足りていないから求めようとしてしまう【TAKERからの脱却】

幸せ

こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki

食生活改善を始めてから、特に何かを口に入れる際に「足るを知る」ようになりました。

お腹いっぱいになると動きが鈍くなってしまう

そう感じ始めてから、変えた食生活習慣。

以前の僕は、目の前にスナック菓子があれば、とにかく貪(むさぼ)っていたものでした笑。

今日は、

  1. 最近、僕が感じた「TAKER気質」の行動
  2. いかにして自分が足るを知るようになったか

などについて書いていきます。

足るを知ると、人生が満ちてくる。後は、与えるだけだ。

違和感を覚えたTAKERの行動

先日、教頭先生がたくさんのタマネギを、段ボール箱に入れて持ってきてくださっていました。

僕もお昼にタマネギはよく食べていますので、「もらってもいいかな」と思ったのですが、特に何も考えていなかったので、もらうことはしませんでした。

すると1人のおじさん教師がやってきて、あろうことか取れるだけ取っていきました笑。

こんなもん、早いもの勝ちでしょ

と吐き捨て、多くのタマネギを抱えて去っていきました。

僕は違和感を覚えると同時に、

あぁ、以前の僕もまさにこんな感じだったな

と思いました。

タマネギをたくさん取っていくことを否定しているわけではなく、そこにある考え方に過去の自分を重ね合わせたのでした。

以前の僕も、お茶会などでスナック菓子が置いてあった場合、

いかにたくさん食べることができるか

を競うかのごとく、一気にガッと取っては、バクバク食べていました笑。

またビュッフェスタイルの食事でも、

できる限り損のないように!

と、必死になって「元を取ろうと」していました笑。

それは、自分のことを満たそうと躍起になっていたからでした。

先日も、その行動1つを見ただけで「この人は渇いているのだな」と思いました。

いつもイライラしているし、どこか当たる場所を探している…

以前の僕も、そうやって誰かの批判や口論ばかりを求めていました。

一事が万事ですね。

1つの行動を見ただけでもTAKERだとわかったのは、他でもありません。

実は、僕自身がTAKERだったからなのです。

目の前にあるものを、なんとかして自分のものにしたいと思う人はTAKERだ。そう、以前の僕はまさにTAKERそのものだった。

TAKERからの脱却

そんな「TAKER気質」から救ってくれたのは「本と人」でした。

僕は1年ほど前から本(自己啓発系)をたくさん読むようになり、そこから人生が大きく変わっていきました。

それと同時に食生活も変わり始め、心身ともに「足るを知る」ようになりました。

そういえば昔、母はいつも僕ら三兄妹にお菓子を買ってくれていましたが、不思議でならなかったことがありました。

なんでお母さんは、お菓子を全く食べないのだろう?

いつもお菓子を僕らのために準備してくれる割に、自分の分はいつもないのです。

僕の頭の中は、幼い心ながら「どうしてだろう?」という疑問でいっぱいでした。

でも今は、その気持ちがわかるようになりました。

今の僕は、

与えることは、満たされることなのだ

ということに気づけたからです。

それを教えてくれたのは、本もさることながら「多くの友人たち」でした。

僕は、いろんなコミュニティと繋がるようにしています。

  • 英語キャンプで出会った友人
  • 大学時代・大学院時代の英語科
  • ダンスサークルで青春をともにした同志
  • 同じコミュニティで頑張り続ける仲間たち

リアルだろうがオンラインだろうが、毎日、毎週のように刺激をもらい、前に進むことができています。

自分のTAKER気質が抜け始めたのは、純粋に近いほどのGIVERたちに出会えたことでもあります。

また、大学時代から仲良くしてくれている気の置けない友人たちの支えのおかげでもあります。

そんな人たちを目の前にした時に、

何でも自分のものにしようという発想は、なんて貧乏な考え方だったのだろう

と思うようにもなりました。

人との出会いは人生を変えるきっかけとなります。

最後に変わるのは「自分次第」であることは間違いありませんが、変わる自分を後押ししてくれるのは、やはり周りの家族や友人なのです。

TAKER気質からの脱却には、本と人が必要だ。最終的には自分次第だが、そこにいたるプロセスには、必ず本と人の影響があるはずだ。

TAKERを見下すのではなく、自分がGIVERになる

自分の過去と重なるような、そんな「おじさん教師」を目の前にしたとき、僕は彼のことを見下すようなことはしませんでした。

いえ、できませんでした。

TAKERを否定することが、僕の目的ではないからです。

あなたはいつも受け取ったり、もらったりしてばかりだ

そんなこと、言われたくもないですし、言いたくもありません。

それは、人は必ずTAKEする時があるからです。

昔の僕が、両親や兄妹から愛情を受け取っていたように、誰しもが「もらう経験」をしています。

純粋なTAKERは、確かに一見すると「心の貧しい人」です。

  • いつも渇き
  • いつも飢えており

いつまでも満たされることはありません。

でも、人は生まれながらにして「与えられて」育ちますから、その姿を否定することはよろしくありません。

その人が変わるとすれば、GIVEすることを覚えること以外にありえません。

誰かが何かを与えればいいというわけでもなく、その人自身がGIVEすることの大切さに気づかなければならないのです。

TAKERに与えるだけでは、搾取されてしまいますからね。

TAKERを否定していたって不毛ですし、それこそ「他人を否定している自分」が満たされることはありません。

そんなことより、自分がどうしたら幸せを感じることができるのかという方向に、僕は人生の舵を切りました。

それが「与えること」でした。

  • 英語を教えたり
  • ご飯を奢ったり
  • 教育に携わったり
  • お土産を買ったり

することで、満たされるのですね。

今はもう、むやみやたらとスナック菓子をガッと取っていったり、ご飯をドカ食いすることもなくなりました。

それは健康やパフォーマンスといった肉体的な部分だけでなく、精神的な部分にも密接に繋がっているからだとわかったからです。

TAKERを否定したって仕方がない。自分がGIVERとなり、幸せを感じればそれでいい。

おわりに

そのTAKERの先生にも、何かいろいろ背景があるのではないだろうか

と考えをめぐらせることができるくらい、僕にも心の余裕が生まれるようになりました。

足るを知りますと、TAKEしていくことに違和感を覚えます。

むしろ今は、「TAKEしようとする気持ち」がなくなってしまいました。

それだけ、TAKEすることは幸せに直結しないと理解したからです。

自分を満たそうとしているようでは、本当の「満腹」は得られません。

昔見た僕の母のように、僕も人に与える瞬間に幸せを感じることができるようになりました。

このほうが持続性があり、かつ自分がTAKEするよりも圧倒的に高い幸福感を感じることができます。

僕にも心が貧しかった時代がありましたから、その先生もどこかで変われればそれでいいのです。

また明日からも、少しずつ与えていきましょう。

それではまた!

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