こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日からロンドンに入り、一日いろんなところを見て回ったのですが、その後に大学時代の後輩と会うことになりました。
実に9年振りの再会となりましたが、お互い生活が変わったこともあって、いろんなことを共有することができました。
旅を始めてすぐにハノイで「初めまして」でお会いした方にも、本当にすごく良くしてもらって、いつの間にか幸せな旅となっていることに心底驚いています。
今日は「助けられること」について書いていきます。
結局人に会う旅になる
僕の友人たちとは素晴らしい人たちばかりでして。
僕よりも何年も早くから海外に出ており、広い視野を持っている人が多いです。
現在日本にいる方もまた、海外経験を経たすごい人たちばかりですが、海外で活躍している人たちも血の滲むような努力を重ねて、海外で戦っています。
僕の旅は、実はこの人たちのことが旅の視野に入ってはいませんでした。
そもそも思いつきで始めた旅でしたから、「人に会おう」だなんて思っていなかったのです。
結局は、海外で活躍している日本人たちに会うことができて、
と思いました。
なかなか会いに行くことはできませんし、彼らからすれば、
と感じるようでして、かつ、
とまで言われる始末です笑。
それくらい、遠いところで出会っているということを感じるのです。
でもせっかく遠くまで来たのですから、できれば海外の人たちと会いたいものです。
その「出会い」を少しずつ繰り返していますと、
と思うようになりました。
たとえ海外を特別視するつもりはなくても、海外勢からしても驚くべきことらしいのです。
結局は人と会うことが楽しくなってしまった旅。
なんだかんだと言って、
- 日本でも
- 海外でも
「人に会う日」が待ち遠しかったことを思い出したのでした。
ずっと助けられてばかり
僕の人生は、いつも助けられてばかりでした。
今日の会場はこちら✨https://t.co/CbEtltTsRC
— Taku Sam@アイマスク販売/薬剤師/ぶらちゃん (@Bra_chau_Taku) October 14, 2022
彼とのラジオでも、いかに自分が助けられてきたのかを語っています。
今回の旅でも「具体的にどう助けられたとか」どうこう言うつもりはなくて、単純に「会ってくれる人がいる」という点に感謝できました。
僕がもっと若かった頃は、本当に何もわからない未熟な人間でして笑、いろんな人に迷惑をかけるような「トゲトゲ野郎」でした。
当時の「戦闘モード」は、あれはあれで今も必要なのかもしれませんが笑、
- すぐに感情的になったり
- 相手を攻撃するような批判家だったり
と、散々でした笑。
今はとても落ち着いたほうですが、それも周りの人に教えられて成長したことが多かったです。
- 悶々としている時も
- 何かうまくいかない時も
- 調子に乗って何もわかっていない時も笑
周りの人が言葉をかけてくれたり、そばにいてくれたりしたおかげで、僕はここまで成長することができました。
これはみなさんも一緒だと思います。
家族だったり友人だったり、先輩だったり年下の後輩だったり。
いろんな人に支えられてここまで来ていることを、忘れてはいけませんよね。
今回の旅では、単純に人と会っているだけですが(もちろんご馳走してくださることも)、それがいかに自分の精神状態を良くしてくれるかを、まざまざと感じさせられました。
と。
僕ができることは、この「身体」を現地に持っていくことくらいです笑。
と言ってくださる人もいますが、僕は「助けられている」という感覚のほうが強いです。
その事実に対して、別に卑屈になっているわけではありません。
そこに「感謝」があること。
そしてそれを当たり前と思わないこと。
こうして海外で再会できている人たちがいること。
それ自体が奇跡なんですよね。
一方で与えてもいる
自分で言うと偉そうなのであまり言いたくはないのですが、「助けられている」ということは「相手のことも助けている」ことを意味します。
それがどこかはわかりません。
特に僕は「教師」ですので、多くの生徒たちから「知らない間に」感謝されることもありました。
この旅でも「vlog」を毎日出すことで、みなさんに世界を感じてもらっている「つもり」です笑。
「人に会いにいくこと」それ自体がGIVEである、と言ってくださる人もいます。
でも自ら、
と思っている時ほど、感謝もできていませんし、人は離れていくものです。
以前の僕はそんな人間でした。
しかし、
- 感謝をするようになったり
- 人に会いに行くようになったり
することで、心地の良い循環が回るようになりました。
助けられているのはお互い様。
その事実に対して、
と思っておくことは、とても大切なマインドです。
この旅が始まって少ししてからは、
という、ただそれだけのことしか意識していませんでした。(主旨が変わってる笑)
実際、僕自身が「会いに行くのが楽しみ」なだけですが笑、相手も会ってくれるということは、相手も楽しみにしてくれているということなのです。
「僕が魅力的な人間になれているかどうか」は判然としませんが笑、そうしたちょっとしたことだけでも、「与えていること」になることがあります。
場合によっては、
- そばにいてくれるだけ
- 話を聞いてくれるだけ
でも、相当なGIVEになります。
僕は「聞き手」に回ることが多かった分(今ではかなりしゃべりますが笑)、
と言われもしました。
自分の知らないところで与えられるようになったのは、逆説的のようですが、
と感じてからだったのでした。
そのほうが与えているときに押し付けがましさがないでしょうし、「自然と/無意識的に」誰かの役に立とうと思えているのだと思います。
「受け取ることができている自分がいる」と感じている人ほど、「実は与えているから」ということを感じてもいいのかもしれません。
もちろん、「与えていること」を恩着せがましくする必要はありません。
常に感謝をして受け取っている人ほど、どこかで無意識的に誰かに与えているはずですから。
と改めて思いつつ、まだまだ謙虚に人に会い続けていこうと思っています。
おわりに
僕は、
ということを、よく強調しています。
それくらい、人に助けられて生きてきたからです。
でもそれに気づけたのは最近のことですし、誰かに助けられているということは、
- どこかで与えている
- どこかで感謝している
からでした。
本当はもっと与えたいのですが笑、それはまた機会をみて、自分にできるタイミングでやっていこうと思っています。
それではまた!
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