他人を甘やかさないようにするには?【「楽しい」はできた時】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

生徒さんたちと話していますと、

どうしても「いい人」みたくなってしまう

という相談がありました。

僕も教育に従事していますから、「生徒との線引き」についてはかなり厳しくしてきたほうです。

  1. 甘やかせば調子に乗られるし
  2. 柔軟性もなく厳しいだけだと嫌われる

と、指導者もなかなか難しいものです。

今日は、ただただ「いい人」にならないために、僕らがすべき「人との関わり方」について書いていきます。

甘やかすことは、本来の教育ではない。線引きをした上で付き合ってゆくことだ。師弟関係の中でも「できた時」が一番楽しいのだと、理解しておくことだ。

甘やかさない

生徒に対しても、お子さんに対しても言えることですが、愛とは厳しさがあってこそでもあると思っています。

僕が高校教師になりたての頃は、

どうやったら生徒に気に入られるか?

ということばかりを気にしていて、しっかりと指導することができていませんでした。

結論から言えば、そちらのほうが生徒との関係性が「悪く」なりました。

結局「舐められること」となり、

この先生は、線引きが曖昧だもんな!

と思われ、主導権を握られてしまったのです。

それ以降、僕もだんだんと厳しくなっていきましたから、

部活動を舐めてるなら、今すぐ辞めてもらっていい
授業を邪魔するなら、お前は何しに学校に来てるんだ?

と、静かに怒ったことも何度かありました。

しかしそちらのほうが、最終的には生徒も先生を尊敬してくれますし、「馴れ合い」の関係ではなく、お互いを尊敬し合えるような、良い関係性に発展させることができます。

大人側から線引きをすることは、大人側の「義務」でもあります。

言い方を変えれば、主導権は最初「大人側にある」と言ってもいいのです。

だから、適当な場所で線引きをしようとしますと、受け手側は、

これくらいまでなら許されるだろう?

と、こちら側を試してきます。

そうさせないためにも、まずはこちらが厳しくなれるようにしておくことが大切です。

僕も教員になりたての頃は、

そんなの苦手だし…

と思っていましたが、だんだんと慣れてくるもの。

相手を「子どもとして下に見る」というわけではなく、「一人の人として」見るからこそ、厳しくすべきなのですね。

下の子たちを甘やかすと、つけ上がってくる。まずは相手に主導権を握らせないことだ。しっかりと線を引いていこう。

いい人づらしようとしない

特に教える側、親の立場になりますと、

相手に好かれたいから…

と、厳しく指導することをイヤがる人がいます。

先述した通り、それは基本的にうまくいきません。

ペットを飼っている方ならわかるかと思いますが、適当な躾(しつけ)をしますと、かえって主従関係が破綻し、取り返しのつかない関係性に発展してしまいますよね。(僕はペットを飼ったことはないですが)

こうなるともう手がつけられず、後々になっても、

今さら何?

という態度を取られ、関係は終了します。

「八方美人」という言葉がありますが、僕はこの類(たぐい)の人間が苦手です笑。

誰からも好かれようとしているからですね。

ハッキリ言って、それは “無理” なのです。

100人いて100人から好かれるなんて、基本的には不可能です。

嫌われることはなかったとしても、

別に、一緒にいたいと思わないかな

と思う人だっています。

いい人に見られようとするのではなくて、

  • 正しく
  • 誠実に

あろうとすることです。

厳しい先生になるために意識していたことは、

  • 真剣に意見を伝える
  • 情熱を持って指導する
  • 間違っていることは指摘する

といったようなことでした。

ヘラヘラしたり妥協したりしていますと、すぐに生徒や子どもたちから見抜かれてしまいます。

本当に相手のためを思うのならば、曖昧にしないことです。

良いものは良いし、ダメなものはダメ。

そうすることで、子どもや年下たちから、教師や親、大人に対しての信頼と尊敬が芽生えていきます。

もちろん、

何を言っても聞くつもりはない。俺が/私が上でお前は下

という態度もよろしくありません。

いい人であろうとする必要もありませんし、同時に上から目線になってもいけない。

生徒たちや後輩、子どもたちと、いい関係性を築いていきましょう。

いい人を演じようとすると、下の子たちからすぐに見抜かれてしまう。厳しさを持ち、ダメなものはダメと言えるかどうかがカギだ。

できた時が一番楽しい

教育の分野にいますと、

楽しい授業ってなんだろう?

と考えることがあります。

僕が当時「間違えて」いたのは、

とりあえず面白ければいい

というものでした。

英語の知識や内容はそっちのけで、

  • 笑わせたら勝ち
  • 面白いキャラクターでいれば勝ち

という勘違いをしていたのです。

もちろん、若かったこともありましたから、あの時できた「精一杯の授業」だったのだとは思っていますが。

少しずつ授業改善をしていたところ、ふと友人から言われた言葉を思い出しました。

人って、できないことができた時が、一番楽しいんだよな

と。

僕が生徒に(いい意味で)厳しく当たるようになったのは、

その「楽しさ」に到達するために、厳しい時間があるのだ

ということを、理解してきたからこそでもあります。

本当に生徒たちと、子どもたちと、楽しい時間を過ごしたいのであれば、

  1. 目の前の課題を知り
  2. それに対して努力をして
  3. 壁を乗り越えてできるようになること

が、一番楽しいのです。

僕はこの点を履き違えていたからこそ、

  • 自分に対しても
  • 生徒に対しても

甘く接していました。

そうなりますと、お互いのためにならず、その時間で「本当の楽しさ」にたどり着くことはできません。

そこに行くまでの道のりで、手伝ってあげたり一緒に走ってあげたりするからこそ、親であり先生であり、「大人」なのです。

甘やかしている人とは、その楽しさを履き違え、妥協して馴れ合おうとしているだけ。

僕は教員時代の初期もそうでしたし、このブログでも昔はそんな「書き方」をしていました。

「結果を出せればそれでいい」とは思っていません。

しかし、そこに「真剣さ」がある人のほうが、ものごとを “本当の意味で” 楽しむことができます。

その事実を、しっかりと理解しておくことですね。

人はできなかったことができた時が、一番楽しいに決まっている。その事実を忘れなければ、真剣な関係性を築くことができるのだ。

おわりに

どうしても人には、他人から良く見られたい傾向があります。

もちろん、僕だって関係を築くなら「いい関係」を築きたいですし、褒められたり仲良くさせてもらえたりすれば、嬉しいものです。

ただ、そこに「馴れ合い/甘やかし」が介入してきますと、一気に関係性が崩れてきます。

極端に行き過ぎる必要はありません。

うまい按配を探るのには時間がかかりますが、僕もそうやって学んできました。

  • 親として
  • 教師として
  • 先輩として

振る舞うには、こちらからの動きが大事になってきます。

一所懸命、ともに真剣に学び合っていければ大丈夫ですからね。

それではまた!

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