こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
最近よく、
みたいな動画を見ます。
素直に嬉しいですし、僕はここ数年ずっとハッピーですので、日本に対する不満は特にありません。
一方で、学校の先生をしていた時は、
と思っていたのも事実です。
もちろん、僕自身も過去は「典型的な日本人」でしたので(今でも?)、あまり人のことは言えません。
そう思いましたので、考えていることを書いていこうと思います。
島国であること
僕が海外を周遊して思ったことは、
これが日本を「独特な国にした理由」なのだと思っています。
- 周りが海に囲まれており
- 他の人種(敵)が入ってこない
と言う好立地の国である日本は、海外へ出ること(海外から流入すること)を極端に嫌がっていました。
僕もそのうちの一人であり、今でも、
と思います笑。
島国である日本は、それだけ「閉じられた国」であることがわかります。
同一の民族(種族)しかいないからこそ、
- 空気が読める
- 逆に同調圧力がある
ような気もしますし、良くも悪くも平和ボケしているような、そんな印象を受けます。
この「内側の文化」がマトリョシカのように、日本の各地方や各家族で「外界との線引き」をするようになります。
- 家族
- 学校
- 会社
などで、独自の文化が作られては、排他的になったり支配的になったりしてしまうのです。
全部が全部、悪いということではありません。
海外だってコミュニティは作られていますし、細かいユニットだからこそ楽しめることはありますからね。
「閉塞的な国で作られる独自性」とは、時に「歪んだもの」になってしまい、人間関係で疲弊してしまう人が後を断ちませんよね。
決して「日本人の性格が悪い」というわけではなくて、そうした環境が生まれやすい国だということを知っておくべきなのかと。
- 内側に向く批判
- 他を排除する力
は突出しており笑、これが複雑な人間関係を生んでしまいがちなのです。
その前提のもとに立ちますと、
と思いますね。
親切は表面上のこと
以前にも書いたことがありますが、日本人の優しさとは、実際は表面上であることが多いです。
それは「他人に迷惑をかけないため」という前提のもとに生まれるマナーではありますが、
- 相手に深く入っていったり
- 本当の意味で相手に優しくしたり
することはあまりありません。
別に「日本人は優しくない」と断言したいわけではないですし、そもそも「優しさとは?マナーとは?」といった定義もまた、人それぞれ違います。
ただ日本人が他人に優しいのは、
と言う気持ちがあるからではないでしょうかね。
自分のいるコミュニティ内では、しっかりとハラスメントをしつつ(おい笑)、他では体裁を保っておこうという魂胆です。
もちろん、サービスは世界でもトップだと思っていますし、この「空気を読める文化」は唯一無二だと思っています。
しかしこれが表面上で「外側向け」であるのは、それだけ内側で発散しているということを意味することもあります。
僕が教員時代、学校で人間関係がうまくいかなかったことがあったのは、僕自身が未熟で足りなかった部分があっただけでなく、
- 変わろうとしない文化
- コミュニティ内で偉そうにしてしまう文化
があったからだと、はっきりと言えます。
「内側だけで作られる世界」は、どこかで歪んでしまうものだからです。
その世界がある程度多くの人で作られているのであれば、その中の「思想」は複雑さを極めます。
トップに立つ人が、
という気持ちがあることは、なんとなく肌で感じていました。
マニュアル通りにやることも大事ですが、そこに創造性や革新性はなく、同じことの繰り返しで成長はありませんでしたね。
このように、「内側」に対しては問題が多々あること。
だからこそ、日本では「本当は優しくない人」が多く存在し、家族や仕事で問題が生まれてしまうんですよね。
内側にも優しくするためには?
これと言った解決策はありませんが、やはり海外を回ってきた僕から言わせてもらいますと(偉そう)、
という意見が、そこそこ適切な意見なのかなと思っています。
他の世界を見渡してみればわかる通り、
- 日曜は働かない
- 言語や文化の違いは当たり前
- 外見や表現の仕方にとやかく言わない
と言った、日本では見られない文化を体験することができます。
こうした経験があるのとないのとでは、考え方に大きな差が生まれます。
「以前の僕と今の僕」では、全く視野の広さが違うように、
- 日本の良さも
- 日本の課題も
いろんな視点から見られるようになります。
いつまでも「井の中の蛙」でいたら、
- 変わらない環境に文句を言い
- 閉じられた世界で「王様/女王様」になってしまう
という状況が生まれます。
それだけ「こうあるべきだ」という、「べき論」を展開してしまいがちだからです。
僕もインターナショナルに育ったわけではありませんでしたから、
みたいな、非常に面白い考え方(=閉じられた考え方)を以前は持っていたものでした笑。
これだとどうしても人に意見を押し付けてしまいがちですし、変わらない状況に文句ばかりを言うことになります。
すると結果的に「不幸」になります。
その「不幸」はコミュニティ内に広がり、精神的に疲弊してしまうのです。
これが日本にはびこっている矛盾であり、課題であるとも思っています。
- 内に対しては厳しく
- 外側に対しては優しく
という感覚は、自分自身に対してならいいですが、別にコミュニティによって分ける必要はありませんよね。(ここでいう「内に対して厳しい」は不愉快さを伴うもの)
と、柔軟性のある人がコミュニティの中に多くいますと、1つの考え方に固執することがなくなっていきます。
「優しさ」とは自由を認めることでもあり、
- 批判
- 支配
- 縛ること
などは、その対照と言えるでしょう。
その人の存在を認めることができるコミュニティを、作り上げていくこと。
そのほうが持続可能ですし、誰だって幸せになるに決まっています。
日本人の礼儀正しさや優しさ、親切さは大切にしていきたいところですが、閉ざされた中でもちゃんと機能するように、それぞれが視野を広く持つべきですね。
おわりに
と言う動画を見るたびに、嬉しい反面、
とも思います。
- 小さなコミュニティでも
- 大きなコミュニティでも
素晴らしいものはたくさんありますから、僕自身がいつも柔軟に対応できる人間でいたいですね。
変な人はどこに行ってもいますから、その人を変えようとせず、自分から変わることですね。
頑張りますね。
それではまた!
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