こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
最近、いろんな人と話していますと、ちょっとした食い違いや否定や批判をされることで「イラッ」としてしまうという話を聞きます。
僕も以前はそんな人間でした。
しかしいつからか、そんな感情はどこ吹く風となり、毎日穏やかに過ごしています。
いちいち反応しなくなったということも1つですが、やはりいろんなことを経験してきたことが、僕を成長させてくれたのだと思います。
今日は「感情的にならない(キレない)ために」ということについて書いていきます。
怒る人は想像力が足りない人
感情的になることは、決して悪いことではありません。
泣いたり笑ったりして、感情を全面に出すことはいいことですよね。
それでもやはり「怒ること」だけはよくないことなのだなと、2021年にいろんな本を読んでいる中で感じました。
“感情的に” なって怒る時とは、ある意味「自我」を失っている状態を意味します。
そこに渦巻く感情は、
- 対立
- 嫌悪
- ネガティブ
などであり、あまり気持ちのいいものではありません。
僕が若かりし頃は、この「感情のコントロールを失うこと」すら、
と思っていたものでした。
若者の「かっこよさ」みたいにも思っていましたし、それが容認されるとすら思っていました。
しかし、誰だって平和がいいわけでして、「いつでも怒っていたい」なんて人はいません。
先述したような「ネガティブな感情」に支配されてしまいますから、怒らなければ怒らないほうがいいのです。
僕が若かった頃は、相手の立場を理解することができず、想像力に欠けていました。
- いろんな経験を積むこと
- いろんな書物や人に触れること
これらの「インプット」をすることで、
と思えるようになってきました。
それでもちょっと前までは、「怒り」をコントロールできていても、自分の畑である「教育」や「英語」において、悪い意味で熱くなっていました。
その点においてもコントロールできるようになったのは、「自分が責(攻)められている」と思わなくなったからですかね。
仮に相手が「攻撃するつもり」であったとしても、僕が暖簾のようにひらりと交わせば、波を荒立てることはなくなるのだなとわかりました。
他の例では、「僕より英語をうまく話せる人」と話すことで、劣等感を感じていた時もありましたが、
と思えており、想像力も養われたことで相手と比べることもなくなりました。
想像力に富んでいれば、怒ることもなくなってきます。
「すぐに怒る人」とは心が狭いのではなく、視野が狭いのかもしれません。
広い視野(=想像力あるいは経験)を持っていれば、
というように、疑問を持てるようになるのです。
余裕がない人ほど怒る
「想像力」と合わせて「余裕」も大切なのだと思っています。
「ゆとりのある生活」を送っている人ほど、精神的にも豊かになれるのだと思っています。
もちろん、そこには経済的な問題も介在しているかと思いますが、僕は「FIRE」(経済的自立、早期退職)をしていなくても、
- 足るを知り
- 自分の幸せを定義し
- その範囲内で暮らす
ことで、自分なりの「ゆとり」を持てるようになりました。
ある意味、公務員(学校の先生)だった時は、経済的な余裕はあっても時間的な縛りがあったことから、多少ゆとりはなかったのかもしれません。
毎日をピースフルに生きるということは、現代の日本人にはなかなか難しいことなのでしょうね。
人それぞれ「幸せ」の定義は異なりますが、やはり「余裕を作る」ということは大切なことでして、それだけで感情のコントロールができるようになります。
ちなみに海外を周遊していた時は初めてのことが多くて、イラッとしたことはありましたけどね笑。
これは仕方のないことなのかなと思っています。
「海外=自由」ではなかったから、なのでしょう。
だからこそ、
と考えることです。
こうして自分のキャパをオーバーしないようにしていくことは、基本的なことでありながらも、多くの人ができないことでもあります。
余裕がなければ、他人の気持ちを察している暇もありません。
自分で手一杯ですからね。
- 怒ること
- コントロールを失うこと
とは、想像力の欠如や余裕のなさから生まれます。
裏を返せば、すぐにイラッとしてしまうということは、何かが満たされていないことを意味します。
もしかしたら多くを求めすぎて、ゆとりのない生活を送ってしまっているのかもしれませんね。
自ら人生を再定義して、余裕を生み出していかなければならないのです。
そもそもの人生について考えておくこと
僕がイラッとしづらくなったのは、人生についてボーッと考える時間が多かったからでした笑。
その時間が想像力を育んでくれたこともありますが、
- 世界を見渡したこと
- 人生について熟慮したこと
が見事に融合したことで、「悟り」に近い感覚を得ることができました。
人生についてゆっくりと考えていますと、自分に対する「攻撃(口撃)」だと捉えられるような発言に対しても、いちいち反応しなくなります。
というように、いろんな「タイプ」がいることを実感しつつも、柔軟に対処できるからです。
「受け流す」という言葉が適切なのかもしれませんね。
いい意味で、
と思うことができます。
- 自分の人生が一回切りである
- いろんな国にいろんな人がいる
- 人生における「幸せ」がわかっている
このように自分の人生を俯瞰しておきますと、怒っている暇がないこともそうですし、その人が怒っている理由を理解しようとするようになります。
人とも比べなくなりますし、自分の人生に集中し始めます。
と、結果もわかるようになります。
自分の感情との付き合いとは、まず己を知ることがスタートです。
以前の僕のように、自分の人生を軽く見積もっている人ほど、
- 人のせいにしたり
- 他人に当たり散らかしたり
して、感情をコントロールできなくなってしまいます。
いつも自己研鑽(けんさん)することです。
それは具体的な行動や経験からもそうですし、もっと抽象的な「人生」について考えることも含まれています。
いずれにせよ「怒らなくなる」には、いつも自分との闘いをしておくことなのです。
おわりに
そもそも僕が怒る人を見ることがなくなったのは、そうした場所から離れたからでもありました。
学校という職場では、文句ばかり言って変わろうとしない人が多くいたものです。
それは学校に限らず、いろんな場所で起こっていることでしょう。
そういうところからは離れること。
そして自分の人生に集中すること。
まずは自分と対話し、本当に大切なことに時間を費やしていきましょう。
それではまた!
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