特に日本の美しい風景を見ていますと、改めて、

あぁ、なるほど。今僕はこの地球という惑星の、日本という国に生きているんだなぁ

と、どこか客観的な視点で見られるようになります。

そしてもし、自分がいなくなってしまえば、残された人たちによって “この世” と呼ばれる現世が、何事もなかったかのように進んでゆくのだな

と。

自分のやっている事業や、その内容、それこそ趣味などにも、いろんな評価ができるでしょうし、何か思うことのある人もいるでしょう。

でも大事なことは、

  • 今を生きること
  • 幸せを感じること
  • 豊かさに慣れないこと

ではないでしょうかね。

先日も動画を拝見していたところ、

人間の歴史において、99%が貧困だった。今我々は1%の豊かさ、人類が経験したことのないような豊かな世界に生きているのだ

という話を聞いて、妙に納得しました。

僕らはどこかで、現代の豊かさに慣れきってしまっています。

それではいけないわけです。

誰かのために自分のできることを必死でやれば、それで人生は幸せになります。

それは貧困の中だからこそ、わかることでもありますよね。

だから僕は「足るを知る」という感覚を意識するようになり、追い込むことで幸せを感じるようにもなりました。

毎日を後悔のないように。

これが一番なんじゃないですかね。

何か大きなことを為せるのであれば、それはすごいことだ。しかしそのために生きていては本末転倒だ。後悔のない人生にしてゆくことが大事なのだ。

おわりに

この冬の空を眺めている日々は、よりいっそう最期について考えることが多くなりました。

空が低いからでしょうかね。

美しい世界を見れば見るほど、今自分がいる世界はいつまでも続かないものだと感じるんですよね。

みなさんは今日を、一所懸命生きていますか。

それではまた!

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