こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
わたくしごとで恐縮ですが、所属しているコミュニティで2年間続いてきた最後の朝活英会話がありました。
僕は多くの人たちと出会って来ましたが、毎年、いろんな形でいろんな人と出会い、その縁を繋いできました。
僕がこのコミュニティ内でいろんな人と関わることができたのは、間違いなくこの「朝活英会話」のおかげであり、自分が生活習慣を変えていた時にちょうど出会えたものでした。
この朝活英会話は2年間、途切れることなく月〜金の週5日で行われてきていて、最後のほうこそ主催者の多忙で代講があったものの、
「みんなが毎朝集まれる場」
として親しまれ続け、涙の中、最後を迎えることとなりました。
今日は「ものごとには終わりがあること」について書いていきます。
継続は必ずドラマを生む
「継続の鬼」として、僕はこのブログを始めとし、
- 食生活
- 筋トレ
- ダンス
- YouTube
- ランニング
など、「自分の好きなこと」はとことん続けてきました。
この「朝活英会話」も最たるものでして、最初は23人で始まったものが、最終回では10倍の230人がzoomに集結するという、信じられない状況を目の当たりにしました。(僕は毎回ではありませんでしたが、ほぼ参加しました)
ここでのキーワードは言うまでもなく、主催者の「継続力」でした。
簡単に言えば、毎朝公園で筋トレ(体操でもいい)をしていたら、自然と人が集まるようになり、そこから輪が広がり始めたような、そんな感じです。
僕個人の意見としては、「何かを続ける」とはとてもシンプルで力強いものだと思っています。
それゆえに軽視する人が多く、また挫折する人も多いです。
しかしこの朝活英会話は、途切れることなく最後まで走り切りました。
もちろん、期間の問題ではないかもしれませんが、年単位で続けていくことはとても難しいことだと思っています。
自分も継続をしているからこそ、その難しさや「休みたいという誘惑」に駆られる気持ちもわかります。
それでも走り抜けますと、最後には必ず「ドラマ」が待っています。
ツラい状況でも続けること。
この「ツラい」は、石の上にも三年という意味ではなく、
というポジティブな気持ちのような、そんな継続の仕方です。
そこに集まってくる人たちの笑顔もまたとびきり明るくて、最後の最後には別れを惜しむような、そんな形でこの朝活英会話は閉幕しました。
改めてそう思うことができた最終回となりました。
終わりを意識すること
継続は力なり。
しかし一方で、僕はものごとには必ず終わりがあるという残酷さも知っています。
「残酷さ」と言いますと語弊があるかもしれませんが、「続けてきたものがいつか終わる」というのは、寂しくて切ないものだからです。
ただ僕は、その終わり方がはっきりとしていれば、それはとてもポジティブなものだと思っています。
何かを続けていくことはとても大切なことですが、自分の都合や事情で出来なくなることなんてザラにあります。
そんな時に、
を意識することは大切なことです。
終わりに向かって周りの人の感動が一点に集まり、大きなドラマを生むからです。
この朝活英会話も、
と終わりを決めてくださったからこそ、僕も旅の最中で「オンライン参加」に復帰しました。
それもあってか、「その日」に向かってみんなで全力で走ることができたのです。
何かが始まれば、極論「自分の命が尽きるまで」には必ず終わりますし、その間の都合でできなくなることもあります。
でもそれは、続けてきたからこそ決めることのできる「終わり」なのです。
ハナから終わりを意識して、続けているわけではないということ。
結果的にそうなった時に、どうやって終わらせて次に繋げていくことができるのか。
いつも終わりを意識するということではなく、その時が来るということも頭に入れておくということです。
そこに向かっていく時というのは、本当に感動します。
- 生徒たちのダンス部の引退公演でも
- 大学時代のダンスサークルの卒業公演も
- 英語キャンプのアシスタントたちの卒業も
どんな時も、終わりに向かう数ヶ月に涙のないことはありませんでした。
でもそれは、「終わり(区切り)があった」からこそなのです。
そこからまたそれぞれが旅立ち、それぞれの想いを胸に生きていくことです。
字面は「終わり」かもしれませんが、一旦ケジメをつけるということ。
その意識をして、みんなで感動を共有していくのです。
新しい序章の始まり
今日という日を特別視する必要はないのですが、
と、自分に勢いをつけることができたような、そんな一日となりました。
僕は今年2023年の3月で一旦、この朝活を離れたのですが、その時ほど「死に物狂い」で頑張ったことはありませんでした。
「僕がいかに頑張っている姿を見せることができるのか」
が、「最大のお返し」だと思っていたからです。
そんな風になるのは、まっぴらごめんです。
日本では「ロス」と言いますが、僕がもしそれを感じたのならば、すぐに何かを始めると思います。
それかいつも通り、自分のやるべきことを淡々とこなしていくだけです。
それが一番の処方箋だと思うからです。
「何かに頼り過ぎている」ということは、裏を返せばそれなくしては生きていけないということ。
僕らはもう立派な大人です。
自分の足で立っていかなければならないですし、みなさんもそうやって生きてきたはずです。
何かに依存して生きていくことは、他人の人生を歩むことと同義となります。
終わりがくることを理解していれば、「自分のやるべきこと」が自ずと見えてくるはず。
こんな僕でも、
と思えているのですから笑、みなさんにもきっとできることでしょう。(無責任)
いつまで経ったって、自分の人生というストーリーの中では、自分が主人公です。
何かが終われば、次の序章がスタートするのが世の常。
だから僕は、先生として「卒業式」が好きだったのかもしれませんね。
終わったことをいつまでも嘆いていても仕方がない。
漫画ワンピースでルフィが大切なものを失った後に、残されていたものを数えるシーンがあります。
そんな絶望の時に、ルフィは彼らしくなく、ずっとそのことを悔やんでしまいます。
何かが終わるからこそ、次につながる。
その苦しみや悲しみを乗り越えて、人は強くなっていきますからね。
僕が参加していた朝活は、とりあえず終了となりました。
それはそれ。
僕の人生は僕の人生。
今度は新たな序章が始まったと思って、また今を生きていきましょう。
おわりに
何かの「節目」とは本当に感動するものです。
僕もこの朝活英会話から、本当に多くの感動をもらいました。
しかしそれがあるからこそ人はまた、
と思い、成長していきます。
これもまた1つの節目だと思って、僕もまた新しい「今日」を生きていこうと思えました。
- 活動していれば
- 継続していれば
またきっと感動的な場面に出会えるはず。
さぁ、新しいステージへと進んでいきましょう。
それではまた!
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