他人が言っていることは基本気にしなくていい【自分がどうありたいか】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、W杯が開かれ、日本の初戦(オランダ戦)がありました。

そこでいつも話題になるのは、日本人による「ゴミ拾い」です。

青色のゴミ袋を応援の際に使いつつ、最後はゴミを回収して解散。

この光景に、海外の多くの人々やマスコミが衝撃を受けたものでした。

今回のW杯に限らず、だいぶ前から話題になっていたこの光景。

しかし、それに対して、

偽善だ

と言う人たちも一定数います。

僕はこれについて思うことがありますので、今日は「やらない善よりやる偽善?」というテーマで書いていきたいと思います。

偽善だという人は何もしたことのない、嫉妬しているだけの人たちだ。まずは行動で示すこと。その上で判断するのは、周りの人々。人のやっかみなんて気にしなくていい。

そんなこと言い始めたら世の中偽善だらけ

僕が思うに「偽善だろ?」という意見ほど、全く核心を突いていない意見は見たことがありません笑。

そんなこと言ったら、

じゃあ、あなたがちょっと手伝ってもらったりしたら、それも偽善というのか?

という議論になってきます。

いや、違う。あぁいう大舞台でやっているから、偽善だと思うのだ!

と「変な角度」で反論してくる人がいますが、どちらにせよ「ゴミを拾う」という行為だけでも、

  • 汚いし
  • かったるいし
  • 時間はかかるし

普通に考えて、メリットなんてほとんどありません。

日本人なら普通にやることですから、むしろ、

へ?これ普通のことだし、別に誰も見てなくてもやるけど?ねぇ?

という、コメントで溢れていました。

「偽善だ」と言うからには、

  1. 何が偽善で
  2. 何が偽善ではないのか

の定義をする必要があります。

それは人の「内心」の部分であって、簡単に外から測れるものではありません。

ただ、見返りを求めてやっている人はすぐにわかりますし、人も離れていきます。

僕の個人的かつ主観的な意見ですが笑、あのサポーターの方々を見ている限りは、

じゃあ金くれ!
じゃあ有名にしてくれ!

という感じは見受けられませんし(というかそんな見返りあるわけがない)、仮にイヤイヤやりながらでも「やっている」という事実がある以上は、その行為の素晴らしさを認めざるを得ません。

だって仕事だってそうでしょう。

では批判的な人に、あえて聞いてみましょうか。

あなたがやっている仕事、偽善じゃないですか?

と。

そんなこと言われたら、腹が立ちますよね。

心の奥底では、それぞれ面倒がっているかもしれない。

それでも、誰かの役に立つ仕事をあなたがしているのであれば、僕はそれを「偽善」と呼ぶことはありませんよ。

「偽善」とは何か。この定義が揺らいで不明確である以上は、その行為が偽善かどうかの議論なんてできやしない。それよりも、「やっている」という行動や事実に焦点を当てるべきだ。

ただの嫉妬は気にしなくていい

こういう行為をしますと、必ず「批判」が飛んできます。

特にカメラが回っていることもありますから、確かにそう言われるのも納得できます。

ただ、こういうことを言う人はごく少数であって、声が大きいだけだと思っていていいです笑。

多くの方は、現地でゴミ拾いをしてくださった人を尊敬していますし、

日本人の精神性を広めてくれてありがとう

とすら思っています。

それに、こうやってゴミを積極的に拾える人たちとは、むしろ批判があろうとちゃんとゴミを拾うだろうと、僕は思っています。

一方で、

批判したい人たちは、どうせやってもいないだろうし、普段から頑張ってねーだろ

という反論コメントも見受けられますが、僕はそうは思いません。

擁護するわけでもありませんが、彼らも彼らなりに頑張っているのです。

しかしたぶんですが、「人生があまりうまく行っていないだけ」なのではないかなと。

僕も昔そうでしたから、よくわかります。

  • うまくいっている人を批判したい
  • 自分がうまくいかないのはコイツらのせい

そうやって「他責」にすることで、

自分はちゃんとやっているのに、なぜ報われないんだ?怒

と、現実から逃げていたからです。

スポットライトが当たっている人、褒められている人を見ますと、人間とは嫉妬したくなるもの。

みなさんは、彼ら(=批判してくる人)を “批判すること” もグッとこらえて、

自分は自分のできることを、やってゆくだけだ

と、自分の人生に集中していきましょう。

批判している人たちだって、一所懸命頑張っている。ただ報われていないからか、他人に嫉妬してしまうのだ。

自分がどうありたいか

結局、こうやって積極的にゴミを拾う人たちが、日本にいる「名もなきヒーロー/ヒロイン」たちなのだと、僕は思っています。

彼らは、

他人からどう見られるか?

を、特に気にしてはいません。

ある意味では(「ゴミを拾わなきゃ!」と)、自身の行動を気にしているのかもしれませんけどね。

ぶっちゃけ、

  1. 本意なのか
  2. 偽善なのか

なんて、どうでもいいのです。

同じ日本人としては、

その場をキレイにして帰りたい

という発想はあるでしょうし、みなさんのご近所さんも、家の前のゴミくらいだったら拾ったり掃除したりしていますよね。

それらの行為が、偽善なわけがありません。

大切なのは「人にどう見られているか?」を “いい意味で” 気にしつつも、心中では特に気にせず、

自分はこうありたいから、こうする

と思っておけばいいだけのことなのかなと。

  1. どう見られているかではなく
  2. どうありたいかを意識すること

これが大事ですね。

今回のゴミ拾いの行為を批判している人ほど、「自分がどう見られているか?」を一番気にしている人なのだと思っています。

普段から他人の目を気にしているからこそ、

これは偽善だ!

と、的外れなことを言ってしまうのです。

正直、現地にいた日本人たちは、そんなことは何も考えていなかったと思います。

やりたいからやっているだけだし、日本人だからそうしてるだけ

そんな感覚じゃないですかね。

常に「自分はどう見られているか?」をある意味意識しつつ(行動や言動など)、一方で何か見返りを求めて善の行ないはしないこと。

カメラが回っていなくても、誰も見ていなかろうと、やる人はやります

  • ただ批判する人になり下がりたいのか
  • あぁいう精神性を持った日本人でいたいと思うのか

みなさんはどちらですか。

周りを気にせずに、自分の人生を満足の行くように生きてゆくことが、大事なことですよね。

人からどう言われようが、誰かに見られているからやるのかなんて、正直どうでもいい。自分が社会においてどうありたいかのほうが、大切なことだからだ。

おわりに

僕はこうした動画を見るたびに、日本を誇りに思います。

偽善だなんてそんなこと、やっている人に対して言える立場じゃない

それが普通の感覚です。

どこかでサービスを受ける際、あるいはちょっと手伝ってもらった際に、

偽善だろ

と言っているようなものですからね。

そんな失礼な人間には、なりたくありません。

「行動」を示されれば、僕らはもう何も言う権利はありません。

僕は、彼らのようなサポーターのような魂を持っていたいですし、そんな日本が続いて行ってほしいですけどね。

みなさんはどう思いますか。

それではまた!

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