こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
2020年の秋頃から投資を始めましたので、そろそろ丸2年が経とうとしています。
6月に「日本高配当株の配当金」も振り込まれていました。
そこで、具体的にお金に注目していくとともに、
- 配当金を受け取ってどう感じ
- 今後の人生をどう考えていくのか
について、書いていこうと思います。
実際の配当金の報告
実際に僕が6月に得た配当金は、以下の通りです。
- 米国高配当株:100.01ドル(3月の112.7ドルと合わせると212.71ドル=約2.9万円)
- 日本高配当株:約2.2万円(評価額は+10万円ほど)
と2022年は、半年で日米高配当株を合わせて約4〜5万円ほどとなりました。
少しずつ買い増してはいたので、前年度よりは明らかに多くなっています。
単純計算すれば、1年で約8〜10万円が不労所得として入ることとなりました。
「月に1万円」まで、あと少しといったところですね。
今後もコツコツ積み上げていこうと思っています。
投資を始めて1年ほど経ったところでは、
- やれ資産が増えているだの
- やれキャッシュフローだの
散々わめき散らかしていましたが、今となっては、
としか思わなくなりました笑。
それは、ある程度自分の求める「幸せ」がわかったからでした。
とはいえ、毎月1万円があれば、水道光熱費はほぼまかなえていることになります。
「倹約してはお金を溜め込む」という「悪習慣」の持ち主だった僕でしたが笑、今思えばそのようにして貯めてきたお金が、このように「投資」と言ういい形に昇華できてよかったと思っています。
こうして配当がもらえることは嬉しいのですが、昔ほど、
とは思わなくなりました。
慣れもありますが、より他のことに意識が向くようになったからです。
配当金に意識が向かなくなったのはなぜ?
「経済的自由」を目指すことに決めた2020年。
離婚をして新たな人生をスタートした僕には、その当時では信じられなかった世界へと旅立つこととなりました。
今はもう、お金のことはほとんど考えていません。
お金はあるに越したことはないと思っていますし、これからもコツコツと投資を続けていくつもりです。
しかし、
- 資産の拡大
- 配当金によるキャッシュフロー
には、もうほぼほぼ興味がなくなってしまいました。(早い笑)
一応、このブログでは定期的にこのように報告する必要があると思い、具体的な金額を載せています。
今の僕には、お金を増やすことよりも、もっとやりたいことが見つかったからです。
お金を増やすことに注力するということは、
- 転職
- 副業
- 起業
などをすることで、「タネ銭」を最大化して投資に回す額を増やすことです。
あるいは、現在のように「安定的な給与」をもらいながら、地道にコツコツと貯めたお金を投資に回していく、といった考え方もあるでしょう。
もちろん僕も「起業」には興味がありますが、以前とは目的が違います。
もっと人のために生き抜きたいと思ったのです。
結果的にお金がもらえれば、それでよいかなと。
予想の範疇は超えませんが、一所懸命やっていればお金も入ってくると勝手に思っています。
これを聞いた方は、
と思われるかもしれません。
僕はそう言われても一向に構いませんし、実際は野垂れ死ぬところまで想定済みです。
とはいえ、先生を辞めた後の自分が「とにかく何もしないでダラダラ過ごす」というイメージは、どうしてもつかないのです。
今でもそこそこ「イキイキ」していますが笑、今以上に命を削ってひたむきに何かに取り組んでいる自分を想像することができます。
そんな生活では、「配当金のおかげ」となる場面も出てくるかと思いますが、
- 資産を拡大したり
- 安定的な生活を望んだり
といった考え方には見向きもせず、もっともっと前を向いて全速力で走り抜けている自分がいると信じているのです。
今年(2022年)は助走の段階ですが、毎日が充実していていろんなアイディアが浮かんできます。
もう僕は、投資を始めたばかりの頃の「僕」ではなくなってしまったのです。
始まりはいつも自分の欲求からでいい
このような考えにいたるまでには、やはり起点に、
- お金
- 人生
- 自由
と言った「人生論や哲学的なこと」についても考える必要がありました。
当初は、
と、それ自体が目的となってしまいました。
今はなんと、目指していたはずのその状態を「手段」として考えるようになったのです。
驚きですよね笑。
経済的自由を目指していた男は、
- 投資
- 控除
- 配当
など、ありとあらゆることを実行に移したのにもかかわらず、最終的には、
と思ってしまったのですからね。(本当にどうでもいいという意味ではありません)
でも経済的自由を考え始めたときに、もし投資などの行動がなかったら、現在の考え方に至ることはできなかったでしょう。
発端としては、何も間違っていなかったと思っています。
初めて配当金の10ドルを「円」に換えたときは、死ぬほど嬉しかったものですしね。
その「少しずつ豊かになっていく過程」があったからこそ、徐々に余裕も生まれてきたのだと思っています。
いきなり、
という大胆な選択もできたのかもしれませんが笑、「超絶保守的人間」だった僕がこうなれたのは、配当金をもらったようにわずかでも実体験が伴っていたからです。
「今」のような思考に到れたのは、「過去の」自分が不安の中でも必死に行動し、道を切り拓いてくれたからです。
こうしてバトンは渡されました。
また「今年の自分」が精一杯努力していけば、来年の自分へとバトンが渡されます。
そうやってつないでつないで、将来を良いものにしていくのです。
配当金やお金に対する考え方ひとつ取ってみても、
- これだけ長いプロセスがあり、
- 少しずつ変化して自分に吸収されていく。
だから、始まりは自分の欲求に素直に従ってもいい。
そこから徐々に徐々に、見えていなかった部分が見えてくるのも、人生の醍醐味なのではないでしょうか。
おわりに
配当金とは、僕にとって人生の救いになるとばかり思っていました。
経済的自由を意識するあまり、それ自体を目的としていたのです。
するとどうも採算が合わないことに気づきます。
と。
もちろん、配当金によって徐々に生活は豊かになりました。
その上でもう一度自分に問いかけてみたのです。
と。
たくさん本を読んで、いろんな考え方に触れ、多くの人と出会いました。
今の僕には、お金よりももっと考えたいことが山ほどあるのです。
その気持ちを何よりも大切にして、今年を生き抜いて、来年の僕へとバトンを渡すことにしますね。
それではまた!
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