毎日の幸せな瞬間から感じる世界【幸せな日々を定義できるか】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

朝、たまにお腹が減って近くのドラッグストアに行くとき、途中にある公園ではおじいちゃんおばあちゃんたちがゲートボールをやっています。

いつもほのぼのとしていて、ある程度の時間が経つと、みんなでベンチに丸く座ってお弁当を食べています。

そうそう、こういうのが幸せだと思うんだよね

僕は幸せを求めて、いろんなことをしてきました。

  1. 投資を始め
  2. 学校の先生を辞め
  3. 世界一周の旅を果たし
  4. 個人事業主になって自由を得る

というところまで来ました。

まだまだ幸せを求めている途中ではありますが、今日はそんな「日常の幸せ」について書いていきます。

日々の何気ない生活こそが僕らの求める幸せだ。それに気づき、日々の生に感謝しよう。

毎日幸せは転がっている

僕が晴れた日の朝にあえて外に出るようになったのは、ちょっとした幸せを探していたからもしれません。

家で朝から昼まで授業をしていますと、ちょっと窮屈と言いますか、

在宅勤務ができるとは言え、なんだか外の空気を吸いたいなぁ

と思ってしまうのです。

晴れた日に気持ち良い空気を吸えるということ。

これだけでも気持ちがいいものです。

現代の日本には様々な問題がありますが、やはり総じて、

日本って豊かな国なんだよな

と思うのです。

よく海外を回ってきた日本人たちが、

なんだかんだで、やっぱり日本がいい

と言うのは、それだけ水準が高くて、(日本人にとっては)暮らしやすいからだと思っています。

でも忙しさから、僕らはどこかで小さな幸せすらも見落とすようになってしまいました。

本当は日本にいるだけで、僕らは恵まれているのだということ。

だからこそ、今の国政は変わらなければならないですし、

すでに豊かだから文句言うな

と言うのはお門違いです。

それとこれとは話が違いますからね。

とはいえ、やはり日本には日常の安全がある程度保障されていて、暮らしやすい国だと認識しています。

特に僕はコロナ禍の時に、

自分の幸せってなんだろう?

ということについて、真剣に向き合いました。

これができるようになりますと、本当に些細なことにも感謝できるようになります。

じいちゃんばあちゃんたちが、公園でゲートボールしてる。なんていい光景なのだろう

そうしみじみ思ってしまうんですよね。

日本の日常の中には、小さな幸せがたくさんある。それに気づけない人は意外にも多い。少しでも小さな幸せを見つけようとしてみよう。

老若男女に愛を感じよう

僕がじいちゃんばあちゃんたちを「可愛い」と思うように、

  • 赤ちゃんも
  • 学生たちも
  • 大人たちも
みんな可愛いな

と、思っています。

たぶん昔は、もっとトガッていたと言いますか、

  1. 若い男女を羨(うらや)んだり
  2. 年配の方々を老害として蔑(さげす)んだり

していました。

少なくともみなさんにも、こういった経験は少なからずあるかと思っています。

僕も若い頃は「妬(ねた)み」みたいな感情が強くあって、

なんで俺だけ幸せじゃないんだ?

とすら思っていました。

でもいざ自分が「良い状況」になれば、自分のことは棚に上げて「自分さえ良ければいい」という考え方に陥(おちい)っていました。

少しずつ自分の人生を見直していきますと、

いかに自分が自分勝手に生きていて、何も考えずに隣の芝生ばかり見ていたのか

を痛感しました。

世の中を見渡せば、「幸せそうにしている人」なんてたくさんいます。

それを見た時に、

彼らがずっと幸せでいられたら、僕も幸せなんだよなぁ

と思えるかどうか。

これが大事な考え方だったのでした。

『ドラえもん のび太の結婚前夜』では、しずかちゃんのパパが、しずかちゃんに対して以下のようなセリフを言います。

あの青年は人のしあわせを願い

人の不幸を悲しむことのできる人だ。

それがいちばん人間にとってだいじなことだからね。

人を羨(うらや)んでいる時や、うまくいっていない時とは、自分に余裕がない時です。

まずは自分に余裕を作れるように、

  • たくさん勉強して
  • 死ぬほど動いてみて
  • 誰よりも経験してみて

お金を作り、いい意味でまずは人生を安定させることです。

それから僕は、街やカフェ、レストランや駅で見かける人々に対して、「」を感じるようになりました。

どんな人にも人生があって、大変だけど一所懸命生きてる

そう考えれば、僕なんて大したことをしていません。

別に卑下しているわけではなくて、「もっと頑張ろうと思える」ということですし、

この人たちに幸せでいてほしい

と、心から思えるようになったのですね。

もう若い子たちなんて見たら、

うわー!その菓子パンくらい俺が払ってやるよ!

と思ってしまうのです笑。

彼らが幸せであることが、巡り巡って自分の幸せになる。

このことを知っておくだけで、世界を見る目も変わってきますね。

街で見かける人々、誰しもの幸せを願うこと。それが自分の幸せへと繋がるのだ。

幸せを見つけられない人へ

先述したように、「余裕がない人」ほど追い込まれていきます。

  • 人のせいにしたり
  • 世間や環境のせいにしたり

し始めます。

自分のやるせなさや努力が報われていないことを、「理不尽だ」と決めつけるからです。

でも僕らは、生まれた時から「世の中の理不尽」を喰らって生きています。

それぞれの個性だって顔だって体だって違いますし、生まれた国や地域によって生活は全くもって変わってきます。

その事実を知った上で、

今の自分の生活は、本当に不幸なのだろうか?

と思うかどうか、ということですよね。

もちろん、それぞれが一所懸命努力していることでしょう。

だったら、もうそれでいいじゃないですか。

みんな頑張っていることは、お互いにわかっているはずだからです。

でも実は、この「当たり前のこと」に気づけない人ほど、足元の幸せを見つけることができなくなります。

自分のことに精一杯で、周りが見えなくなっているのですね。

大切なことは、「まず自分」です。

なんだよ。じゃあ自分のことを考えたっていいじゃないか

そうです。

でもそのためには、本当の意味で自分の人生を深く考えることです。

すると、まずはいい意味で他人を意識しなくなります。

それができていない人が、すぐに他人のことを気にするようになるのです。

自分の人生においての優先順位を真剣に考えていれば、人のことなんてどうでも良くなってきます。

自分で頑張ることができるようになりますと、他人の頑張りも応援できるようになるんですよね。

  1. まずは自分の人生に集中
  2. 自分の人生の中で努力をする
  3. 努力していると周りも応援できるようになる

僕はこの「1」番すらできていませんでした。

他人のことばかり気になっていたのです。

本当の意味で幸せを見つけられる人とは、まず自分の人生についてちゃんと考えている人です。

この順序通りに、思考ができていること。

そうすれば徐々に、身の周りの小さな幸せにも気づけるようになるでしょう。

他人を意識する前に、まずは自分です。

逆説的に聞こえますが、この順序を大切にしていきましょう。

幸せを見つけられない人は、自分の頑張りが認められないことに納得がいかず、すぐに他人と比べ始める。まずは他人が見えなくなるくらい、自分の人生に集中することだ。

おわりに

毎日ではありませんが、たまに見かける「ゲートボール集団」には、ほんわかとした幸せを感じています。

毎日一つでも、こうした幸せを見つけようとすることが大事ですよね。

それではまた!

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